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第3章 サマー!(2)
「合宿イベントお?」
塩素の匂いが残る中、自室に帰ると冷房の利いた部屋の中で、雫が寛いでいた。暇そうだったから何となく、今日あった出来事をそのまま報告した。すると、怪訝そうな声が返ってくる。まあそうだろう、生徒会に合宿が必要だとは思えない。
「そーそー、会長の実家に泊まることになったよ」
「なんか色々すげーな……」
「でしょー」
としか、言えない。やっぱり俺の意思はそこにはなくて、ただただ事の顛末を傍観するしかない。部屋に飾ったカレンダーを眺めて、日にちを確認した。そのお泊りイベントこと合宿は、夏休みに入ってから少しした平日を使う予定らしい。
「二泊三日だって」
「へえ。どこ?」
「山形らしいよ」
「避暑地じゃん、いいなー」
「のんびりできればいいけどねえ……」
何か色々と不安である。
俺がぼんやりと呟くと、椅子に座った雫が、口端を上げた。
「何か楽しいことあったら実況しろよ、動画で」
「楽しいことってなに」
「ほら転入生と副会長が一線超えるとか双子と三人でとかそういう」
「うわああ生々しいやめてやめてやめてえ」
ガチで想像してしまった。
ついさっき会ったばかりだから余計だ、副会長が剣菱くんを抱きしめて愛を囁いたり、双子が剣菱くんをサンドイッチしたりする絵を思い浮かべそうになって、ぶんぶんと首を横に振った。
「つまんねーなー、いい加減耐性つけろよ」
「つけたくありませんー」
「まあ、いいけど」
雫は楽しげに笑っている。完全なる傍観者ポジションはお得でいい。
俺はため息を吐き、夏休みまでの後数日をなんとか乗り切ろうと思った。
――そうしてやって来た、合宿当日。
あんまり乗り気じゃなかったけど、現地の名物とか会長の家の詳細(本気ですごい旅館っぽい)を知ると、少しだけワクワクしてきた。前の晩に荷造りはしっかりしてある。少し早目の集合時間に間に合うように、雫に目覚ましの役を頼んだ俺は、未だ夢現だった。
「んー……」
だから、首元をごそごそ探る手には、気付かなかった。
「あ、起きた?」
なんだかくすぐったくてむずがるように首を振ると、頭上から疑問符が下りてくる。聞き慣れた声は目覚ましを頼んだ幼馴染のもので、ぼんやりとした頭のまま、薄く瞳を開けると、予想より近い位置にその顔がある。
「なにー」
まだ眠い。絞り出した声は掠れていて、雫は楽しげに口端を上げた。
「ん、おはよう」
「おはよおー」
爽やかな笑顔で挨拶されると、反射的に朝の挨拶を返す。ついでに欠伸も漏れそうで、何とか噛み殺し、その隙にまた瞼が落ちそうになった。その一瞬の間の中、不意に、首筋に暖かな感触がしてぞわりとする。
「ぅ、わ、なになになにっ」
その正体が雫の唇だとわかり、俺の肩が跳ねる。身を捩って逃げようとするが、肩を押さえつけられて無理だった。
「ちょっと我慢してろよ」
「我慢ってなんで……ッぅあ、痛いってば、」
「手。出されねーようにしようと思って」
首筋を舐められたのと同時に、チリと痛みが走って眉を寄せる。これは。もしかしてひょっとして。彼氏彼女じゃないからという理由で、今まで女の子にねだられても、つけるのもつけられるのも拒否していた。きすまあく、という、ヤツじゃないでしょうか。
「意味わかんない……っ」
「いないとこで手ェ出されちゃうのが、一番悔しいだろ」
「だから、意味わかんないって……!」
覆い被さる雫の肩を押し返すが、その台詞を紡ぐ表情が、今まで見たこともないような、切なげなものだったから思わず押し黙る。ず、ずるい。
「し、雫の」
「ん?」
「雫のばかー」
「なんとでも」
「どーすんのコレ、」
吸い上げられた首筋に触れる。鏡で見ないとわかんないけど、しっかり赤い跡が残っているはずである。雫はそこを見下ろし、満足気に目を細めた。
「虫刺されとでもいえば察してくれんじゃね」
「うわあやだそんなおんなのこみたいなー」
「んじゃ、行ってらっしゃい」
割と本気でどうしようか焦っている俺をよそに、雫は何事もなかったかのように爽やかに笑い、俺の前から退いた。それから、「あ、」と何かに気付いたように戻ってきて、
「ごちそーさん」
と耳元で囁いていくから、俺は途方に暮れた。
――ああ、幼馴染が、どんどん俺の知らない人になってゆく。
一体何に感化されたのか、これもそれもあれも、みんな、夏の暑さの所為だきっと。
島から本州に船で渡り、更に新幹線に揺られること約3時間。そこからローカル線に乗り継いで、辿り着いた先は、緑いっぱいの自然豊かな土地だった。辺りを見渡しても、ビルも何もなく、田んぼが一面に広がっている。
「何もないねえ」
「旅館も見当たらないが」
「今、迎えのバスが来る」
「おお、送迎バスってやつ? リッチー」
スマホを操作して旅館に連絡をしてくれたらしい会長が、スマホをしまいながら言った。無人駅であるここまで、旅館のバスが迎えに来てくれるらしい。さすが、老舗の旅館だけあって、サービスも十分だ。
「暑いね」
「暑いよ」
島よりは少しは風が涼しいけれど、空から焼き付けてくる日差しはそれほど変わらない。ただ立っているとじわじわと肌から汗が滲んで、堪えられないとばかりに双子が洩らした。それでも、涼しい顔をしている。うーん、イケメンってスゴイ。
「剣菱、大丈夫か」
「は、はい、大丈夫です……」
「これ……」
さっきから口数が少ない剣菱くんは、暑さにやられたらしい。目敏く気付いた副会長が問いかけると、剣菱くんは弱々しく笑って首を振る。平良くんが、すっと冷たい飲み物を差し出した。「ありがと、」と剣菱くんは礼を言って、ペットボトルを受け取る。
「ねー会長、まだ?」
さすがに心配になる。隣の会長を見て尋ねると、会長は視線を上げた。つられてそっちを見ると、田んぼと田んぼの間の細い道から、一台の白い小型バスが走って来るのが見える。
「あれだな。来たぞ」
「やっとだね」
「待ちくたびれたね」
「剣菱、もう少しだ」
「は、はい」
それぞれ、荷物を持ち直して、バスの到着を待つ。
改めて息を吸い込むと、透き通った空気が肺を満たして、心地良い。
田んぼしかない景色の中では、空の青さを邪魔するものは何もなくて、白い雲と、輝く太陽だけが広い青の中に浮かんでいる。それはいつも島の中から見ている景色とは違うもので、ああ、遠出したなあ、なんて当たり前のことを思った。
やって来たバスに乗って、旅館を目指す。窓から覗く景色はどこまでも緑で、こんな雄大な景色の下で会長が育ったんだと思うと、なんだか不思議だった。
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