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第3話 サマー!(4)
大部屋に通された俺たちは、まず荷物を置いて寛いだ。広い畳の和室は、そのまま宴会も出来そうな部屋で、この人数でも十分に余裕がある。それぞれが荷物を置いて、テーブルに用意されたお茶菓子に食いつき、旅行気分を満喫していた。途中で、せっかくの記念ということで平良くんに集合写真を撮ってもらった(何故か彼は入りたがらなかった。どこまでもシャイボーイだ)。
そして今。夕飯までに時間があるということで、大浴場に来ている。
「うっわーすげー広い!」
すぐに服を脱いで、タオルを腰に巻いた俺は、ドアを開けて驚いた。大浴場という名に負けずに、温泉が沸き出ている浴場は、とても広かった。時期が時期だからか、他の客もいなくて、余計に広々と見える。
「広いね」
「貸し切りだね」
続いてやって来た双子も、満足そうだ。改めて二人の身体を見ると、手足が長く、色白で細いくせに、しっかりと筋肉がついている。自信の表れだと思うが、前をタオルで隠しもしないために、立派な一物がお目見えしている。髪と同じ金色の毛が眩しい。
「いい、ですね」
珍しく、平良くんが発した一言が、反響した。大きな身体には、身体に見合った筋肉が均等についていて、逞しい。破廉恥な双子と違い、平良くんはしっかりとタオルを身に付けていた。
「突っ立ってないで早く身体を流せ」
「っうわ!?」
後ろから背中を蹴られてよろける。うわマジで滑りそうになった、危ねえ。低いイケメンボイスを反響させた犯人は、イケメンこと、会長だった。
「なんすかもー、こけたらどーすんすかー」
「安心しろ、骨は拾ってやる」
「死ぬ前提?!」
なんて俺と会長が、半ばいつも通りの掛け合いをしていたら、不穏なものが目に入ってぎょっとする。浴場のタイルに、降りかかる、赤……。嫌な予感がする。
「だ、だ、だ、大丈夫ですか椎葉さん……!」
「っふ、ふふふふ、剣菱はやはり想像通り色が白いな……!」
案の定、血痕の上には、あわあわと心配そうに副会長を見つめる剣菱くんと、だらだらとした鼻血を垂らしながらもニヤニヤする、副会長の姿があった。
「ま、マジ、大丈夫? 副会長……」
「風呂場で流血とは、洒落にならないんじゃないか」
会長も呆れている。副会長は、何故か胸元までをバスタオルで巻いて、長い髪もクリップを使って上にまとめていた。アレ? ここ、男湯ですよね?
「ふ、ふふ、心配には及ばん。俺には、剣菱という天使がついているからな……!!!」
「し、椎葉さん……」
心なしか、というか確実に、剣菱くんは引いている。しかし副会長は幸せそうに笑って、鼻血の赤で、身に包んだバスタオルを濡らしていた。いつか死ぬんじゃねーかな、この人……。
本気で心配になりながらも、俺は身体を洗って、湯船に浸かる。
流石、老舗旅館だけあって、景観も最高だ。外側の壁一面がガラス張りになっていて、山の景色がよく見える。ちょうど夕方の今の時間帯は、オレンジ色に染まる空と、緑の木のコントラストが、いい感じ。っはー、と、大理石で出来た縁に肘をついて、声を出した。
「すっげ、きもちいー。会長、毎日こんな風呂に入って育ったの?」
「毎日なわけじゃねえが、ま、それなりだな」
「そりゃあ、でかくなるよねえ……」
会長の身長とスタイルの謎が解けた気がする。
剣菱くんの背中を流したがる双子と、それを阻止する副会長と、おろおろと狼狽える平良くんの声を背景に、俺はのんびりと温泉に入り、身も心も癒された。
――来てよかったかも。
ちらり、隣の会長を見ると、気持ちよさそうに目を閉じている。
あの、忙しかった頃の会長とは大分違う。会長が少しでも安らげてたら、それだけで、価値はあるかもしんない。
ほっとしていた俺は、そのとき、会長から向けられる視線や、その意味に、全く気付くことができなかった。
その後は、みんなで部屋に戻って美味い夕飯(山の幸や季節の野菜が盛りだくさんで、すげー美味かった!)を食って、布団を並べて、双子がふざけ出したおかげでまくら投げ大会になった。双子と俺がやりあってたところ、たまたま剣菱くんにヒットして、怒った副会長が浴衣で大暴れし、その余波から剣菱くんを護るべく平良くんが防御して、双子と俺は面白がって枕を投げまくり、そのうちの一つが読み物をしていた会長の頭に当たり、会長の大爆発で、ゲームの幕が下ろされた。やっぱり、会長は会長である。
