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はじめて
平穏な毎日は、しあわせだけどツマラナイ。
「あーセックスしたい」
昼休みの食堂で、がやがやと暇な学生たちの喧騒を背景に、机にべたっと上半身を押し付けながら、溜り溜まった煩悩を溢れ出させた。斜め前に座った親友から、憐れなものを見るような視線を送られる。
「彼女に振られたか」
「忙しくて会えてないんだって」
「本能で生きてるもんなァ、海里クンは」
あ、すごいばかにされた気分。
「汀だって同じでしょー、年頃の男の子だよ俺たち」
「男の子って歳でもねえだろうが」
ぢゅう、と音を立てて紙パックのジュースを啜る。100%オレンジジュース、の記述が、やけに健全に見えた。
頬杖をついて溜息を吐き出す親友こと椎名汀しいななぎさは、悔しいけれど男前だ。背が高くそれに見合った筋肉がつき、程よく焼けた肌に、切れ長の瞳と、癖のない黒髪。女の子たちにクールだなんだと持て囃されているのも頷ける。いや、決してクールではないけどね。女の子相手だと困っちゃう、ただの人見知りだ。
「もう一週間もご無沙汰なんだよー枯れちゃうよー」
「たった一週間だろうが、少しは禁欲しろ」
「十分ですう。まあ、童貞の汀クンにはわかんな、痛!」
全部言い切る前に頭を殴られた。暴力反対!
丁度前髪を留めているピンの部分が叩かれて痛い。其処を擦りながら汀を見ると、ものすごく怒った目で俺を見下ろしていた。こわい。
「本当のこと言ったからって怒んなくていいじゃん」
「怒ってねえ」
「うそつきー」
「呆れてるだけだ」
「そういう汀だってさー、溜まってるんじゃないの」
「ああ?」
矛先を向けると、怪訝そうな声が返ってくる。これはちょっと面白いぞ。上半身を起こして、汀と向き合う。
「最近いつ抜いた?」
にこり、笑顔で問いかけると、「はああ」と汀が深く重い息を吐いた。額を抑える仕草までして、全身全霊で「呆れてます」ってことを表現したいらしい。アメリカのホームドラマかっつうの。
「なんでお前に教えなきゃなんねえんだ」
「前から思ってたんだけど、汀ってほんと、むっつりだよねえ」
「てめえ……」
「教えてくれたっていーじゃんか。ちなみに俺は昨夜!」
「堂々と言ってんじゃねえよ」
「あだ、」
デコピンされた。
額を撫でてちらりと見上げると、思い切り眉を寄せる汀に気付く。なんだかんだ、初心なヤツである。
「ねえ、汀ー」
「なんだ」
「今日、ウチ来る?」
だからつい面白がって、耳元に唇を寄せて囁いてみた。どんな反応が来るのかと思っていたら、真面目な瞳で俺を見て、「行く」と頷くのに、正直驚いたのはナイショだ。なんでそこで誘うんだとか、なに考えてんだ、とか、そういう類のツッコミがくると思ってたのに。
頷かれてしまっては撤回もできない。俺は、中身がなくなった紙パックをべこべこ言わせながら、この後どうしよう、なんて考えていた。
汀とは、高校のときからの付き合いだ。高校では同じクラスで、まあ用があれば話すという程度の仲だったのが、同じ大学に進学したのをきっかけに、気付けば一緒につるむようになった。女の子大好きな俺と、女の子苦手な汀はある意味では正反対だけれど、お互い気を遣わなくて済む、とても楽な存在だった。下宿先も近くで、食費を浮かせるために、一緒に飯を食いもする。
だから、汀が俺の部屋に来るのは珍しいことではない。学生向けの六畳一間の安アパートは、家賃の安さ相応の部屋だ。キッチンがあって風呂トイレ別なところに惹かれて決めたが、部屋は狭い。ベッドが大半を占めて、あとは本棚とテレビ台、冬場はコタツにもなるローテーブルで、いっぱいいっぱいだ。
結局あの後、お互い同じ講義を受けて、そのままの流れで俺の部屋に来ることになった。いつも通りと言えばいつも通りで、ついでに夕飯の食材も買った。
汀は料理が上手い。夕食の準備はほとんど汀に任せて、俺は腰を落ち着けた。まったりする。
「おい」
「うん?」
「働け」
あ、痛い。
長い脚で丸めていた背中を蹴られ、渋々立ち上がる。汀の手には出来立てで湯気が立ち込めている肉じゃが(俺のリクエストだ)が入った皿がある。
「おー、美味そお」
「当然だ」
「やっぱいーいお嫁さんになれるね、汀ちゃん」
「ちゃん付けするな」
「お嫁さんはスルーですかー」
笑いながら台所に行って、茶碗に炊き立てのご飯をよそう。これは俺の仕事だ。当たり前のようにある汀用の茶碗を手にし、多めに入れて、ローテーブルの上に乗せた。味噌汁は汀が持ってきてくれる。
