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第3章 サマー!(3)
老舗の旅館は、山奥にあった。田んぼばかりだったのが、どんどん山の中に入り込んで、うねうねとした狭い道を、小型のバスが進んで行く。運転手(木内さんというらしい)は、当たり前だけれど会長と旧知の仲らしくて、会長の帰還をとても喜んでいた。運転中もニコニコとして、助手席に座った会長と会話を交わし、たまに後ろを振り返って俺たちにも話しかけてきた。気の良いおっちゃん、といった木内さんは、そんな山奥の狭い道も器用にバスを走らせて、旅館を目指す。
「すげー山ん中にあるんですねー?」
「スキー場の近くにあんだよ」
「冬の方が稼ぎ時だからな」
「じゃあ冬にも来たいね」
「スキーするのもいいね」
なるほど、夏は避暑地として、冬はスキー場傍の宿として、重宝されているらしい。どうでもいいけど、木山さんは地方のおっちゃんらしく、訛りが強かった。会長もこんなふうに訛るのかなと少し気になったけど、そんなこと、聞けるわけがない。
双子は楽しげに会話を交わしていて、剣菱くんはすっかり元気になったようで、明るい顔で副会長や平良くんと話をしていた。俺は、窓の外の緑を眺める。車が前に進む度に変わる景色が、好きだった。確かに、この緑が白く染まっているところも見てみたいなと双子の呟きに、心の中でこっそりと同意する。ゆったりとした時間が過ぎていく感覚も、心の中に残るアレとかソレとかコレとかを根こそぎ包んでくれている感じがして、きらいじゃない。俺は息を吐き出して、背凭れに深く寄り掛かった。
――山を走り抜けると、そこは、老舗旅館でした。
30分ほど山を走った先、俺たちを待っていたのは、よくテレビの二時間サスペンス(なんとかかんとか湯けむり旅情とかそういう系のアレ)で見るような、豪奢な和風の建物だった。いくつもに棟が分かれているのが、入口からでもわかる。但し、周りには、お土産屋さんと、スキー場、遠くに見えるテニスコートぐらいしか、他の建物がない。
「ちなみに、コンビニとかってー」
「山を下りないとねえな」
「ですよねー」
一抹の期待を抱いた問いかけが、当たり前のように打ち砕かれた。なんだろうこの、用もないのにコンビニがないとわかると不安になっちゃう感じ。新手の現代病かなあ。
「おにいちゃん!」
荷物を持って車から降りて、言い知れぬ不安感を抱いていると、旅館の入り口からぱたぱたと足音がした。それと同時に可愛らしい声がして、顔を上げる。反応をする前に、一人の小さな女の子が、会長に駆け寄って、そして抱き着いていた。
「ただいま、朱莉」
「おかえりなさいっ」
会長は自然な動きで、小学校低学年くらいの女の子を抱き上げて、優しい笑顔でそう答える。小さい子は嬉しそうに言って、ぎゅうと会長の首元に抱き着いた。
(うわ、)
――会長のあんな顔、初めて見る。
年の離れた妹がいるとは聞いていたけれど、こんなに「おにいちゃん」してるなんて、意外すぎる。
ここ最近、皺ばかり寄っていた眉間が解れて、ツリ上がり気味の目尻が柔らかく垂れ下がっている。思わず一瞬、目が奪われてしまった。
「妹さんですか?」
「かわいいね」
「似てないね」
剣菱くんが見上げて尋ねて、双子もそれに続く。多分、少し毒舌な方が、真白だ。
「ああ。朱莉、自己紹介」
会長が耳元に(優しく!)ささやいて促すと、妹さんが地面に降り立つ。そして、俺たちの方を見て、ぺこりと頭を下げた。ツインテールの髪が、動きに合わせて揺れる。
「かがみ、あかりです。小学1年生です。よろしくおねがいします」
えへへ、と照れくさそうに笑う顔はあどけなくて、会長とはホントに、似ても似つかない。
「あかりちゃん、かわいーねー」
「鈴宮、お前まさかこんな年端もいかない少女まで……」
「あっは、副会長と一緒にしないでくださいー」