さすがに長旅の疲れもあり、その後は特に遊ぶこともせず(双子はふらっとどこかに姿を消していたけれども)、就寝の運びとなった。温泉から上がったときに着た浴衣は、薄緑の縦縞が入っていて、肌触りが良いが、着崩れるのが玉に瑕だ。まくら投げの最中も、剣菱くんの浴衣から白い肌がちらちら見える度に、副会長が鼻血を出していた。どうでも良いけど、副会長、血の巡りが良すぎやしませんか。
一応暗くなった室内で、敷かれた布団に横になるけれど、何だか落ち着かなくて、立ち上がる。副会長が剣菱くんを抱き締めようとして思い切り腕を伸ばされて拒まれる様子を視界の端に入れながら、俺は扉を開けて廊下に出た。涼しい風を感じる。
廊下の薄明かりを頼りに、トイレでも寄ろうかと歩き出した。他の宿泊客も少ないのか、遅い時間帯だからか、しんと静まっている。スリッパをずるずる引き摺る音が妙に大きく響くな、と思っていたところだった。廊下の角から、人の声がする
「――だろう、」
「わかってる」
「いつもそれだなお前は、だから甘いと言われるんだ」
「なんだと……」
「少しは現実を見ろ、総一郎。お前もあと半年で、高校生じゃいられなくなる」
総一郎って、誰だっけ。
めっちゃ聞き覚えのあるようなー、と思っていたら、壁に肘がぶつかって、どん、という音がした。やべ、バレた。
「鈴宮、」
「あ、あ。会長。な、なんすかー、トイレ? 奇遇っすね、俺も俺もー」
なんて、わざとらしいくらいに明るい声を出したら、会長が気まずそうに眉を寄せた。その奥にいた男の人が、俺の方を見る。大学生くらいかな。白いポロシャツを着てジーンズを穿いて、綺麗な黒髪だ。切れ長の目が目立つ、キリッと整った顔立ちは、目の前の会長によく似ていた。
「こんばんは。総一郎の学校の?」
「あ、は、はい。鈴宮っていーます。かいちょ、……各務サンには、すごくお世話になっててー」
「止せ鈴宮、気持ち悪い」
「えーひど!」
せっかく余所行きの顔で頑張ったのにー。唇を尖らせると、会長似の人が、可笑しそうに笑った。
「はは、明るい子だ。各務誠一、総一郎の従兄だよ」
会長は絶対に見せないような爽やかな笑顔で笑って、自己紹介をしてくれた。
「よろしくお願いしますー」
「ああ。どうだい、総一郎は学校では」
「も、すげえっすよ! みんなのカリスマっていうか、ほんと、信頼してます。頑張り過ぎちゃうくらい頑張ってくれてて」
「――へえ。そうなのか、総一郎」
「俺に聞くな」
あ、会長、照れてる。
誠一さんから少し素っ気なく顔を背ける会長に、思わず含み笑いをした。
「ま、愉快に高校生生活を送ってくれているようで安心したよ。鈴宮くん、これからも総一郎を宜しく頼む」
「いやいや、俺の方こそ、会長を宜しくお願いします」
「お前はどんな立場なんだ」
礼儀正しく頭を下げてみたら、会長に突っ込まれた。尤もなツッコミです。
「――総一郎。例の件、忘れるなよ」
「ああ……」
それじゃあな、と爽やかに手を振って去って行った誠一さんの後ろ姿を見送って、会長に目を移した。少し、気まずそうな表情が見える。跡取り息子、っていうのも、色々大変なのかもしれない。
「ね、会長」
流れる沈黙が気まずくて、かといって俺が立ち入れる問題じゃないのもわかってるから、俺は、会長が着る浴衣の袂を引っ張った。会長が俺を見下ろす。
「犬、いるんでしょ。俺に似てるヤツ」
ねだるように囁くと、会長は、少し驚いた表情を見せた。それから、手を伸ばして、俺の髪をくしゃりと撫でる。余計な気回しやがって、そんな言葉が、聞こえた気がした。
「ああ。……見に来るか」
「行く行く、見せてー」
会長はふっと笑って、頷いた。
俺の前を歩く会長の背中は広くて、この背中に、旅館の跡取り、とか、生徒会会長、とか、朱莉ちゃんのおにいちゃん、とか、そんなものがたくさん乗っかってるんだな、と思うと、少し眩しくなった。俺なんて、生徒会会計、学園一の女好き、雫の同室兼幼馴染、……そんな肩書しかないから、比べるのも烏滸がましい。雫がくしゃみをした映像が頭を過ぎったのは、気のせいだと思いたい。
とにかく、俺と会長は、会長の愛犬がいる犬小屋を目指して、外を歩いた。すっかり空は暗くて、煌めく星と、大きな丸い月が浮かんでいる。
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