「いただきまーす」
「ん」
手を合わせて箸を取り、早速、肉じゃがを一口摘まんで口に入れる。ほくほくのジャガイモが、熱くて美味い。いい具合に出汁が利いていて、箸が進んだ。
「相変わらずいい食いっぷりだな」
「だってうまい」
「そりゃよかった」
もごもごと咀嚼しながら答えると、汀が満足そうに顎を引いた。すぐさま料理人か、お嫁さんになれそうな腕前だ。
汀の作るご飯は美味い。食ってる間は、つい、喋るのも忘れてしまう。あっという間に空になって、「ごちそーさま!」と手を合わせた。汀は「お粗末さん」と笑って、俺の後に続くように皿を空にする。これから先は、俺の仕事だ。
「持ってくねー」
空になった皿を重ねて台所へと持って行き、水を出して食器を洗う。作る方で役に立てない分、こうして皿洗いをするのが、習慣になっていた。汀も当たり前のように頷いて、麦茶を啜り飲んでいる。
――うん。いつもと同じ、変わらない光景だ。
この後ゲームしたり一緒にテレビ観たりして、日付が変わる頃になると汀は帰って行く。たまに面倒になって泊まって行くこともある。今日はどっちかな、なんて考えながらスポンジで皿を擦った。
ちょうど、そのときだ。
『――あんっ』
甲高い女の声が、響いてきて、思わず皿を落としそうになる。寸でのところでキャッチして、慌てて最後の一枚の皿の泡を洗い流しながら、部屋の方に視線を遣った。
「なっ、なになになに?!」
「――へえ。お前、こんなのが好みか」
『やぁんっ、らめ、らめえ』
「きゃあああいやああやめてえええええ」
こっちがらめえ、だ!
テレビのリモコンを持って冷静に言う汀とテレビの間に、ずざざざっと立ちはだかる俺である。テレビ画面には、言わずもがな、裸の女の子が男優に覆い被さられている映像が流れている。
「ななななにやってんの!」
「テレビ付けたら流れたんだよ」
あああ昨夜抜いて疲れてそのまんま、片付けるの忘れたんだっけ……。最近のDVDはご丁寧な仕様で、電源を点けると、前回の途中から流してくれるらしい。俺の抜きポイントまでばっちりバレちゃったわけだ!
『あぁんっ、ふぁ、やらぁ』
「ももももう良いでしょ消そうよ!」
贔屓の女優の喘ぎ声を聞いていると、変な気分になってきそうだ。
「何照れてんだ」
「照れてるっていうか!」
「溜まってるなんだの言ってたのはお前だろ?」
「それとこれとは話がちがう……はっ! 汀、観たい?」
下ネタは全然平気だけど、親友にオカズをまじまじと見られる恥ずかしさとはまた違うでしょ……。とまで考えてから、あんだけ初心な反応をしていた汀が意外に冷静であるというのに、ある可能性を閃いた俺である。
「ああ?」
「溜まってたんでしょ、観ても良いよ」
ほら俺見ない振りしとくし!
なんて親切心で言ってみると、汀は少し考える素振りを見せた。
「あ、なんなら一緒に観る?」
「海里」
「はい」
「ちょっと来い」
「えええ」
怒られると思った軽口なのに、お誘いされてしまった……。
画面の前から退いて、仕方なくベッドの前に座る汀の隣に座る。テレビの画面には、贔屓の女優の大きな胸が、男優の手で揉みしだかれているところが映っている。気まずい。
「いやあのうん、俺コンビニとか行くから汀使って」
「良い、ここにいろ」
「あ、はい……」
しっかりした声で言われると、頷くしかない。
何を考えているのかわからない親友を横目でちらりと見て、息を吐いた。なるべく画面からは目を逸らすけれど、『あんっ』とか『やぁ、んっ』とかいう高くて甘い声が嫌でも耳を刺激してくる。だ、だから、溜まってるんだってば。彼女としたのは一週間前なんだってばー。健全な男の子である俺は、腰がむずむずしてきた。
ちらり、隣の汀を見ると、涼しい顔で何だか悔しい。こいつ、女の子に興味ないのかな。
「汀くん、全然反応してない?」
「は?」
直球な問いかけと同時に、股間を凝視してみると、ジーンズが少し膨らんでいるのがわかる。ああ、よかった。汀もちゃんと男の子だ。
「あ、勃ってんじゃ、あ痛」
叩かれた。
「言葉にすんじゃねえ」
「だってー」
「お前はどうなんだ」
「そりゃあギンギン……ッ?!」
自慢じゃないけど、かわいい喘ぎ声に刺激されてもうばっちり臨戦態勢に突入である、俺の息子は。あ、うん、早いとか言わないで。そんな可愛い息子を、不意をつかれて、ジーンズ越しに触られた。
「なななになにっ」
「確かめてんだろ」
「いやちょっと待っ、……ぅあっ」
こ、擦れて、声が出ちゃっただけなんだからね……!
