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⑫
霧咲は急に黙り込んで何かを考えているようだが、二宮は気にせずに続けた。
「それで山下に、過去のことは許すからその代わりにもう一度抱いて欲しいと関係を迫られたんです。――でも俺は絶対に浮気なんかしたくないし、なにより堂島を裏切れないんで」
「……堂島君のこと、大事にしてるんだね」
「はい」
迷いのない二宮の返事に誠実さを感じて、霧咲は一気に二宮への好感度が上がった。元々仕事人としての好感度は高かったのだが、堂島よりも二宮に榛名を奪われないかと脅威に思っていた分、霧咲は自分のためにも二宮に協力したくなった。なので箸を進め、酒を飲みながら続きを促した。
「しかしそれは……たしかになかなか厄介だね。あれかい? 断ったらゲイ……いや、バイであることを他の友達にバラす、なんて言われているの?」
「はい、そっくりそのまま言われました。でも、言いたければ言えって返しました」
「ほう? ……二宮さんは、バレてもいい人なんだ?」
「俺の両親は離婚していますし、母は俺に結婚願望が無いことも知っているので、むしろ恋人がいた方がホッとするんじゃないでしょうかね……たとえそれが男でも。大学時代の友人には、一人だけ理解してくれそうな奴がいるのでそれでいいと思ってます」
「職場は……別にバレても大丈夫だね、あの人たちなら」
霧咲は自分と榛名の関係が既にT病院の透析室のナースの間では有名だと知っているし、見守っていてくれてありがたくも感じている。
自分の職場ではゲイであることはバレていないが、バレても別にどうということもない。居心地が悪くなれば職場を変えればいいだけなのだから。
「まあ積極的にバラしたくはないですけど……なんとなく、時間の問題かなあとも思ってます。こないだ榛名さんにもちょっと見られたんで……」
「え、隠れてキスでもしてたの!?」
霧咲がウキウキしながら、少しからかうように聞いた。
「機械室で頭を撫でてました」
「な~んだ」
「つまらなそうに言わないでくださいよ……超びっくりしたんですから」
霧咲は身近な知り合いの恋愛ハプニングを酒の肴にして楽しそうに聞いているし、二宮も初めてこういう話を他人にして楽しかった。けど、今日の目的は霧咲にノロケを聞かせることではないのだ。
霧咲は既にビールを飲み終わり、日本酒に移行している。手酌でぐいのみに大吟醸を注ぎ、話の続きを促した。
「ええとそれで……堂島君と付き合ってるのがバレてもいいなら山下氏のことは放っておけばいいんじゃないかなって思うんだけど?」
「それが……」
二宮は一昨日の夜に、山下と電話で話した内容を霧咲に説明した。妻と離婚すれば、二宮と対等の立場になって付き合えると思われていること。
ただそれも、別に二宮がどうこうできる問題でもなかった。何を言われても突っぱねるだけだ。
「……結果は見えているのに、逆に潔い気がするなぁ、山下氏は」
霧咲は妙に感心したように言った。
「離婚に関しては俺がとやかく言う立場じゃないとは分かっています。けど俺の父親は女を作って出て行って、俺はその後母が苦労をしたのを実際に見ているので、どうしても罪悪感を覚えてしまって……。そこに付け込まれていることも、分かっているんですけど」
「――ところで二宮さん」
「はい?」
「ヘタなことを言う前に聞いておきたいんだけど、最終的に君が俺に求めているのは何かな。説教か、アドバイスか、ただ話を聞いて欲しいだけなのか」
霧咲の声は穏やかで優しい。まるで透析室で患者の話を聞いているときのようだな、と二宮は思った。
二宮は箸を置いて、ゆっくりと心情を吐露した。
「……話を聞いて欲しいだけ、です。何を条件にされても俺は山下の要求を断るだけだし、何もできないから……。ただ一人で抱えているのがしんどすぎたから、誰かに聞いて欲しかったんです」
「そう……暁哉や堂島君には話せないの?」
「あの二人はなんか、すげぇ気にしそうじゃないですか……こんな話。だから背負わせるのは気の毒だなって思って」
霧咲は少し口元を尖らせて「俺はいいの?」と言った。
「霧咲先生はそういうの全く気にしなさそうじゃないですか」
「失礼だなぁ、まあ気にしないけどね」
「それと最初に言ったとおり、距離感が良かったんです。前に俺が変な質問をしたとき……ラブホのことを尋ねたときも、淡々と教えてくれただけでそれ以上のことは突っ込んできませんでしたし、俺が男とそういうことになってるって分かっても、恋人の榛名さんにも黙ってくれてるみたいだし……」
特に自分に興味を持ってもいないし、同じく同性の恋人がいるし、口も堅い。だから二宮は霧咲に話を聞いてもらおうと思ったのだ。
「まあ、人の秘密をそうペラペラと話す気にはならないしね」
霧咲は二宮に対する親切心だけで黙っていたわけではないのだが――まあ、そう思われているならそういうことにしておこう、と思った。
「今日は俺の話を聞いてくださってありがとうございます、本当に」
二宮は静かに霧咲に頭を下げた。霧咲はその姿を見てなんとなく武士のようだな、と思った。
「――二宮さん」
「はい?」
「俺の妹の話聞く? 昔ゲイにカモフラ婚されて離婚したんだけど」
「!? それって……」
二宮は榛名から、霧咲の奥さんと娘というのは実の妹と姪だった、ということは聞いていたがそれ以上のことは知らなかった。
まさか、こんな身近にカモフラ婚の被害者――と言っていいのか分からないが――の関係者がいたなんて。
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