目線を合わせるために腰を屈めて、にっこり笑って握手を求めると、後ろにいた副会長にドン引きされた。剣菱くんの女子高生姿にあれだけ興奮してた副会長には言われたくない。朱莉ちゃんは少し迷った後に、俺の手を握り返してくれた。
「よろしくねー」
「よろしくおねがいします」
「俺ねー、流っていうの。朱莉ちゃんのおにいちゃんのー……」
そこまで言って、ちらりと会長を見る。一瞬、視線がばっちりと絡むが、すぐに逸らされてしまった。ううん、なんて言うのが正解かなあ。
「――部下?」
「疑問形か」
「そこは」
「後輩じゃないかい」
副会長と双子から、ツッコミが入る。
「こうはい?」
「んーと、年下の友達って意味、かなあ?」
「おにいちゃんの、おともだち!」
ものすごく疑問が残るけれど、広い意味で、と心の中で付け加えたら、朱莉ちゃんの目がぱっと輝いた。え、そんなに珍しいの。お兄ちゃんの、おともだち……。再び、ちらりと会長を見たら、今度は最初からこっちを見ないで、顔を逸らしていた。
「行くぞ」
「あ、はい」
荷物を持って、不機嫌な声に促される。つい頷いて、木内さんにお礼を言ってから、俺たちも後に続く。小さな足音も、一緒についてきた。
自動ドアを開けると、綺麗なフロントが広がっていた。着物を着た女の人(所謂女将さん、かな)が、穏やかな笑顔で「お待ちしておりました」と出迎えてくれる。が、俺たちの中心に位置する会長の顔を見ると、その笑顔が、驚愕の表情に変わり、それから、より深い笑みになる。
「総一郎! おかえり、よく帰ってきたね」
「ああ、……ただいま」
「まあまあ、お友達もこんなにたくさん! ゆっくりして行ってくださいね」
会長のお母さん、らしき女将さんは、ものすごく綺麗な人だった。――思わず、うちの母親と比べて、すぐに心の中でゴメンナサイをした。淑やかな仕草も、年齢を感じさせない笑顔も、着物を着こなす身のこなしも、とてもじゃないが比べ物にならないからだ。(なんてことを思ったと言ったら、鉄拳制裁モノである)
「きれいだね」
「似てないね」
双子がこそりと交わす会話が耳に入り、思わず笑いを堪える。会長は、妹さんとの対面のときもそうだったけれど、決して俺たちを見ることはなく、そのまま受付を済ませていた。ちらりと下を見ると、朱莉ちゃんが寂しげに会長の背中を見つめている。
「大丈夫だよ」
身を屈めて視線を合わせると、大きな目をさらに大きくさせて、きょとんと首を傾げた。
「おにいちゃんね、きっと、てれてるんだよ」
「てれてる?」
「かわいい妹と、きれいなお母さんを、お友達に見せてるから」
ナイショ話のように耳元に唇を寄せて囁くと、朱莉ちゃんは何度か瞬いて、そしてくすりと笑う。
「流、さすがに」
「小学生はまずいんじゃないかい」
そんな様子を見ていた双子が、割と真顔で声を掛けてくる。これ、さっきも副会長から聞いたような。俺ってそこまで節操なしに見えてるのかなー。軽くショック。
「だから、そんなんじゃないってー」
一応否定しつつ、朱莉ちゃんの頭をぽんぽんと軽く叩いて、姿勢を戻す。丁度、受付を終えた会長が戻ってきて、朱莉ちゃんと並ぶ俺に怪訝そうな視線をくれた。うん、わかるよ、こんな可愛い妹がいたら心配にもなるよねえ。
「朱莉に手出したら殺すからな」
「あっは。十年後はどうだかわかんないけどお、」
すれ違いざま、耳元に低く囁かれた言葉を耳にして、つい軽口を返しちゃうのは俺の悪い癖だと思う。――案の定、頭を軽く叩かれた。
「あだっ、……暴力反対ィ」
「たまに流が」
「Mだと思うときがあるね」
そんな俺たちのやり取りを眺めていた双子が、しみじみと言った。うう、うるさいなあ。自虐的な趣味はないってば。
「行くぞ」
会長は言葉少なに俺たちを促して、歩き出した。朱莉ちゃんに「またねー」と笑いかけて、荷物を持ってその後に続く。部屋まで向かう間の廊下も綺麗で、大きなガラスから見える山の景色に、確かに冬にまた来たくなるなと思った。
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