22 / 73
第2章 スポーツ!(6)
どこもかしこも、浮き足だっている。まるでこの日のことを祝うように、空は雲ひとつなく晴れ渡り、爽やかな初夏の風が凪いでくる。体育祭の決行を知らせる花火は、早朝の段階で島全体に響き渡った。本格的な花火師を呼んでの打ち上げで、太陽が出る前の白んだ空だけに浮かぶのは、勿体ないくらいだ。
学園の雰囲気も、体育祭一色になっていた。屋上から下ろされた縦長の弾幕には、各チームの色の生地の上に、それぞれのスローガンが筆文字風に縫われている。ちなみにチームは、赤、青、黄、桃、緑の五色に分けられている。俺は去年は無難に黄色だった。今年は役員のため、スペシャルサポーターとしての参加になる。
「今年はずっと本部席かー」
各国の国旗がぶら下がり、至るところにテントが張られている校庭の前の本部席で、開会式の準備をしながら小さく洩らした。それを聞いていたのは、同じように椅子を運んでいる剣菱くん。校章入りの半袖に紺色のハーフパンツという体操服姿も、やけに似合っている。腕にはしっかり、「生徒会」の文字が白抜きされている腕章をつけていた。俺もつけてるけど、ダサいからほんとは外したい。
「役員は競技に出られないんでしたっけ」
「クラスの表現とか個人競技には出られるけどー、チーム参加はなしだねえ」
「そっか……」
「あ、でも、剣菱くん助っ人頼まれてなかった? 応援合戦の」
「う……知ってたんですか?」
そういえば、彼は外部からも人気者だ。応援合戦の演出は、基本的にチームリーダーと実行委員が決めることになっている。その中で、剣菱くんを使いたいという打診が生徒会の方に来ていた。どこかのチーム所属、というわけではなくて、応援合戦全体の流れの中での助っ人として彼を使いたい。そんな内容だったけれど、正直よくわからなかった。色々いっぱいいっぱいだった会長が、「好きにしろ」と投げやりな返答をしていたのが印象に残っている。
「なんか練習もしてたよね。何すんの?」
「そ、それは……、本番までのお楽しみ、です」
口元に人差し指を当てて、しー、の形をとる。そういう仕草をすると、また副会長が……。
「ずいぶん楽しそうだな、鈴宮」
ほら出たー。ただでさえ、あみぐるみをあげて怒らせてるのにい。
「普通に準備してるだけっすよ」
「何の話をしていたんだ」
「ナイショの話ー、……なんつて」
剣菱くんの真似をして人差し指をしー、の形にすると、副会長の眉がぴくりと動くのがわかった。ああ怖い。日に焼けるのがイヤなのか、体操服の上に白い長袖のパーカーを着ている副会長は、これ見よがしに剣菱くんの肩を抱き、何事か囁いた。剣菱くんが赤くなる。その様子を見る副会長の目があまりにもやさしいものだから、なんだかこっちが恥ずかしくなってきて、俺は慌てて視線を逸らした。
「っと、うわ」
「気ィ付けろ」
と、どん、と誰かの胸元にぶつかってしまった。上から降ってくる辛辣な声は聞き慣れた会長のもので、ちらりと窺い見る。今日も相変わらず、顔色はよくない。
「会長、今日競技出るの?」
「ああ? そりゃ、個人戦はな」
「マジで? 走れる?」
「俺を誰だと思ってる」
「誰とも思ってないー」
っあだ、殴られた。体力自慢の会長といっても、今の状態で全力疾走するのは危険なんじゃないでしょーか。
なんて言ってるうちに、本部席の準備が終わった。千堂双子と平良くんも遅れてやってきて、剣菱くんといっしょにわいわいやっていた。
実行委員とチームリーダーを集め、当日の流れの最終確認と注意事項、最終連絡を行う。みんな、興奮や期待に満ちた瞳をしている。俺はただ、何事もなく終わるといいなあ、とかをぼんやりと思っていた。生徒会会計なんて、この日は、ただ本部席に座って滞りなく体育祭が進むのを祈るだけの仕事だ。……と、思ってた頃もありました。
開会式が、始まった。会長が壇上に立ち、開会の言葉を告げる。歴代の生徒会長も着用していた、白く長い学ランを纏った姿は(暑そうだけれど)、様になっている。舞台の上に立つ会長は、日ごろの疲れを見せず、真っ直ぐと立ち、一つ一つの言葉を堂々と言い放っていた。マイク越しに、低い声が響く。体育祭の始まりを告げる会長の言葉を、校庭に並ぶ全校生徒と、職員、そして集まった地域の人たちが静かに聞いている。俺も例外ではなく、本部テントの前に立ち、しっかりとその横顔を見つめていた。
――いよいよ、体育祭が始まる。
