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第17話

『それで、調子はどう?』 蘭子からそうメッセージが届いたのは、伊吹と一悶着があった翌朝の事だった。 調子を聞かれても、良いとか悪いとかの以前の問題がある。 「好きだ」と言われた事を言うべきか。 でも、言ったら言ったで危機管理がなってないと怒られるのは目に見えている。 そもそもあの状態で危機管理がどうとかってあるのだろうか。最初からあまり良い顔をしていなかった蘭子だから、ほら見た事かと言うに違いないけど。しばらく携帯の画面を眺めていたが、返す言葉が見つからずにベッドに放り投げた。 「…どうしようかな…」 一人ごちるも答えは出ず。 ――だって俺は、君が好きだもの 伊吹の言葉が頭の中で反芻される。 あれは、どういう意味の好きなのか、などと考えるには及ばない。 キスする意味の好きが、恋愛以外にあるのだろうか。 伊吹は同性愛者だったのだろうか。 でも、昔は女遊びが凄かったと噂で聞くし、伊吹の発言等を鑑みると、多分セクシャリティはノーマルだろう。 それなのに何故、伊吹は永遠が好きなのか。 いつの間にそんな感情を持っていたのか。 「うぅぅ…聞きたいけど、聞きたくない…」 これだけあからさまな好意を向けられた事がないので、どうしていいのか分からない。 分からなさ過ぎて、昨日伊吹にキスをされて告白までされた時は、頭の中がパニックになって「もう寝る!」と言って部屋に逃げこんだ。それで眠れるわけがないが。 逃げた永遠を伊吹が追ってくる事はなかった。その時はありがたいと思ったが、時間を置いてしまうと、今度はどういう顔をして会えばいいのか分からない。この先どうなるにしても、顔を合わさずにいられるわけではないのだから。 それでも仕事にも行かなければならない永遠は、意を決してベッドから飛び起きた。 リビングに降りると、いつものソファーに伊吹の姿を見つけた。後ろ姿だが新聞を広げているので何をしているかは分かる。新聞に集中しているのか、永遠が降りて来た事には気付いていないようだった。 「…おはようございます」 「あぁ、おはよう」 振り返った伊吹の表情には昨日までと違ったところは見られない。それはある意味では不自然なくらいに今まで通りの伊吹だ。 昨日の事がまるで無かったかのような状況に、無闇に掘り返す事も出来なくなった永遠はその場で固まってしまった。 「今日も朝ご飯は出来ているけど、もう食べる?」 「あー…そうします。コウさんはもう?」 「いや、俺もこれからだ。」 「じゃあ、一緒に…」 「君が嫌ではないのなら。」 「…嫌ではないですよ」 昨日の事があるからわざわざそう聞くのだろうか。だとしても、それを確かめる勇気はない。 「良かった。じゃあ用意するから先に顔でも洗っておいで。」 「はい…」 伊吹がキッチンに消えていくのを、永遠はなんとも言えない表情で見送る。 どういう顔で会えばいいのかと悩んでいた時間はなんだったのかと、ある意味では拍子抜けだ。 もし伊吹が昨日の事を無かった事にしようと思っているのなら、永遠はそれに便乗するべきだが、それならば何故昨日あんな事をしたのかと責める気持ちも湧いてくる。それでもやはり、蒸し返すだけ薮蛇なのだろう。 伊吹に言われたとおりに顔を洗いに行き、気持ちのモヤモヤは晴れぬままにキッチンに向かった。テーブルにはスクランブルエッグにベーコン、トマトやレタスのサラダとパンなど、朝食にふさわしいものが並んでいた。 「朝からこんな健康的なご飯食べるの久しぶり。」 「今までどんな生活を送ってたの。」 「実家に居た頃は母親が作ってくれましたけど、家を出てからは朝は食べない事が多かったです。」 「本当に食に関心がないんだね。昨日のサンドイッチは食べられた?」 「はい。美味しかったです。」 実家では主に和食が多かったが、こういう朝食もたまには食べていて、それを懐かしく思った。こんな事でもなければ思い出す事もない些細なものだが、永遠にとってはそんな良い暮らしをさせてもらっていた事を両親に感謝しない日はない。 今は永遠と伊吹、二人でそういう食卓を囲み、朝食を食べている。そんな細やかな幸せな時間に、昨日の事は持ち出すべきではないかと永遠は思っていた。 「それで、昨日の告白なんだけど」 スクランブルエッグをスプーンですくいながら、伊吹は言葉を続ける。 