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第4章 涙に青空が溶ける。

体が暖かい。ゆるやかな目覚ましのアラームと共に目を覚ました俺は、いつもと違う心地よさを感じてなんだろうと原因を探る。ゆっくりと視線を落とせば、俺の胸元になにか暖かいもの。  ああ、そうだ。昨日は芹澤と一緒に寝たんだっけか。 「……起きねえな、こいつ」  芹澤はそれはそれは気持ち良さそうに眠っていて、起こすことに罪悪感を覚えるほど。まあもう少し時間はあるし、と俺もゆっくりとすることにする。  繋いでいた手は、さすがに解けてしまっている。もう一回繋ぐか、と思ったけれど、せっかく芹澤が寝ているということで別のことを思いついた。  ちょっと抱きしめてみてもいいかな、って。なんだか今、俺は芹澤を抱きしめたくて仕方なかったのだ。  そっと、音をたてないように芹澤の体に腕を回す。そしてゆっくりと芹澤ににじり寄っていった。見事起こさずに芹澤を抱きしめることに成功すれば、俺の肩から力が抜けていく。 「んー……」 「あー、起きるな起きるな」  もぞ、と芹澤が俺の腕の中で動く。よしよしと頭を撫でてやれば、またすうーっと俺の胸に顔をあてて寝息をたてた。  可愛い。可愛すぎてにやけてしまう。きかない猫がきまぐれで足元にすり寄ってきたときの気持ちに似ている。昨日も思ったけれど芹澤は華奢で、俺の腕にすっぽりと収まる。髪の毛は柔らかくて、そして同じシャンプーの匂いがして。暖かくて。そんな芹澤の体もまた、猫を思わせるのかもしれない。とにかく抱き心地が良くて、このまま一日中こうして微睡んでいたい、そんなことを考えてしまう。 「ん、……んん……?」 「あ、まてまて、起きるな」 「う……とうどう……?」 「うわ、くそ、起きた」  俺の願いは届かず。芹澤はうー、と唸りながらのっそりと顔をあげた。残念ながら起きてしまったようで、眠そうにぼんやりとした目をしながらも、その瞼は開いている。  ああ、せっかく気持ちよかったのに。至福の抱きまくらタイムが終わってしまった。俺は内心しょんぼりしながら、芹澤から離れるタイミングを失ってしまったためじっと芹澤を抱きしめたままでいた。怒られるかな、それとも泣かれるかな。これからの芹澤の反応を予想していれば……芹澤は予想外の行動にでる。 「あっ、ちょっとおい、なに」  芹澤は俺の胸元に顔を埋めるようにしていたのを、のそっと俺の体をよじ登るようにして俺を目線を合わせてきて、じっと俺の目を覗きこんできたのだ。至近距離で見つめられて、俺の心臓がバクバクと騒ぎ出す。 ――なに、なんだよ。ほんと、心臓うるさいし。おまえからこんなに近づいてくるなよ。襲って欲しいの? キスしていいの? したいんだけど、なんかよくわからないけれどちゅってしてやりたいんだけど!  もうだめだ、この状態でじっとしていろなんていうのは酷だ。体が勝手に動いて、俺の手が芹澤の頬に触れたところで――カッと芹澤の目が開かれる。 ――あ、完全に覚醒しちゃった。 「う、わあぁっ!」 「ぐふっ」  その瞬間、俺の腹に重い衝撃が走った。そして芹澤は俺の腕を振りほどいて、転がり落ちるようにしてベッドの下に敷かれた来客用の布団に逃げていく。 「て、てめえ……腹蹴ったな……」 「だ、だだだって……藤堂おまえ、なに、何してんだよふざけんな!」 「くっそ……まじ可愛くねえ一生寝てればいいのに……」  芹澤はキッと俺を睨みながら、はあはあと息を荒げている。自分の体を抱きしめるような格好をしているから、やっぱり抱きしめられるのは怖かったらしい。悪かったかな、とも思ったけれど、腹をけられたことへの苛立ちが先立って、謝る気になれない。咄嗟のことだったんだろうけれど、腹を蹴るのは良くない。断じて良くない。 「なに、そんな、俺のこと……意味わかんない、藤堂死ね!」  でも、芹澤の表情をみて苛立ちが吹っ飛んだ。芹澤は俺のことをちらちらと見つめながら、ほんの少し顔を赤らめていたのである。  もしかして、ぎゅって抱きしめていたから照れてるのか。だったら可愛いところあるじゃんって、俺はそわそわとしだしてしまった。芹澤はそんな俺を訝しげに睨んではいるけれど、ちょっとだけ赤い顔でそんな風に睨まれても迫力がない。 「あ、」  からかってやろうかな。そう思って芹澤に向き直って、俺は硬直してしまった。芹澤も同じくぴたっと。  目が合った。目が合って、昨日の夜、手を繋ぎながら見つめ合ったことを思い出したのだ。 「あっ……え、えっと……は、早く支度しろよ遅刻するぞ!」 「う、るさい、わかってる!」  夜の暗がり、月明かりだけが照らすなか、見つめ合いながら手を繋いだ。今考えると強烈に恥ずかしい。あんな、映画に出てくるような恋人がやることをなんでやったのか、自分でもわからない。  芹澤も同じことを思っているんだと思う。ぷいっと俺に背を向けて、俺から顔を隠してしまった。細いうなじが、なんだか色っぽい。恥ずかしがる芹澤の背中に、どきどきする。 「……」  なかったことにしたい。あんなこっぱずかしいこと、たとえ彼女であってもやらない。  俺は昨日の自分の言動を後悔しながら、ようやく支度を始めた。

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