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18、景の外側

   眠れないまま夜が明けた。  まるで空き巣にでも入られたのではないかというほどに荒れ狂った部屋の様相を眺めながら、理人はただただ呆然と、視線を彷徨わせるばかりである。  ふと、自分の指先に、茶色いものが付着していることに気づいた。  景が部屋から出ていった後、理人は文字通りパニックを起こし、叫び声をあげながら部屋中のものをひっくり返し、暴れ狂った。これ以上破壊するものがないと気づけば、狂気の矛先は自分へ向く。首に巻きついたネックガードをめちゃくちゃに引きちぎろうと藻搔いたが、それはそうやすやすと取り外せるものではない。挙句、首にはひどい擦過傷が残ってしまった。  こんな風に発狂状態になるのは、久しぶりだった。  これは一番重度の発作である、『喪失反応』。番を失った直後、しばしばオメガが発症するパニック発作の一つである。最悪、自殺をしてしまうオメガもいると聞くが、幸い理人はそうはならなかった。それはひとえに、高科への愛情の深度が足りなかったからであろうと、理人は勝手に解釈をしていたものだった。 「……あぁ……くそ。首、痛い……」  一夜明けて、理性は戻ってきているようだ。  理人はゆっくりと起き上がり、首の手当てをしなきゃ……と、淡々と考えた。  全ての感情が全て抜け落ちていってしまったかのように、現実が遠い。昨日ここで景とセックスをしたことも、その後景が言ったことも、確かに心に残ってはいるのに。 「……馬鹿野郎」  景に抱かれている時、しばしば幼い頃の景色が脳裏に浮かんだ。  キラキラと清らかな世界の中で、まだ十二歳だった頃の二人の姿が、浮かんでは消え、浮かんでは消え……。過去を懐かしく思うたび、猛々しい表情を浮かべて理人を穿つ景の姿が、まるで他人のように思えたものだった。  だが、肉体は浅ましく、与えらえる快楽を享受していた。  あたたかい体温も、愉悦をもたらす激しい愛撫も、景から与えられるものだからこそ、受け入れることができてしまった。同じオメガで、幼馴染で、かつて、儚い気持ちを感じていた相手だからこそ。 「景……ほんと、どうしちゃったんだよ……」  景はまだ、何かを隠している。何度尋ねてもはぐらかされてきた、あの日の空白。  あの空白の時間が、景を変えてしまったのだろう。理人にこうまで執着を見せるほどの出来事が、景の身に起こったのかもしれない――  理人はふと、自分が景のことばかり考えていることに気がついた。  不思議と、高科が過去に犯した罪を知っても尚、理人は高科に親しみの情を感じている。一貫して揺らぐことのない感情に、理人自身も驚いてしまうほどに。  ――いきなり憎めなんて、無理だ。少なくとも俺の見てきたあいつは、そんなことをするような男じゃなかった。……それだけは、信じられる。  そう思えた瞬間、妙に身体が軽くなったような気がした。理人は腹に力を入れて床の上から起き上がると、気を引き締めるように深呼吸をする。  ――……それより、景のほうが心配だ。何隠してんのか知らねーけど、絶対吐かせてやるからな……!  そう意気込んで立ち上がろうとして、理人は腰の痛みに顔をしかめた。下半身がずしんと重く、脚の付け根が筋肉痛だ。景を受け入れるために自ら脚を開いたことや、挿れてくれと懇願しながら尻を突き出したことを思い出し、かぁぁと顔が熱くなる。 「好き放題やりやがって……」 と、独り言を呟きながら、理人は散らかり放題の部屋からごそごそとスマートフォンを探し出す。そしてそのすぐそばに落ちていた財布を拾い上げて中を開き、芦屋の名刺を取り出した。  + 「いや、まさかそちらからご連絡をいただけるとは思っていませんでしたよ」 「すみません、昨日の今日で……」  その数時間後。  理人は昨日の喫茶店で、芦屋を出迎えた。  今日の芦屋はノーネクタイにワイシャツという格好だった。きっちりスーツを着込んでいた昨日よりも、ずいぶん砕けた印象である。淡いブルーの細い線が入った爽やかなシャツに、凛々しい体躯がよく映える。  理人の向かいに座ってアイスコーヒーを注文した芦屋は、物珍しそうに理人の顔をじっと見つめてきた。 「折り入って相談、とは、一体どういう?」 「あ……あの、相談っていうか。……景のことについて、ちょっと聞きたいことがあって」 「夜神のこと?」  景の名を出すと、芦屋の表情から愛想笑いがすっと消えた。その変化にやや戸惑いつつも、理人はゆっくりと言葉を繋ぐ。 「……芦屋さんから見て、景はどういう人間に見えますか?」 「どうって……えらく漠然とした質問だな」 「すみません。……芦屋さん、景とすごく気が合ってるように見えたので」 「え? そ、そうですか?」  運ばれてきたアイスコーヒーで唇を潤したあと、芦屋は腕組みをしつつ天井を仰いだ。 「あいつと組んでまだ一年ちょっとだが、できる男だと思うよ。普段は冷静で頭の回転も速くて、俺よりさくさく仕事をこなすし」 「……そうなんですね」 「あとは……そうだなぁ。夜神のアルファ嫌いは局内でも有名だな」 「アルファ嫌い?」 「そう。ああいう見た目だし、あいつは名家のオメガだろ。最初は言い寄る連中がわんさかいたらしいんだが、見事に全員玉砕だ。