前哨戦として校内で行われた短距離走、商店街横断借り物競争、島内の公園のアスレチックを利用した障害物競争、そして住宅街の道路を借り切った二千メートルリレー(住宅街を二百メートルの区間に分けて、各チーム十人ずつが走ってゴールである学校の正門を目指す)等、午前中の競技は俺の願い通り滞りなく終わった。張り切り過ぎてケガ人は出たが、それはまあ例年通りである。借り物競争では、借りた選手と借りられた店主の間にあわやロマンスが生まれそうになっていたが、それもまあ珍しいことではない……と考えると、少し気分が曇るけれど。
いくら広くはない島だからと言ったって、本当に島全体を使うため、観客や待機生徒は、学校に残らなくてはいけない。この日のために特別に設置された、特大サイズのモニターで、生中継を見ることができる。応援の声は、現場にいる実行委員が持っているタブレットから逆中継で聞くことができるというわけだ。うーん、やっぱり金がかかってるなあ。モデルとか俳優も多数輩出しているこの学校の体育祭ともあって、そういう映像とスカウトが目当てで見に来ている関係者もいるらしい。
俺はというと、本部のテントの下に座って、のんびりと経過を眺めていた。一応、得点の記録も、係とは別につけておく。短距離走と学年の表現であるダンスしか出場しないことになっているのは、暇だけれど有難い。ここ最近、十分な睡眠をとれていなくて、本気で走ったら会長のことを言えなくなってしまうかもしれないからだ。
「鈴宮」
ちらりとモニターを見ると、次の競技に向けた準備時間だからか、放送委員が選手に向かってインタビューをしている様子が映し出されていた。あ、雫じゃん。上下ともに体操服を着て、額にピンクの鉢巻をまいているくせに、爽やかだ。悔しい。
「すーずーみーやー」
『いやあ、爽やか王子はやっぱり爽やかですねー』
『あはは、そんなこと言われたこともありません』
『またまたー。ピンクの鉢巻がこんなに似合う人、アイドルでもいませんよー』
『それは褒め言葉? それとも遠回しな嫌味?』
『もちろん褒めてますよー。さてさて、今回は制限時間内に繁華街のゴミをどれだけ集めることができるか!? という競技に参加していただきますが、意気込みのほどは?』
『萌えるゴミを見付けられるように、がんばります☆』
『ああっ、さすが爽やか腐男子天乃先輩! そうそう、この競技のゴミの中に、一つだけ高得点となる……』
「聞いてんのかゴルァ」
あだっ、殴られた。いいとこだったのにー。競技の説明とインタビューを合わせる放送委員の手腕に感動していたところ、急に暴力を受ける。顔を上げると、そこには風紀委員長の姿があった。
「何すかもー、暴力的ィ」
「ごめんね、大丈夫?」
「手前ェ何謝ってんだ鈴木」
委員長の代わりに、やさしく声をかけてくれたのは、風紀委員の副委員長だった。黒髪ショートヘアを軽く分けていて、声と同じく穏やかな顔立ちをしている。風紀委員の母、なんて、影で言われているのも納得、って感じ。
「理不尽な暴力はそりゃ謝るでしょ」
「ほんとっすよーもー委員長サイテー鬼畜眼鏡ー」
「手前が無視するからだろうが!」
味方がいると心強い。ここぞとばかりに罵ると、さらに言い返された。そりゃそうだ。
「で、何すか」
「各務はどこだ」
「会長? 競技の方行ってるはずっすよ、ゴミ拾いは範囲広いから」
そうだ、次に行われる競技も、セーフエリアが大分広い。ゲーセンや飲み屋が並ぶ繁華街を全体的に使い、玉入れならぬゴミ拾いを行う。たまに熱くなりすぎて通行人とトラブルを起こすやつが出てくるからと、見張りと牽制を兼ねて、会長はそちらに行ってるはずだ。
「連絡取れるか」
「取れるけど、何?」
「ウゼェんだよ、部外者が」
そこだけ、委員長は声を潜めて背後を見る。スーツを着込んだ男性たちが、生徒に話しかけていた。スカウトマンかな。
「スカウトの人って、容認されてるんじゃないの」
「見てるだけならな。今勧誘すんのは、明らかにルール違反だろ」
確かに、生徒は迷惑そうな顔をしている。ゴミ拾いが午前中の最終競技だから移動はないけれど、だからと言ってしつこい誘いをここで受けるのはいい気はしない。なるほどね、と頷いて、俺はスマホのアプリを起動させる。すぐに通話できる、優れものだ。
「かいちょー、聞こえますかこちら鈴宮ー」
『聞こえてる、どうした』
「なんか、風紀委員長がラブコールしたいって」
『切っていいか』
答える前に、風紀委員長にスマホを奪われた。
「んなこた死んでもごめんだ。部外者を追い払っていいか」
これだけ聞くと物騒だな。四角い箱を手にし、会長に向かって委員長が交渉を始めた。ちらり、と、スカウトマンの動向を見る。
