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第2章 スポーツ!(10)

 会長に連れて行かれた先は、校舎の中、一階にある会議室だった。本来は先生たちの会議に使われるそこは、今は小道具と人でごった返していた。やけに人口密度が高く、その中心となっているのは半ば着せ替え人形と化している生徒会役員だった。 「わあお」  思わず、口を開けてしまう。衣装を協力しているのは手芸部で、メイクやら何やらを手掛けているのは演劇部のようだ。二人掛かりで衣装を着せられているのは、純白のウエディングドレスに身を包んだ――椎葉副会長だ。 「遅いぞ、鈴宮」  俺の視線に気づいた副会長は、そう声を掛けながらも、ふ、とどこか得意げに笑った。ドヤ顔。ドヤ顔だ。 「えええ何これえーーーどゆこと、副会長今から舞台っすか、花嫁役?」  やっと現状が把握できた脳が、一番に驚きを訴えてきた。肩が出ていて、ウエストがきゅっと窄まり、足元を隠すまで長くふんわりとしたスカートに身を包んだ、副会長(男)。元々長い髪を、サイドの髪だけ残して上でまとめ上げている。いや確かに、きれいだけど。演劇部自慢のメイクが、きれいな顔をさらに引き立て、ぶっちゃけそこら辺の女の子よりきれいだけど。 「不純な目で見るなよ?」  さらにドヤ顔。どっからくるんすかその自信、……確かにきれいなんだけどお。ううう、なんだか複雑だ。とてつもなく複雑だ。きれいな副会長を直視したくなくて床を見下ろしたら、不意に肩をつんつんと突かれた。顔を上げる。 「鈴宮さんも、きれいになりましょ?」  今の今まで副会長のメイクをしていた演劇部員が、俺の前でにっこりとほほ笑んだ。  ――いやあの俺はそのほらー、なんて情けなく喚く声はお構いなしで、そのまま無理矢理会議室の奥に引きずられてしまった。ああ、せめて、露出は少ないといいなあ。  副会長のびっくり衣装に意識を奪われて、他の役員に気が回らなかった。平良くんが困った顔をして、双子が楽しそうだったのは視界の隅にちらっと移り込んだんだけど。まあ多分、きっと、この衣装が割と一番マトモなんじゃねーかな、と鏡に映る自分の姿を見て思った。 「やっぱり似合いますねー」 「めちゃくちゃ話し合ったんですよ、鈴宮さんに似合う衣装」  髪をセットしている演劇部と、衣装を整えている手芸部の1年が、間近で俺を見て満足そうに言った。本人が知らないところで、そんなことが真剣に話し合われていたなんて……。 「ほんと、夜の新宿にいそう」  嫌味でもなんでもなく、自分の見立ては間違っていなかったとばかりに頷く演劇部。  ――黒いスーツに、胸元を大きく開けたシャツ。いつもピンで留めているサイドの髪は解かれ、全体的に髪のボリュームを増やされる。 「つうかどういうイメージなの……」  片やウエディングドレス、片やホストって、どんだけ格差社会だよ。しかも自分で言うのもアレだけど、普段とそんな変わんないし。 「ちなみに、リアリティをイメージしました」  えへっ、とかわいらしい擬音でも聞こえてきそうないい笑顔で、演劇部が言う。 「ちょっと何それどーゆーこと、」 「はい、出来ました。出番まで表で待機しててくださーい」  文句を言おうとしたら、最後に胸元に薔薇を刺した手芸部の明るい声に遮られる。君らすげーいいコンビだよ……。促されるまま、皆がいる会議室の手前部分に戻った。  「うわあ……」  表に戻ると、再び俺は口を開く。なんていうか、もう、異次元。中央では椅子にふんぞり返る花嫁がいて、片隅では大柄な執事が困ったように俯いていて、同じ服を着たメイド二人がにこにこ楽しそうにお茶を淹れている。こんなカオス、初めて。 「普段とそれほど変わりないな」 「意外性がないよね」 「そのまんまだね」 「俺に言うなってばー、選択権なんてなかったんだから」  ホスト姿を見た副会長と双子にズバっと言われ、流石の俺もムッとする。 「ていうか千堂たちこそどうなのそれ、超ミニじゃん」  双子が身に纏うのはオーソドックスな黒いメイド服。白いエプロンを重ね着して、金髪の上には白いひらひらがついたカチューシャがある。ミニスカートの裾が太ももの上で揺れて、黒い二―ソックスが筋張った絶対領域を惜しげもなく晒している。……うわあ。 「ああ、可愛いだろう?」 「キュートかつセクシー」 「色々残念だよ」  応援合戦のかわいこちゃんたちみたいに、小柄だったらまだよかったのかもしれないけど、この双子は180近い長身スレンダーだ。モデル体型で筋肉もそれなりについている。痛いだけじゃんねー。 「それに比べて、平良くんはイケメンだね」 「!」  