33 / 40

32、来客

   それから一週間が経ち、景のヒートは収まった。  だが、世間は今も騒がしいままだ。美園一族のスキャンダルがニュースというニュースを席巻し、警察庁上層部の腐敗が、ことごとく暴かれはじめている。美園一族の息のかかった警察官僚たちは全て解任の上取り調べを受ける身となり、人事にも大幅な動きがあった。  美園優一も、当然のごとく逮捕された。  オメガ人身売買に関する一連の事件が暴かれた上、景に対する脅迫罪やその他諸々の余罪が明らかとなったからだ。  こうして景はようやく、美園の手から逃れることに成功した。  リビングに敷いたラグマットの上にあぐらをかき、真剣な顔つきで新聞を読んでいる景の姿を眺めながら、理人は少し微笑んだ。  窓の外はきれいな秋晴れ。レースーカーテンを揺らす風からも熱気が収まり、爽やかな空気が部屋を満たしている。  居心地の良さを肌で感じていると、全身を雁字搦めにしていた薄暗い過去の呪縛から、ようやく解き放たれたような気分になった。ことん、と、カフェオレで満たされたマグカップを景の前に置くと、景はハッとしたように顔を上げ、難しい顔から笑顔になる。 「ありがとう」 「うん。……ていうかさ、それはいいんだけど、そろそろ何か着ろよ。風邪引くぞ」 「あぁ……うん、そうだね」  シャワーを終えたばかりの景は、黒のボクサーパンツ一枚という格好で、首にタオルを巻いている。この一週間ですっかり見慣れた景の肉体だが、こうして見ていても、実に目に麗しいきれいな身体だ。  初秋の日差しを受けて透き通るような白い肌が、しっとりと汗に濡れ、熱を帯びて薄紅色に染まっていたさまを思い出すだけで、理人の胸はどきどきと高鳴った。  これまでは発情している時以外に、こうして性的な欲求を感じたことは一度もなかった。だが、景を目の前にしていると、性懲りも無く、また肌を合わせたいと思わされる。  景を初めて抱いた体験も素晴らしいものだったが、あのあと、いつものように景に抱かれたりもした。普段の余裕などまるで消え失せ、獣のように理人を求める景の情熱は、途方もなく猛々しかった。  互いのネックガードを外し、生まれたままの状態で抱き合った時もあった。普段は触れることもできない首筋の柔らかな肌に、理人は何度も歯を立てた。  かつて、暴力によってそこを傷つけられた景のうなじには、微かだが薄い痕跡が見えた。その傷跡を白い肌の上に残しておくことが許しがたく、理人は後ろから景を愛しながら、何度もうなじを咬んだのだ。  景もまたそれを望んだ。うわごとのように、「もっと咬んで、もっと……!」と繰り返す景の求めに、理人もまた我を忘れた。血が滲む景のそこに舌を這わせて、何度も何度も奥で注いだ。  そして、同じことを何度も、景にされて……。 「理人? どうかしたのか?」 「…………えっ?」 「ぼうっとしてる。さすがに疲れた?」 「あ……あ、ああ、うん……まぁ、さすがに」  頬杖をつき、いたずらっぽい笑みを浮かべてこちらを見ている景に、ついつい素直な返事をしてしまった。  理人は景ほどの体力はないし、慣れないことをしたということもあって、何度か体力の限界を迎えてしまったのである。そういう時は景が調子に乗って攻めてくるものだから、抱かれながら「もう無理……! も、許してぇ……!!」と懇願することもしばしばだった。  だがそういう時は、二人でただただ抱きしめあってキスをしたり、言葉を交わしたり、手淫や口淫などで高め合い、鎮めあった。それだけで、心も身体も幸せに満たされた。  相手が高科だった頃とは、また違った過ごし方だなと理人は思った。アルファはオメガフェロモンに対して激しい興奮状態となってしまうため、冗談抜きでセックス漬けの一週間を過ごすことも多かったものである。意識を飛ばしてしまうことも、一度や二度ではなかった。  だが、景とそうして過ごす時間は、性の快楽もさることながら、とても心が満たされる。これまで会えないでいた時間を埋めるように、これまでの人生について語り合った。苦しい時間を海の向こうで過ごしていた景の話を聞き、理人は何度か涙してしまうこともあった。  何にも邪魔されることなく、互いを癒しあう時間だった。 「はっくしゅ」 「んっ?」  再びぼんやり考え事をしていると、景がくしゃみをした。理人は慌てて、ベッドの上に置いてあったパーカーを引っ張り寄せて、景にかぶせる。 「ったく……言わんこっちゃない。……そういえばさ、これからどうする?」 