「永遠の答えがどちらであっても、モデルの件は継続してもらいたいんだけど、構わない?」 唐突にその話題に触れて、永遠は「え…あ…」と挙動不審な言葉を漏らした。 「正直に言うと君を初めて見た時から君に惹かれてたんだ。だから神部さんにも無理を言って、君に名刺を渡してもらった。脅しみたいな事をしてまで、仕事を受けてもらおうとしたのも、つまるところ君との繋がりが欲しかったからだ。」 「…そ、そうですか…」 「君にモデルを頼む時に、君じゃなきゃ意味がないと言っただろう。それに君はなんでか聞いてきて、一番まともな理由は君がモデルをやれば売り上げが出るから言ったね。でも、どの理由を差し置いても俺が君に惹かれた事が一番なんだ。そうでなければ君にモデルを頼むとしても、脅してまでの執着があったかは今の俺には分からない。」 皿にスプーンが当たる音がする。 伊吹は何度もスクランブルエッグをすくっているが、それを口には運ばなかった。 こんなにも淀みなく話しているが、心の中は意外と平穏を保ててはいないのでは…と、永遠は皿の上で遊ぶだけのスプーンを眺めながら思った。 「仕事をプライベートの色恋の餌にするなんて、本来ならやるべき事ではない。気持ちとしては至って純粋だが、プライベートを仕事に持ち込んだ事を考えたら、まともとな理由とは言えないだろう。だが、きっかけはそうであっても、君をモデルに起用する意味はあると思っている。一度契約した以上は、モデルは続けてくれると助かるんだけど。どうかな。」 永遠を見る伊吹の目はひどく真面目なものだった。 昨日の告白の気持ちも、仕事の契約も、いい加減な気持ちで言っているのではないと、その顔を見れば分かる。 「モデルの事は、コウさんがいいのであればこのまま引き受けます。一度受けたものを簡単に破棄するのは俺も好きじゃないので…」 「良かった。正直、断られるんじゃないかと思ってたんだ。」 「それは…」 「その言質が取れれば俺に怖いものはないんだよね。」 「……ん?」 伊吹の表情が駒をひっくり返したかのように瞬時に変わる。 それは真面目なものからひょうきんとも言える程の笑顔へと。 「君の事を諦めるつもりはないから、君が俺とどういう関係を望んでいようとも、俺は俺の好きなようにやらせてもらう。」 「え、な、ちょっ…!」 「だけど昨日みたいな事は今後しない。あれはまぁ、君に俺の本気を知ってもらいたくてやった事だから。君が俺の告白を受け入れてくれるまでは手を出さないと約束するよ。」 手を出されないならいいのか。 でも、好きなようにやるっていうのは、どういう事をなのだろうか。 恋愛事には疎いまま生きてきてしまった事が、こんな状況になって大いなる混乱を招く。同じ年頃の男の人なら、相手が男性だとか女性だとかそういうのを抜きにしても、もっと上手くやるのだろう。 やっぱりこれは、蘭子に相談すべきだな…と永遠は静かにため息をついた。 朝食を食べ終えて片づけを永遠が引き受けると、伊吹は先に出勤するからと少し早足に出て行った。 もしかしたら、永遠とこの話をしたくて時間を取っていただけで、仕事の時間に余裕があったわけではないのかもしれない。伊吹がけしかけてきた事とはいえ、少し申し訳ない気持ちになった。伊吹は伊吹なりに、永遠の事を気遣って自分から声を掛けては来なかったのだろうから。でも、そう考えると、食事中に真面目に話していた時のあの仕草は、やはり少し動揺していたのじゃないかと思うと、可愛いところもあるのだなと永遠は無意識に微笑んだ。 片付けを終えて出勤の準備をする前に、永遠は携帯を持ち出して蘭子へメッセージを送る。 『仕事の方は多分順調。だけど、別件で相談したい事が出来た。ご飯行かない?』 そう送って返事が来るまでに家を出ようとしたが、返事は瞬時に返ってきた。 『絶対に行く。今日の夜、いつもの場所で。』 この返信を見て、やっぱり蘭子は頼もしい姉だな、と苦笑する。 『じゃあ、いつもの場所で、夜7時に。孝之も呼んでいいよ。』 そう返したら、『孝之は呼ばん。』と返ってきた。 いつもなら言わなくても呼んでいたりするのに、何かあったのか?と首を捻る。が、蘭子が呼ばないと言うのなら、まぁいいかとそれ以上は追及しなかった。 夜7時、いつもの居酒屋に先に着いたのは永遠だった。 