隅っこで固まっている執事に声を掛けると、慣れてないのか、びくりと肩を竦ませた。黒い燕尾服を着こなし、少し自信なさげに佇んでいるのが頼りないけれど、ばっちり似合っている。でも照れているのか、何も言ってくれず、また俯いてしまった。意外に初心である。  「い、い、い、いやですー」  不意に奥から聞こえてくる情けない声に、室内の視線がそちらに向く。特に副会長の目が鋭くなったのは、その声が剣菱くんのものだからだろう。 「どうしたんだ」 「いやー恥ずかしがっちゃって」 「大丈夫だよ剣菱、めちゃくちゃ可愛いよ?」 「なんだと! 見せろ!」  ああ、花嫁の風格が台無しだ。宥める手芸部の声に興奮した副会長が、ばっと立ち上がった。 「だ、だって」 「もう着替えたんだろう?」 「はいー」 「じゃあ仕方がないな。見せろ」  何が仕方がないのかわからないけれど、副会長はガチだった。目が血走っている。こわい。それに、カーテンで簡易的に仕切られている着替えスペースの向こうから、剣菱の「だめです」という声が続いた。 「頑張ったのになー俺らー」 「剣菱の魅力を最大限に引き出したよな」  そこまで言われると、気になってくる。副会長の肩がわなわなと震え、我慢ができなくなったのか、ずんずんとスカートを摘まみながら大股でカーテンの方へ向かった。そして、が、と一気にカーテンを引きあける。 「ワオ」 「副会長ってば大胆だね」  双子は楽しそうに笑っていた。  カーテンを開けた先には、未だ着替え中の会長の後ろ姿が遠くに見えるのと、カーテンの前で蹲っている剣菱くんの姿があった。 「はいはい、会長のプライバシー丸見えだから、さっさと出ようなー」 「ううー」 「早く閉めてくれ」  会長の冷静な声に流石にそこで固まっていることがでいないと悟ったのか、剣菱くんはのろのろとした足取りで奥から出てきた。おお。俺は思わず目を見開く。 「かわいーじゃん」  すぐにカーテンが閉まる音を聞きながら、素直な感想を洩らした。剣菱くんは、女子高生の格好をしていた。ブレザーの制服で、ピンクのワイシャツに赤いリボンを付けている。その下に着たカーディガンは袖が長く、手のほとんどが隠れている。チェックのプリーツスカートはやっぱり丈が短くて、紺のハイソックスが清楚感を出していた。短い髪はそのままだが、イチゴがついたゴムで一か所だけ縛られている。剣菱が動くたびにその毛束がぴょんと揺れた。皆から見られているのが恥ずかしいらしく、顔を真っ赤にしてもじもじと俯く姿は女子高生そのものだ。 「!」  執事・平良くんが、何事か察知してサッと動いた。手にはティッシュを持ち、副会長の鼻から顎にかけて押さえる。ティッシュはすぐに赤く染まり、その事態に気付いた俺も、慌ててティッシュの箱を持って平良くんの応援をした。すげえ金かかってそうなこのドレスを、副会長の鼻血で汚すわけにはいかない。 「剣菱……」  二人掛かりで鼻を押さえられても、もうこのきれいな花嫁の目には、目の前の女子高生しか映っていないらしい。ぽうっと熱に浮かされた声でその名を呼ぶと、剣菱くんがようやく目線を上げた。上目遣いに、副会長は呆気なくノックアウトされた。  ――余興、ねえ。  新聞部と会長の話が蘇る。観客を楽しませるはずが、当事者が一番おいしい思いしてるんですけど。  「動きにくいな……」 「かかかか会長お似合いですイケメンです抱いて」  副会長がすっかり放心している間に、会長の着替えが終わったらしい。文句を言いながらカーテンの中から出てくる。それと同時に、着替えを手伝ったらしい手芸部が、目をハートにしていた。 「えーマジでイケメンじゃん、ずるー」 「お前は普段と変わんねえな」  会長は、緑の帽子と、全体的に緑掛かった、レトロな将校服を着ていた。首元まできっちりボタンを留め、足元は黒いブーツで決めている。手には白い手袋をはめていて、本当にそういう映画とかに出てきそうな雰囲気がある。改めて見ると、悔しいけど、イケメンだ。 「なんすかねこの差。マジ格差社会ー」  俺なんてほとんどいつも通りで、チャラさを上乗せしましたーっていうだけの服なのに。思わずむくれると、会長がふっと笑った。 「なんだ、お前も女装したかったのか?」 「いやそれだけはほんと勘弁、あー俺ホストでよかったなー」 「髪、上げてるのも似合ってるぞ」  この人はさりげなく褒めるから困る。反応に困って何も言わないでいる横で、メイドな双子が女子高生に迫り、大柄執事が無言で牽制し、花嫁はただただ鼻血を流していた。

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