「え? 今日の予定?」 「ううん、そうじゃなくて。俺たちさ、これからどこで暮らそっか。お前んちのほうが広いけど、どっちの職場からも遠いよな」 「理人……」  ごく自然に口にしたその台詞に、景がきらきらと目を輝かせている。  そしてあっという間に景の腕の中に抱きすくめられ、ラグマットにもつれあって倒れこむ。 「ちょっ、なんだよ急に!」 「嬉しいよ。理人からそんなことを言ってもらえるなんて」 「え……っ、そ、そんな喜ぶ?」 「だってさ……再会してからずっと、俺は理人に嫌われるようなことばかりしてたような気がするし、まだまだ信用してもらえてないんじゃないかって思ってて……」 「えぇ? 今更かよ。そんなことないのに」 「だから嬉しい。理人から一緒に暮らそうって言ってもらえるなんて……夢みたいだ」 「大げさだなぁ」  理人を抱きしめ、すりすりと頬ずりをしてくる景が愛おしい。やや湿り気の残る髪に指を通しながら、理人は景を抱き返した。 「これからはずっと一緒だって、約束したろ」 「……ああ、そうだね。うん、そうだ」  ちゅ、とリップ音をさせ、景が額にキスをした。くすぐったさに顔が緩む。気恥ずかしさを隠すように、理人はあえて間延びした声を出した。 「ここじゃちょっと狭いからなぁ〜。ここらへんは治安もいいから、場所はいいと思うんだけど」 「落ち着いたら、新しいとこを探そう。楽しみだな」 「へへっ……うん」  にこにこ嬉しそうに笑っている景を見ていると、理人も自然と顔がほころぶ。軽かったキスは少しずつ熱を増し、このまま性懲りも無くセックスになだれ込みそうになった時、ピンポーンとのんびりしたチャイムが鳴った。理人のマンションのエントランスに来客だ。 「……え、誰だろ」  景の股座の上に跨り、シャツを脱ぎかけていた理人は、戸惑いつつモニターの方を振り返った。この家に訪ねてくる人物など、景を除けば、理人を担当しているカウンセリング部隊くらいのものである。だが、診察の予定はかなり先だったはずだ。 「マスコミの人間かもしれないし、俺が出るよ。ちょっと待ってて」 と、パーカーと下着だけという格好のまま、景が立ち上がる。小さな尻から伸びるしなやかな美脚を後ろから眺めつつ、理人はそわそわと景のあとについていき、背後から小さな画面を覗き込んだ。  小さなモニターには、スーツの男の胸元が映っているが、顔は見えない。景は応答ボタンを押し、低い声で応じた。 「はい、どちら様ですか」 『突然申し訳ありません。私、夜神 (れい)様の使いで参りました。夜神景様のことで、お尋ねしたいことがございまして』 「……えっ……?」 「……え、誰?」  景が、動きを止めて硬い表情を浮かべている。理人は戸惑いながら、もう一度尋ねてみた。 「なぁ、誰?」 「……」  見る間に険しい表情になっていく景の横顔に、否応無しに不安が煽られる。すると景はモニターを見据えたまま、静かな声でこう言った。 「令ってのは、一番上の俺の兄貴だ」 「……お、お兄さん……? その人の使いって言ってたけど、どうしてここが……」 「分からない」  景はゆっくりと、モニター越しにこちらを見つめる男に向かってこう尋ねた。 「景は俺ですが、何の用ですか」 『令様が、オフィスにて景様をお待ちです。平服で構いませんので、一緒においでくださいませ』 「……俺はもう、夜神の家からは縁を切られた人間です。今更何を……」 『それらを含めまして、令様よりお話があることと存じます。香乃理人様も、ぜひご一緒にと』 「えっ、俺も……?」  男が無表情な声で淡々とそう告げると、景の表情がより一層険しいものへと変わっていく。不安ばかりが高まって、理人の背中に冷たい汗が伝った。 「……分かった。十分で降りる」 「け、景……!?」 『お待ちしております』  プッ、と通話が切れる。  景はきつい目つきで空を睨みつけながら、ぎゅっと唇を引き結んだ。 「……俺がまたバカをやって世間を騒がせたから、何かお咎めがあるのかもしれないな」 「そ、そんな……」 「理人はここにいて。俺一人で行ってくるから」 「だ、ダメだ!! ダメに決まってんだろ!! 俺も一緒にって言われてるんだから、俺も行くよ!」 「……」  一人で行かせてしまったが最後、もう二度と景とは会えないような気がして、理人は思わず景のパーカーを掴んだ。景は静かな眼差しで、必死の形相を浮かべている理人を見つめたあと、頷いた。 「……分かった。一緒に行こう」

ともだちにシェアしよう!