小腹が空いていたので、カウンター席に座り、串とビールを頼んで少しだけ腹を満たしながら蘭子を待った。 30分前に会社を出たという連絡があったので、そんなに長く待つ事もないだろう。 居酒屋の大将が暇そうにしている永遠にそれとなく話しかけてくる。 常連で顔見知りなので本当に他愛もない会話しかしていないが、そういう会話をするのは大将となら嫌いではない。黙っていると少し強面だが、一度話してみるとかなり気さくな人だと知った。頼んでもいない串を勝手に渡してくるが、永遠が好きなものだと知っているし、それをまけてくれるので永遠も何も言わずに受け取る。一人待ちしている時だけの特権なので、おかげで一人でいる時間も随分と楽しく過ごせた。 「永遠、蘭ちゃんはいつ来るって?」 「多分もう少ししたら。さっき会社出たって言ってたから。」 「じゃあそれまではおじさんが相手してやるからな。」 「大将優しいなー」 永遠と大将がじゃれ合っていると、永遠と一人分の席を空けて座っていた男性が「僕の相手はしてくれないのー?」とわざと不貞腐れていた。 スーツ姿ではあるが、少しよれていて、毎日歩いて営業を回っていますといった出で立ちだ。見えはしないが、靴底はすり減っているのだろうなと思わせる。 風貌は比較的乱れているものの、酔い方はそうでもなさそうなので、永遠はその人が大将に絡んでいるのを笑って見ていた。 「俺は可愛い子の相手はするけど、寂れたおじさんの相手はごめんだね。」 「ひどいなー。差別はいけないんだぞ!」 「差別もしたくなるだろうが。比べてみろ、自分と隣にいるべっぴんさんと。」 「えー?」 大将に言われて永遠を見た男性は、目を何度か(またた)いてから、「これは無理だー」とテーブルに勢いよく伏せた。 「べっぴんさんもべっぴんさんじゃないかー。君いくつ?」 「29です。」 「えー!全然見えない!いっても24かそこらだと思った!それなら僕と2つしか変わらないよ。」 「ということは31歳?」 「そー。」 31歳のわりには少し老けて見える。見栄えだけで言えば35歳は超えていそうで、それは多分、寂れたスーツや乱れた髪型、背負い込んだまま随分と根付いていそうな疲労感のせいだ。あと2年後に自分が同じ状況になっているとは到底思えず、この人は一体どんな仕事で無理難題を押し付けられているのかと心配になる。 「いいなぁ。僕も君みたいな外見だったら、女性にモテて仕事でちょっとやらかしても次から気を付けてね♥なんて優しく言われて終わりなんだろうなぁ。」 「そんなことないですよ。同僚からはわりと本気で怒られてますし。」 自分の外見がどうであれ、佐江は永遠に容赦なく怒る。佐江がそういうキャラではないというのもあるが、そうであっても決して語尾にハートマークがつくような優しさを見せる事はないと思う。 「本当にー?君はなんの仕事をしてるの?」 「インテリアデザイナーです。」 「またおしゃれーな仕事だねぇ。」 「いやいや…そちらは何を?」 「んー、僕は化粧品を売ってるのー。色んなお店回って、うちの商品置いてくださいってやつ。まぁ、専門店も出てるんだけど、そういうところって入りにくいじゃない?値段も高いんだろうなーとか思うし、買わなきゃ出られないって思ったりするじゃない?だから大型のショッピングモールに出店したり、街のドラッグストアとかで安価で手に取りやすいシリーズだけ置いてもらったりしてるわけ。それで、僕はそのドラッグストア巡りをする営業の人ってわけだ。」 「へぇ…大変ですね。」 「そりゃあもう、大変だよぉー。断られるのが当たり前って世界で生きてるからね。やっぱり分かっちゃいても心は折れるってやつだよ。」 「営業ってそうですよね……その化粧品って…」 「あぁ、はい、これ。」 そう言って男性が鞄から取り出したのは化粧品のサンプルだった。 一週間分のお試し用だが、そのサンプルの袋には企業のロゴが印字されており、それは最近よく見るようになったロゴマークだった。 「これ、確か…SUMERAGI、ですよね?」 「おっ、そうそう、よく知ってるね。男の人で知っているのってそう多くはないんだけど。」 「知り合いにここの商品に詳しい人がいて…」 「へぇ、そう。あ、彼女とか?女の人は結構使いたがるみたいだからね。」 「あ、いや…」 「でも君みたいに綺麗だと、女の人も気負いしちゃいそうだねぇ。自分より綺麗な男と付き合うなんて女の人からしたら屈辱みたいなもんじゃない?」 