「別に、一人二人だったら黙認できるんだけどねえ」
鈴木さんが、ぽつりとつぶやいた。気が付いて首を回すと、校庭のあちらこちらで同じ現象が起こっていた。
「わあお。みなさん必死っすねー」
「ねえ。イケメン揃いって噂、本当だったんだねうちの学校」
通りで目の保養になるわけだ、なんて鈴木さんはのんびりと呟いている。確かに、声をかけられているのは皆、整った容姿の持ち主だ。
「あ」
そしてその中に、見付けてしまった。
「俺ちょっと、行ってきますー。携帯、そこ置いといてって伝えて」
「うん。行ってらっしゃい」
委員長が、苦虫を噛み潰したみたいな顔をしている。会長とうまく意思疎通できないのかな。それとは対照的に穏やかな顔をした鈴木さんに見送られ、俺は歩き出した。
本部席から少し離れた校庭の隅に、彼はいた。例に漏れずにスカウトマンに、しつこく勧誘されている。こんなときに限って、彼のナイトはいないらしい。
「本当に、一目見てビビっときたんだ。中々いないよ、キミみたいな子!」
「え、えっと、俺……」
「まずは話を聞いてくれるだけでいいから」
「その話を聞くのがめんどいんですー」
今にも掴みかからんばかりの勢いで、スカウトマンに詰め寄られていたのは、ご存じみんなの剣菱くんだ。断るにも断れないみたいで、困りきった顔をしている。俺が話に割って入ると、スカウトマンはさすがに言葉を止めた。
「ていうかさ、この子今仕事中だから。勘弁してくれないかな、そういう難しい話」
さりげなく俺は剣菱くんの前に立って、彼の腕の腕章を指さす。この時間は、校庭と応援席、校舎裏の見回りを任せていたはずだ。お祭りの日に、非行は起きやすい。
「いやあ……君も中々のイケメンだね、どう? 興味ない、モデルとか」
「あっは、全然話通じてないー。俺も今お仕事中なんですー」
すごい、スカウトマンは目の色が変わって、今度は矛先を俺に向けてきた。ちゃんと、腕の腕章も見せつけてあげる。
「それに興味ないしね、モデルとか」
ちらり、と後ろを見る。委員長は、会長と話がついたようだった。
「どうして? 絶対いけると思うよ君だったら、女の子からきゃーきゃー言われちゃったりして」
「それが困るんだってば。有名になったら、自由に遊べないでしょ」
今よりさらに制限ができるとか……うう、考えたくもない。俺が言い切ると、スカウトマンは残念そうに息を吐いた。それと同時に、ピンポンパンポンと軽やかなチャイムが放送席から流れる。
「体育祭実行委員よりお知らせします。えー、生徒に話しかけている部外者のみなさんにご連絡です。……ええっ、えーと、『これ以上邪魔すると出入り禁止にするぞ』とのことです。繰り返します、……」
この攻撃的な文面は、委員長が書いたのかな……。目の前にいるスカウトマンは、「ええ、困ったなあ」と本当に困った顔をして、頭を掻いていた。
「あ、ごめんね。最後にこれだけ、もらっておいて」
自分の名前とプロダクションの連絡先が書いてある名刺を俺たちに渡すと、スカウトマンはそそくさと観客席に戻って行った。他のスカウトマンも皆、渋々とした足取りで校庭から出て行く。
「あ、ありがとうございました」
「いや、いいよ。断らなきゃダメだよ、ああいうの」
「そ、そうですよね」
剣菱くんは、すまなそうに俯いている。小動物を思い浮かべて、俺はその栗色の髪を、ぽんぽんと二回、撫でてやった。
「鈴宮さ……」
パシャリ。剣菱くんの声を遮って、シャッター音が響く。あー、いやな予感。
「ほんと、どこにでもいるんすねー」
「褒めてくれてありがとう」
「いや、褒めてないっす」
そこには、例の一眼レフカメラを抱えた新聞部の部長の姿があった。夏服の制服に、腕の腕章、分厚い眼鏡、と、いつも通りである。
「体育祭は萌えの宝庫だから。みんな、期待してるんだよ」
「つーかあんたなんで制服なんすか、参加してないの?」
「今日はね、見学なんだ。ちょっと風邪気味で」
嘘つけ! 撮影だけしかしたくないんでしょ、なんて、突っ込む勇気はない。
「僕も期待してるから。……この調子でどんどん、スキンシップしてってくれよ」
「暑いからねえ、どうだろうね」
「じゃあ」
この人も、人の話を聞いちゃくれない。俺の肩をぽんと叩いて、部長は次なるネタを探して歩き出してしまった。この人の本業はどうやら、雫が持っていた裏新聞の方みたいだ。
「あ、あのひとは?」
「新聞部の部長さん。色々怖いからね、気を付けたほうがいいよ」
神妙に告げると、剣菱くんは真面目にうんうんと頷いた。そうそう、素直がいちばん。
ともだちにシェアしよう!