汀がジーンズ越しに掌で撫でてくるようにして、思わず腰が揺れる。
「い、意味わかんない、……っん、」
「一人でするときも声出すのか、お前」
「出すわけないじゃん、……わわっ、なにっ」
いや嘘ほんとはちょっと出ちゃう……、心の中で暴露していると、ジーンズのホックが外されて、じ、という音と共にファスナーを下ろされる。下着越しに汀の手が触れてきて、思わず腰を引く。
「あ、は。抜きっこしちゃう、かんじ?」
「お前だけ、してやっても良いけど」
溜まってるんだろ?
なんて、余裕の顔で囁かれて無性に腹が立った。俺ばっかりが溜まってるみたいで(いやもしかしたら本当にそうなのかもしれないけど)、癪だ。身体を起こして、同じように汀のジーンズのファスナーも下ろしてやる。なんだ、すっかり勃ってんじゃん。
「汀くんのもガチガチですけどお?」
「溜まってるから、な」
「素直に言やーいいのに」
ふふふ、と笑ってやると、汀の眉が寄る。あ、怒らせたかも。と思う間なく、汀の手が俺のジーンズと下着に掛かり、一気に引き下ろされた。
「わっ、わ、」
俺の可愛い息子が外気に晒されて少し縮こまる。別に初めて見られるわけじゃないけど、改まって見下ろされると流石に恥ずかしい。内腿を擦り合わせようとしたら、汀の手が、俺のものを直接握り込んできた。
『ぁんっ、』
「ひぁ、」
AV女優の声と重なって、高い声が出た。強い刺激に、ぬるりと先端からは先走りが溢れ出てくる。何しろ、他人に触れられるのが一週間振りだ。汀の大きな手が俺のものを包んで、上下に動かしてくる。
「っ、ぁ、ふ、」
気持ちよくて、頭の中がぼうっとしてくる。零れて出る声を抑えるのも忘れて、俺はつい、汀の手の動きに合わせて腰を揺らしていた。
「お前だけ良くなってんなよ」
「ぅえ、……っん! あ、」
は、と吐息混じりに囁かれて、俺はゆっくりと視線を上げる。気付いたら、下着の間から熱く猛ったもの(改めて見ると俺より一回りでかかった! ずるい!)を取り出した汀が、それを俺のに擦り合わせてきた。
「んっ、ん、なぎさ、」
「っは、……どうだ、海里」
「んんっ、ぁ、きもちい、」
基本的に、気持ち良いことは好きだ。だから女の子が好きだし、女の子とのえっちが好き。男とこんなことするなんて夢にも思ってなかったんだけど、まあ、汀だから良いか。なんてぼうっとした頭で考えちゃうくらいには、気持ちがよかった。
「海里……」
「ふぁ、んっ、ん、」
快感を求めて、腰を揺らす。汀の手の上に自分の手を重ねて、上下に擦った。触れ合ったお互いのものの先端から、透明な先走りがとろりと溢れて、指を擦る度にぐちゅぐちゅと濡れた音がした。それもエロくて、もっと、と求めてしまう。
「ぁ、ぅんっ、……は、ふ、」
「っは、ふ……」
「ん、ん、……っあ、」
汀の吐息も、眉を寄せた表情もエロい。こんな顔するなんて、知らなかった。俺も自然と息が上がって、もう限界が近かった。
「っあ、ん、……も、だめ、」
「ああ、……っ、」
『ぁんっ、らめ、らめ、イっちゃうぅう』
奇しくも、テレビの中の女優さんと同じタイミングになった。汀が一際強く擦ったと思ったら、敏感になった鈴口を爪の先で刺激するから、堪え切れずに腰が震えて吐精した。同時に手に熱いものが掛かって、同じタイミングで汀もイったのを知る。
「っは、ぁ、は、」
くたり、身体の力がぬけて、後ろのベッドに寄り掛かった。汀も同じように、肩で息をしている。画面では、更に女優に悪戯しようと男優が襲いかかっているのが見える。
「っふ、……は、はは」
「海里?」
「わけ、わかんねー、なにこれ!」
何だかわからないが、笑いが込み上げてきた。
いくら、いくら溜まっていたからって、親友と抜き合うとか、意味わかんねー……。
「悪くはなかったけどお……」
それは正直な感想だ。
手にかかった、お互いのが混ざり合った精液を眺め見遣って、思わず顔を顰める。
「見てんなよ、そんなの」
すっかり身支度を整えて冷静な汀が、ティッシュで俺の手を拭ってきた。俺も、脱がされた下着とジーンズを履いた。
「はあ。……これさあ?」
「うん?」
「浮気になんのかなあ」
「気持ちあるのか、お前」
「あ、ないわ」
即答だ。
まあ、彼女も、彼氏が男友達と抜き合ったなんて、知りたくないよな、うん……。これは一生、心に蓋をしておこう。
「今日泊まってく?」
「あー、そうする」
「おーけー」
なんてやり取りもいつも通りで、うん、さっきのはただの事故だったと言い聞かせる。二十歳の性欲、半端ない。自分がこわい。
――まさか、その”事故”が、ただの始まりにしか過ぎなかったなんて、そのときの俺は知る由もなかったのである。
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