「…どうなんですかね。あまり、そういうのは経験がないので…」 「えぇ?そうなの?嘘だよ。こんなに綺麗なのに?」 そう言って男が永遠の顔に手を伸ばす。だが、その腕を大将が箸で叩いた。男は「いいじゃん少しくらい!」と抗議したが、伸ばした手は引っ込められた。 永遠は持っていたサンプルを男に返すと、引き換えに名刺を渡された。 その名刺にはやはり伊吹と同じ場所に会社のロゴが入っている。 「田垣(たがき) 信二(しんじ)って言います。以後お見知りおきを。」 「蓮見永遠です。」 「名前も良い名前だねぇ」 永遠が差し出した名刺を見て、田垣は「しかも名刺もおしゃれ。」と褒めた。名刺はインテリアデザイナーとしての自分をアピールする一つとして、永遠が自分でデザインした模様が縁取られている。佐江のは佐江が自分でデザインして作っているので、一貫してこのデザインなわけではない。稀に名刺を見ただけで仕事をくれる企業もいるので、名刺と言えど侮れなかった。 「営業だとインテリアデザイナーとはあまり接点がないんだけど、お友達としてよろしくねー。」 田垣が握手を求めようとすると、その手を大将が叩き落とし、「やめておけ。こんな男は。」と言うので、永遠は思わず笑ってしまった。田垣は不満を露わにしながらも、やはり手は引っ込めていて、痛そうに甲を摩っていた。 その頃になってようやく蘭子がやって来て、永遠が楽しそうにしているので「なになに、どうしたの?」と永遠の横に座って大将と永遠の顔を交互に見ていた。 そんな蘭子を見た田垣が「また美人さんが来た!」と言って名刺を渡そうとするので、その手を今度は永遠が叩き落とした。 田垣は「大将がそんな事するから蓮見くんまで僕を叩くようになったじゃないか!」と抗議したものの、「それはあんたが悪いんだ。」と一蹴され、田垣は再びテーブルに顔を伏せて項垂れた。その後も何やらうだうだとくだをまいていたのだが、大将がテーブル席に移れと永遠に言ってきたので、田垣の事は大将に任せて蘭子とテーブル席へと移動した。 「あの人大丈夫?」 「大丈夫じゃない?大将は知り合いっぽかったから、常連の人なのかも。」 「ふぅん。で、名刺までもらっちゃったわけね。」 「挨拶程度だよ。」 田垣の名刺を蘭子は怪しむ目つきで見ていたが、永遠は田垣に対してそんなに嫌な感情は覚えていない。蘭子の心配は、永遠に忍び寄る悪い虫の影に対してなのだが、永遠はその事には気付かない。田垣がそういう性志向かどうかは分からないが、同性愛なんて珍しいとは蘭子は思わなくなっていた。それはあらゆる例外を作り上げてきた男が目の前にいるせいだ。 当の本人がそれを自覚していないのは問題ではあるが、段々その事を本人に指摘するのも無意味だと諦め始めた。 「皇さんとの仕事の方は、今のところは順調で良かったよ。」 「まぁね。と言ってもまだ数日しか経ってないから、これで問題があるようじゃどうにもならないけど、やっぱり何かと良くしてもらってる事の方が多いし。」 「そう。永遠がストレスなく過ごせてるならいいのよ。それで、相談したい事って?」 「あー…いやぁ…」 「なによ。」 「怒らないで聞いてほしいんだけど…」 そう前置きをしてから、永遠は伊吹に告白された事を告げた。だが、前置きをしたところで意味はないんだろうと思っていたのに、永遠の想像とは違い、蘭子は多少眉間に力を込めてはいたものの、怒りをあらわにはしなかった。それどころか、「…まぁ、そうだわね。」とその状況に理解を示したのだ。 「え、なに」 「皇さんが永遠に仕事を頼みたいって言った時点で、薄々勘付いてはいたのよ。取材中も永遠の事を聞いてきたし、永遠が顔を出した時も興味ありそうだったものね。」 そして今までの経験から、蘭子には永遠に興味を示す男を敏感に察知する能力が備わっていた。そうでもなければ永遠に近付きたいが為に、蘭子に話しかけてくる輩に蘭子自身が纏わりつかれるからだ。社交性は蘭子の方があったので、近づくのならいきなり永遠に話しかけるよりも、蘭子と仲良くなる方が永遠から信頼されやすいと考える男は多かった。それで永遠もその気になるタイプだったのなら、多少の架け橋くらいにはなっただろうが、そういう事には興味を示さず、新たに人と関係を築く事を嫌がっていた永遠の為にも、その架け橋がかかる事はなかった。それは男女問わずの話だ。 