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第1話 オカシモ
オカシモってさ、習ったでしょ? 避難訓練の大事な法則。押さない、駆けない、しゃべらない、そんで、戻らない。
俺にも、俺専用の恋オカシモがあるんだけど。一般的な避難訓練用のオカシモとはちょっと違う。
落ち着け。
カッコいい奴ほど気をつけろ。
しゃべりやすい奴も気をつけろ。
もう少し、待て。
これ。
この「オカシモ」を守らなかったばっかりに、ついこの前も号泣したばっかりだ。
男運ないんだよねぇ。だからフラグが立つとすぐ前のめりで突っ走っちゃうんだ。わかってるけどさ。わかってるけど、シミュレーションどおりになんて、いかないものなのかもしれない。恋でもなんでも。
「そんなわけで、新スマホゲームの作成に伴う業務拡大のため、須田(すだ)君、急で申し訳ないんだが、明日から業務管理課に移動してもらえるか?」
「は、はぁ」
「いい返事をもらえてよかった」
いや、けっこう今の返事は微妙だったと思います。副社長。なんてことを言えるわけもない。社命だし。
「大変だと思うが、頑張ってくれ。期待しているぞ」
そして、本日、判明した新しい真実。
俺は、男運はないけれど。貧乏くじを引き当てる運は持ってるらしい。
けど、思い返してみればそうだったかもしれない。クラスの委員会決めとか一番面倒で雑用ばっかのクラス委員とかさ、あ、あと、文化祭委員の委員長とか、そういうの「どうぞどうぞ」なノリで皆が遠慮するようなやつは、くじ引きで大概俺が引き当ててた。
男運も悪い。付き合った男全員に、二股をかけられて、乗り換えられてさようならってされる。全員だよ? 数人でも、たったひとりでもダメージでかいのに、付きあった男全員に漏れなく二股をかけられるって奇跡でしょ。こんな奇跡ちっとも嬉しくない。
ゲイで、男女の恋愛以上に相手見つけるのも、それが恋愛に発展するのも大変なのに毎回これで別れられるって、俺ってどんななんだよって落ち込むよ。
「あ、おかえりー。須田がやっぱり異動になるのか。そうか、頑張れよ」
「あー、はい。ありがとうございます」
同じテスト課の先輩が餞別だって、まだ未開封のガムが入ったボックスをくれた。
「大変かもだけど、須田なら出来ると思う」
「あー、あはは、ありがと」
できるよ! じゃなくて、できると思うっていう予想なのが気になるけど、隣のデスクにいる同僚、福田(ふくだ)に苦笑いで答えると、餞別にって、ジュースをくれた。今日のおやつで飲もうと思ってたんだって。これ、飲めるのか? ピンク色してるけど? ホンワカピンクとかじゃなくて、本当に本物のドピンクだけど? フルーツミックスフレーバーって、味でもないの? 香りがそうってこと? 果汁ピンクのくだものって、なんだろ。
俺、思いつかないんだけど。
「……お疲れっす」
「あ、はい。ありがと」
最後はアルバイトで週三やってくる専門学校生に声だけかけてもらった。
「とりあえず、挨拶だけしてきたら? あの人、持田さんとこ」
「あ、そうですね。ちょっと行ってきます」
一礼して、今、餞別としてもらったガムひと箱とドピンクジュースのペットボトルを自分のデスクに置くと、新たな職場へと向かった。
務めて、もう四年になる。
憧れのゲーム開発がしたくて、そういうのが勉強できる専門行って、新卒で今の会社に入った。同期はさっきドピンクジュースをくれた奴も合わせて十人。けど、四年後の今、残っているのは三人だけ。同業種の別会社に移った奴もいるし、この業界から去った奴もいる。こういうサブカル業界って移り変わりの激しいほうだから。その中でもうちの会社は大きいほうなんじゃないかな。ビジネス部門も多岐にわたるし、従業員も直接雇用だけで百人以上いると思う。
そんな企業のテスト課、つまり、ゲームの動作確認を主な業務としている部署で、のんびり和気あいあいとやっていたわけだけど。明日からは――。
「あ、あのぉ」
明日からはここが、俺の職場になる。
「……何?」
テスト課の面々にたくさん労われるほどの、そして、今生の別れのように手を振られる新職場。なぜ、そんなに悲痛な顔をされるのかというと。どうして、たかが移動ごときで、俺が「貧乏くじ」だけは引き当てらえるんだと確信したかというと。
