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第2章 スポーツ!(5)

 それからの二週間は、怒涛だった。旗のチームデザインが決まったのを皮切りに、手芸部総出で旗の製作が行われる。完璧主義の花田部長の指揮のもと、それぞれのチームのモチーフが刺繍された旗は、本格的な仕上がりになった。徹夜続きだったせいか、手芸部の中では何人もの犠牲者が出たけれども。俺は俺で、生徒会の仕事をこなしつつ、夜は手芸部に出ずっぱりで、普段の睡眠は授業時間内に確保しする、という生活を送ることになった。こんなにがんばったの、人生で初めてかもしんない。  会長は会長で、日に日に眉間の皺が濃くなって、生徒会室の会長の机の上に、栄養ドリンクの空き瓶が積み上がっていった。愚痴を零す暇さえ惜しいのか、終始無言で書類に取りかかっていたように思う。さすがにこの時期には他の役員も顔を出していたけれど、逆に、今さら任せられる仕事もなく、結果的に剣菱くんを構っておしまいだった。恋に運命を狂わされちゃったこの人たちでも、体育祭の本番は本来の力を出してほしいな、というのがささやかな俺の願い。  「鈴宮」  体育祭の前日も、準備に廊下を奔走していたら、不意に声をかけられて立ち止まる。静かで落ち着いた低音は、俺の癒しこと、久遠くんのものだ。昼飯をゆっくり食べる暇もなかったから、顔を見るのが久しぶりな気がする。 「久遠くん!」 「さすがに、忙しそうだな」 「明日本番だしね、それなりに」 「身体は壊すなよ。……最近、無理してるだろう」  うーん、さすがにお肌に出てきてるかなあ。顔には出さない自信があったんだけど、久遠くんに言われると心配になる。片頬を擦って眉を下げると、久遠くんがふっと笑った。それから、何かの包みを取り出して、差し出してくる。緑色の風呂敷みたいなそれは、すでに見慣れた、久遠くんの弁当セットだった。 「え、いいの?」 「ここ暫く、食わせてなかったからな」 「そんな人を犬みたいに……でもすげーうれしい」 「餌付けには、味と頻度が大事らしい」 「へえ、……え?」 「じゃあな」  餌付けってどーゆーこと、なんて突っ込む暇もなく、久遠くんは弁当だけを残して片手を挙げて去って行ってしまった。うーん、やっぱりクール。  ありがたくいただいた弁当の中身は、おにぎり3つとからあげ、甘い卵焼き、具だくさんの煮物、きんぴらごぼうとみかんという見事なおふくろの味だった。仕事をしながらそれを食べて、うるっと来てしまったのはナイショである。  放課後ともなれば、学校の外も、中も、体育祭のムード一色だ。オレンジ色の夕焼けが窓の外から差し込む時間帯、俺は明日の最終チェックをしていた。チームキャプテンや実行委員との最終打ち合わせも終わり、あとは何事もなく明日を待つだけ、という状態にしておきたかった。来賓に配る資料や、参加賞の数等を生徒会室で確認していると、扉が開く音がしてそちらを見る。会長だ。 「おつかれっすー」 「ああ、おつかれ」 「うわテンションひく」  会長はこちらを見ることもなく顎を引き、低い声を出した。相変わらず、げっそりしている。資料を取りに来ただけのようで、栄養ドリンクの残骸の散らばる机の上からプログラムを取り出すと、会長は再び扉へ向かった。 「かいちょ、」  夕焼けに染まる会長の顔は、いつもの不機嫌そうなものとは違っていた。思わず呼びかけると、会長が振り返る。 「なんだ」 「明日、本番っすね」 「そうだな」 「倒れないでくださいよー、会長が倒れたら、学校崩壊の危機かも」  笑いながら言ったけど、あながち冗談じゃない。今の役員の顔が頭を過ぎって、自分でも怖くなった。会長は少し考えるような素振りを見せて、それから、俺に少し近づいてきた。距離が縮む。 「鈴宮」 「はい」 「俺は今疲れてる」 「へ?」  あ、会長が弱音を吐いている。なんて考える間もなく、間の抜けた声が出た。会長がさらに近づいたと思ったら、背中に腕が回って、ぎゅうと抱きしめられた。衣替えしてワイシャツ一枚になった制服は、会長のがっしりとした筋肉を、こないだ俺から抱き着いたときよりも感じさせてくれた。……別にそんなの、いらないんすけどお。 「ど、どしたの」  戸惑って問いかけるけど、会長からの返事はない。ただ俺の肩に顔を埋めて、大きな背中を丸めているだけだ。雫がよく抱き着きたがってくるのとは、また違う気がした。肩にある黒髪を見つめて、俺は少し考える。考えて、ゆっくりと腕を腕を上げた。そのまま、会長の頭を、ぽんぽんと叩くように軽く撫でる。 「よしよーし。……会長、ちょーがんばってるよ」  ついでに、背中を撫でてあげる。生真面目で堅物で強がりで唐変木な会長だけれど、たまには甘えたくなるときもあるんだろう。最近、余裕がなさすぎてるし。わかるわかるー、と勝手に心の中で同意してみた。 「おつかれさまー」 「馬ァ鹿」  せっかくの労りの言葉を、一蹴されてしまう。そんなんだから女の子にモテないんだよ、なんて本音は、背中に回された腕の力が強くなった所為で言えなくなった。大きく、息が吐き出される。  ――会長が回復するまで、そのまま暫く、じっとしていた。  別にいやじゃなかったのは、俺自身がスキンシップに慣れているから、だと思う。きっとそうだ。  ――『号外! 体育祭の準備ではぐくまれる恋』と題して、俺と会長が抱き合っている写真が一面に載った、裏バージョンの新聞が配付されていたのを、俺と会長が知るのは体育祭が終わった後のことになる。  いよいよ明日は、体育祭だ。

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