だから伊吹が蘭子に名刺を渡してほしいとお願いしてきた時は、まずは断ろうと思った。仕事だけなら仲介しないでもない。でも、伊吹は間違いなく永遠に興味を持っている。なら、蘭子には断るの一択しかない。それなのに断り切れなかったのは、伊吹の言葉があまり強引ではなかった事と、伊吹という人間性がそうさせたのではないかと思う。 女遊びをしていたと噂がある男のどこに良い人間性が垣間見えたのかは自分でも疑問が残る。だが、取材をしていても、その前から何度か連絡を取っていた時も、伊吹は自分の立場を鼻に掛けたりはしなかった。社長という立場なら、むしろそれを行使しても良かっただろうに。 そういうところで妙な信頼を抱いてしまったのだ。 ただ、だとしてもわずか数日で伊吹が永遠にその気持ちを暴露するとは思っていなかった。 「それで、永遠はどうするの?」 「どうするって…どうにかしなきゃだめだよねぇ、やっぱり。」 「それはそうよぉ。交際するにしても、しないにしても、答えはいずれは出さなきゃならないわよね。」 「でもコウさんは付き合いたいとか言ってたわけじゃないんだよね。」 「コウさん?」 「あぁ、皇ってコウって読めるでしょ。だからコウさんって呼ぶ事になった。」 「へぇ…仲が良いのね…」 「皇さんって呼ぶと距離感があって嫌なんだって。」 「好きな人にはその人にだけ呼んでほしい名前があるっていうのは分かるわ。あの人も結構普通の事にこだわるのね。」 永遠にもそんな記憶はある。「永遠くん」から「永遠」と呼ばれるようになった時は、何かを許されたような気がしたものだ。それは確かに、他の人よりも傍に居ても良いのだと、ここは君の居場所だよと、そう言われた感覚だった。それを伊吹も求めていたのだと思うと、可愛い一面を見たようで少し微笑ましくなる。 蘭子が来てからまだ何も頼んでいなかったのに、大将が蘭子用にビールと串を何種類か持って来た。毎回頼むもので、今日も頼む予定だった蘭子は「ありがとー!」と言って串を頬張った。ついでに永遠には卵焼きを焼いてくれた。 「でもあれね、意外と永遠もそんなに抵抗がないのね。」 「え?」 「皇さんに好きだと言われても、同性だから無理とはならなかったわけでしょう?永遠はゲイじゃないもの。本当だったらそういう断り方をしてもありだとは思うわよ。偏見と自分の身に起きた事象は別物よ。同性愛者を拒絶するのは偏見だけど、永遠が同性を好きにはなれないというのは偏見じゃないでしょう?それはセクシャリティの問題だもの。逆に同性愛者に異性を好きになれと言っても無理なのと一緒よ。だから、永遠にそういう可能性がないのなら、皇さんをそういう理由で断ってもいいとは思うのよ。だけど、意外とそういう発想はなかったんだなって。」 「あれ?そうなのかな。」 「だって迷っているんでしょ?だから私に相談してきたんだと思うし。最初から断るつもりなら、私に相談する前に断ってるわよ。迷っているって事は皇さんには全く可能性がないというわけでもないのね。」 串を咀嚼しながら蘭子は言う。その美味しそうな食べっぷりを眺めながら、果たしてそうなのだろうかと永遠は考える。 迷っては、いる。 断る理由と断らない理由を考えたら、どちらとも理由はある。伊吹と出会ってまだ数日。運命的なものを伊吹は感じていたのかもしれないが、永遠はそういう感情は抱いてはいない。 かと言って嫌いなわけでもなければ、どちらかというと好きな方だ。ご飯を作ってくれるからという理由だけではなく、伊吹の持つあの雰囲気が好きだ。大人の男の人らしく、強くて頼りがいのありそうなところ。そして何より包容力がありそうなところ。押し付けがましくなく、何の時でも永遠の意向を聞いてくれる。だけど、昨日のあの行為だけは、伊吹の持つ情熱的なものであって、押し付けられたというよりは、奪われたという感覚だ。そういう一面も持っているのだ。どれが本当の伊吹かと問えば、全部本当の伊吹なのだろうが、矛先が自分に向いていたとしても、そんな彼を意外だと思ったが、嫌いにはならなかった。 でも、永遠はその伊吹に、伊吹と同じだけの熱量で返せるのだろうか。 蘭子は伊吹にも可能性がないわけじゃないと言ったが、永遠の中では、そこまでまだ前向きな考えを持てそうにはなかった。

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