「明日からこちらに移動することになりました。須田祐真(ゆうま)です。どうか、宜しくお願いいたします」
「……」
ここが、地獄のギョウカン、と呼ばれる、業務管理課だからだ。
「あ、あのぉ……」
無言が……怖い。そう思って、顔をそっと上げたら、もっと怖い顔が俺を睨んでいた。
「まったく。新ゲーム対応のためって、今までだって私が、ひとりで、対応してたのになんで急に、こんな……」
無言も怖いけど、めっちゃ聞こえてくる小言も怖い。
「……貴方さ」
「は、はい!」
地獄のギョウカン。職務内容は商品であるゲームアプリ、それと、他にも色々取り扱っているコンテンツがあるんだけど、その全業務が滞りなく進んでいるかどうかを確認し、管理する仕事、である。
働いてるのはたった一人。
けど、この仕事をひとりでやるってさ、けっこう大変だと思うんだけど。
「今、どうか! 宜しくお願いしますって……言ったわよね?」
「は……い」
「言ったわよね」
なぜ、全業務の管理なんて大変なことをひとりが担っているかというと。
「い、言いました」
「言ったのね」
この人、持田ふう子。名前は可愛いんだけど、顔は……お世辞ですら可愛いと言えない、お、お、鬼婆みたいな、顎もしゃくれてるし、般若みたいな顔をした、持田ふう子。
通称、もったいブリ子が。
「ねぇ! どうか、っていうのは強い依頼、頼みごとの時に使うの。貴方、今私に、仕事頼んだ? 頼んでないわよね? 挨拶しに来たのよね? それなら、どうぞ、でしょ? 丁寧な挨拶に使うのなら、どうぞ! 宜しくお願いします、でしょっ?」
もったいブリ子が強烈すぎて、誰も長続きしなかったからだ。
「まぁ……いいわ。明日からね。わかりました」
「よ、宜しくお願いします」
「はい」
そして、なんだか睨まれた。すげぇ、元から般若顔なのに睨んだら、もうそれ本物の鬼じゃん。
「し、失礼しました」
しかも、挨拶しただけなのに、怒られた。
「……はぁ」
部屋を出た途端安堵の溜め息が自然と零れた。
いやぁ、ここまで地獄だとは思わなかった。すげぇ睨まれたし、すげぇ威圧だったし、すげぇ……顎しゃくれてたな。
「……」
あの人と、ふたりで仕事かぁ。
「はぁ」
できるかな。とりあえず、今日の昼飯後に人事異動言われてよかった。この後昼飯とか、ガクブルしすぎて喉通らない気がする。
どうしよ。どうにかなんのかな。ならなさそうだけどさぁ。けど、会社の社命なんて断れるわけないじゃん。「はい」って頷く以外の選択肢なんてないじゃんか。もったいブリ子風に言うのなら、「してくれるか? って訊いているようだけれど、でも、社命ならば、それは命令でしょう? 社、命、ほら、命令のメイの字があるもの」って感じ?
あれじゃ誰も続かないよ。もう貧乏くじっていうか、地獄くじだ。
ひとり俯きながら、扉を閉めてから、また連続するように溜め息が零れた時だった。
カツーン、って、革靴らしい足音がして、パッと顔を上げた。
「……ぁ」
そこにいたのは、俺と、福田、それと、今もここに残っている、たった三人の同期のもうひとり、土屋(つちや)がいた。
俺、あんまり苦手な人っていないんだ。誰でもいいとこがあって悪いとこがあるだろ? だから、もったいブリ子にしてもさ、先入観は良くないって思うんだけど。でも、この土屋はちょっと苦手だ。
テスト課でのほほんと仕事をしていた俺と福田、とは対照的に、今、営業一課でバリバリ仕事をこなしてる土屋はちょっとさ、違う世界の人だなぁっていうか。
話したこともないし。
話合わなさそうだし。だから――。
「明日からギョウカンなんだって?」
「へっ? ぁ、うん、あっ、はい」
だから、ちょっと苦手なんだけど。
「大変だろうけど、頑張れよ」
「……」
「これ、やるよ。餞別」
「……ぇ?」
けど、その時、手の中に押し込まれた飴が可愛い? のかな、変な顔の苺星人が微笑むパッケージで、なんか、ちょっと意外でびっくりした。
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