そういう女王様っぽところが良いとかっていう一部のアルファ官僚たちには、絶大な人気がある」 「ほう……女王様……」  ――た、確かに……あいつそういうの似合うかも……。  と、変な妄想をしかけたところで、理人はハッと気を取り直す。芦屋は頬杖をつきながら理人の顔をしげしげと見つめつつ、さらにこう続けた。 「昨日の夜、夜神に会ったよ。……あやしいアルファの男と言い争いになってて、危うく車に連れ込まれそうになってた。あいつもそういう手合いのアルファかもしれんが……」 「え……!? な、なんですかそれ!?」 「さぁな。……えらく様子がおかしかったし、話を聞くといったんだが……冷たく突っぱねられた」 「……」  ――あやしいアルファって誰だ? 景、あいつ一体、俺の知らないとこで何やってんだよ……。  考え事に沈みそうになっていた理人だが、芦屋の声にハッとして顔を上げる。 「まるで隙のないやつだと思っていたけど……君の件を担当するようになって以来、明らかに様子がおかしい」 「……そう、ですか」 「あいつがどういう感情で君に執着しているのかは分からないが……君たちは、オメガ同士でそういう……」  芦屋は静かな声でそう言いかけ、はたと口を閉じて首を振る。どことはなしに役人然とした表情が消え、芦屋の瞳には、ちらちらと個人的な感情が見え隠れしているように見える。  すると芦屋はどことなくばつの悪そうな表情で、理人の首筋を見つめていた。 「君と夜神は、ただの幼馴染ってわけじゃなさそうだが…………その首の傷、まさかあいつがやったのか?」 「えっ? あっ……」  襟の高いシャツを着て隠していたつもりだったが、見えてしまっていたらしい。理人は慌てて襟を押さえ、ゆっくりと首を振った。 「こ……これは自分で。昨晩、発作が出たもんですから……」 「発作って、大丈夫だったのか!? あいつがいた時にか?」 「いえ……景が帰ったあとで。ちょっと……」 「あんの馬鹿……!!」  芦屋は苛立ったようにため息を吐くと、改めて理人の顔色や首の傷を窺うような目つきになった。 「……あいつに……ええと、その……色々されたって言うのは、なんとなく聞いた。それが原因か?」 「色々……あ、ああ……いえ。行為自体は、発作とは関係ないんですが……」  真昼間の喫茶店でセックスの話題に触れることには抵抗があるらしく、芦屋はどこか気まずげである。見かけによらず繊細な一面を垣間見た気して、理人は少しだけ表情を緩めた。 「俺、十二の頃に景と離れ離れになってから、あいつのことを全然知らないんです。何を聞いてもはぐらかされて、全然先へ進めない」 「……そう、それで俺に話を聞こうと。と言っても、俺も大したことは知らないぞ。あいつは謎が多くてなぁ……」 「謎、ですか」 「経歴としては、中学高校大学とフランスの名門校へ通っていたと聞いている。だが、学生時代の話が話題に上ったことはない、かな」 「そうなんですか……」 「あとは、オメガにしては腕っ節が立つ、っていうくらいかな。一度、錯乱して刃物を持ち出してきた保護対象を相手にすることがあったんだが、あいつは表情一つ変えずに、相手のオメガをねじ伏せていたもんだ」 「へぇ……」  見た目よりずっと筋肉質な景の肉体を思い出し、なんとなく頬が熱くなる。  そういえば、景はその美貌ゆえ、上級生から絡まれることも多かった。儚げな見た目の割りに好戦的だった景であるから、小競り合いが喧嘩に発展して大乱闘、ということも何度かあったように思う。 「……ていうか、その……理人くん」 「あ、はい。何でしょう」  名を呼ばれて顔を上げると、芦屋は首に手をやりながら、うーんと唸った。芦屋の手元にある細長いグラスはすでに空になっている。 「君は、あいつのことが好きなのか。一線を超えたというのは、そういう意味、なんだろ?」 「え……?」 「君は、それでいいのか? いくら幼馴染とはいえ、もしそれを苦痛に感じているのなら、夜神を罷免し訴えることだってできるんだぞ?」 「……」  芦屋は慎重な口調で、じっと理人を見据えながらそう言った。  改めてそう問われると、自分が景に対して感じている感情は一体、どういったものなのだろうかと理人は思った。幼い頃に感じていた憧れと、ほのかな恋心は、そのまま理人の胸にあり続けている。だが、恋愛的な感情かと問われれば、それはどこか違うように思う。  美しく、凛々しく成長した景の姿に、どきどきと胸は高鳴る。だが、景がここまでどのような人生を歩んできたのかということについて、分からないことが多すぎた。  分からないから踏み込めない。それがもどかしいのだ。  ――だからこそ、ちゃんと知りたい……。 「……再会した日からずっと、景のやつ、なんだかいつも、苦しそうで」 「……苦しそう、か」 「俺にできることがあれば、手を貸してやりたい。それでちょっとでもあいつの苦しみが軽くなるなら、どんなことでもしてやりたい……俺が今感じているのは、そういう気持ちです」 「……なるほどね」  理人の台詞に、芦屋は深く頷く。そして、決然とした口調でこう言った。 「ここで俺に話を聞くより、直接会いに行って話を聞くほうがいいんじゃないか」  芦屋は白い歯をのぞかせ、頼もしい笑顔を見せた。

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