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第18話

蘭子とはそれから1時間程飲んだのだが、専らこの事を報告するのが目的だったので、目的を達成した二人は早々に帰宅する事にした。 また明日が仕事だという事もあるし、蘭子に相談した事で気持ちが少しすっきりしたというのもある。最終的な結論は自分で出さなきゃならないというのも分かっているので、蘭子には聞いてもらえただけで十分だ。 蘭子に嘘をついたり誤魔化したりはしたくないから、蘭子がこういう性思考について比較的に受け入れてくれるタイプで安心した。 きっと気にしないだろうと思っていたが、実際は話してみないと分からないことだし、さすがにそれらしい話を今までにしたことはなかった。 家に帰宅すると、伊吹の姿はリビングにもキッチンにもなかった。 事前に蘭子とご飯を食べて帰る事は伝えてあったので、帰りを待たせているわけではない。だから自室で何かしらしているのだろうと、帰宅を知らせるために伊吹の部屋に向かった。 扉を数回ノックすると、案の定、部屋から伊吹の声が聞こえた。 「すいません、一応帰ったのでご報告に…」 「おかえり。わざわざいいのに。ありがとう。」 仕事の資料を読んでいたのか、手元に落ちていた視線が永遠に向けられる。その視線はひどく柔らかく、永遠の心臓をざわりとさせた。 「あの…今日もあれ…やりますか?」 「もちろん。モデルは続けて欲しいって言っただろう。」 「…じゃあ、風呂、先に入ってきます。」 「うん。ごゆっくり。」 永遠の気持ちをよそに、伊吹は朝と変わらず動揺一つしていない。あんなことを自分から仕掛けたのだからそれはそうなのかも知れないけれど、それでもキスをした相手を前に今まで通りなのもどうなのだろうか。 しかも好きとまで言った相手なのだし、少しは永遠の機微に反応する、なんてことは無いのだろうか。 不満とは違うが、心を乱されているのは告白した伊吹よりも、された方の自分だけだという状況に、永遠はなんだか納得がいかない。 伊吹にはごゆっくりと言われたが、永遠は早く眠って疲れや心のモヤモヤから解放されたかった。 風呂から出てリビングに戻ると、伊吹がソファーですでに準備を整えていた。 「もう上がったのか?もっとゆっくりでもよかったのに。」 「今日はちょっと疲れちゃったんで、早く寝たくて。」 「疲労は肌に悪い」 「仕事だからしょうがないですよ」 「一応こちらも仕事になるんだけどね」 「まぁ、そうですけど…」 「とは言うけど、そう気にしなくていいさ。そんな状況でもちゃんとケア出来てこそ、うちの商品は良いと言えるしね。」 伊吹は和やかな表情でソファーを叩き、永遠をそこに寝かせた。 昨日の事を思えば素直に応じるにも抵抗はあったが、体をギクシャクさせつつも求められた通りにいつもの場所に寝転がった。 「それで、神部さんは何か言ってた?」 伊吹は化粧水をコットンに染み込ませながら唐突に聞いてきた。 それに永遠は一瞬戸惑いながら、「何かってなんですか?」と聞いた。 「俺の事を話したんだろう?神部さんに俺はやめておけって言われなかった?」 「…蘭子は別に。それに、まだ俺もコウさんを受け入れたわけじゃないし…」 「それもそうだね。でもまぁ、否定はされなくて良かったよ。神部さんが駄目だと言ったら君はそれに従ってしまう気がする。」 「そんな事は…」 ないとも言えないか。 でも、蘭子が良いという相手じゃなければ付き合わないという訳でもない。 蘭子も永遠が決めた相手なら、それが例え辞めた方がいいと思う相手でも「永遠が良いのなら…」と最後は妥協してくれるだろう。 「俺もね、少し性急な事をしたとは思っているんだ。せめてもう少し君との関係を築いてからにすべきだったかなとね」 「…それは…でも、関係を築けていたらコウさんを受け入れられるというわけでもないですから…」 「残念だな…君はやはり男は受け入れられない?」 「考えた事もなかったですが…そうですね、他の人が誰と付き合おうと気にならないですが、自分の事となると難しい、とは思います。ただ…」 「ただ?」 優しく聞き返してくる伊吹を見上げ、その顔についている唇をジッと見つめる。何度見ても薄くて少しだけ口角が上がっていて、良い形をしている。 「…ただ、あのキスは嫌ではなかったと思います」 永遠がそう言うと、伊吹のわずかに瞠目したように見えた。 それから少しだけ永遠を見つめ、照れたようにはにかんだ。 その幼さも見える表情に驚いたのは永遠の方で、不意に起き上がって改めて伊吹の顔を見つめ返した。 「なんだ」 「だって、コウさんがそんな顔するなんて思わなかったから…」 「そんな顔って?」 「子どもみたいなあどけない表情ですよ。恋愛百戦錬磨みたいな人が、キスの話をしたくらいでそんな顔をすると思わないから…」 「好きな相手にキスは嫌じゃなかったなんて言われたら、俺だって舞い上がりもするし、照れたりもするさ。それに百戦錬磨というわけでもない。」 「でも今までたくさんの女性と関係を持ってきたでしょう?」 「それについて否定はしないが、あんな風に一方的なキスをしたのは初めてだよ」 いつの間にか見つめ合っていた二人だったが、伊吹は静かな動作で永遠の髪をすいた。 耳にかかる程度のわずかな髪をゆっくりと耳にかけてその指で耳の裏をやんわりと押す。 反射的に永遠の体がピクッと揺れる。 その些細な動作こそ、伊吹は色んな女性と遊んできたのだろうと永遠に思わせる行動でもある。 永遠は耳に触れる伊吹の手をそっと押し払って、小さな溜め息をついた。 「もう…早く終わらせて今日は寝ましょう」 「そういう困った顔も可愛いね」 「そういう事言うのに百戦錬磨じゃないって言われても信憑性がないんですよね。」 「そうかな。素直な感想を言っただけなんだけど」 そう言って微笑む伊吹を永遠は一瞥する。 永遠の中で伊吹は完全にたらし認定だ。 その証拠にすべてが終わって部屋に戻る永遠を引き留めて、「キスしてもいい?」と平然と伊吹は聞いた。 「こういう事はもうしないんじゃなかったんですか」と言う永遠に、悪びれもなく「一方的な事はしないと言っただけで、キスをしないとは言ってない。」と言った。 確かにそうだけど、そういう事でもないだろう…と永遠はため息を吐く。 ここでキスを許すことは、伊吹の告白も受け入れる事になる気がすると伝えると、伊吹も少し思案して「確かに」と言い、けれど「じゃあそう思わないから」と笑顔で迫られて、墓穴を掘ったような気もする永遠は、「1回だけですよ」と了承してしまった。 昨夜とは違う触れるだけのキスだったが、それだけで満足したような顔を見せる伊吹に、永遠はやっぱりたらしだよなぁと思わずにはいられなかった。

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