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「あ、藤堂くん」
学校から出ようとしたところで、春原に会う。春原は俺を見るなり意味深な顔をして近づいてくる。
「どうしたの、藤堂くん。早退? 具合でも悪い?」
「……いや」
なんだか俺の心を見透かすような目をしている春原。今日、涙が休んだ理由も知っているんじゃないかと思って、聞いてみる。そうすれば春原は「ああ」と言って笑った。
「生きてるかな、涙」
「は?」
何を言っているんだこいつは、と俺は固まってしまった。
絶対、こいつは何かを知っている。むしろ、休んだ原因をつくったのはこいつじゃないのか。
「随分と昨日はヤバかったからなぁ。あのままどうなったんだろう。飛び降りたかな」
「……飛び降りた……?」
「いや、知らないよ? ただ、昨日の涙はぼろぼろだったから。なんか急に吹っ切れてケロッとしてたかなあ」
……春原の口ぶりだと、涙と春原は、昨日一緒にいた。そして……何かを、した。
一体何が起こって涙がそんな状態になったのか。考えるだけでも胸が苦しくなって、問いただすことができない。そんな俺をニヤニヤとしながら見つめる春原は、すっと俺に近づいてきて、小声で言う。
「……昔、涙のことをイジメてた奴らが何人かうちにきてさぁ。涙のこと、犯そうとしたんだよね」
「……は?」
「そしたらさあ、涙、気が狂って気絶しちゃってさ。いや、そのまま犯してやろうとしたわけだけど、あいつら使えないや。『死体犯してるみたいで気が乗らない』とか言い出して、結局未遂で終わっちゃった」
――気付けば、俺は、春原の胸ぐらをつかんでその身体を壁に押し付けていた。頭に血が昇った、なんて、そんなもんじゃない。怖いくらいの殺意が、俺の中にこみ上げてきた。春原の頭を掴んで壁に叩きつけてやろうとか、首を握りつぶしてやりたいとか、そんな殺意の衝動があふれ出て、何も言葉がでてこない。
「はは……怒ってる?」
「……ふ、ざけんな! おまえ……何そんなこと平気でやってんだよ! 頭おかしいのはおまえだろ! 犯罪だぞ!」
「犯罪とか……どうでもいいや。俺はああいった奴が大っ嫌いでさ。自分だけが可愛いゴミが、大っ嫌いなんだよ。あいつを徹底的に追い詰めて、それで死んでもらわないと気が済まない」
「……なにが、そこまでおまえを……」
涙を、傷つけた。あまりにも酷いことをした。その怒りが、俺を壊しそうになったけれど、思わず春原の表情にすくみそうになる。
春原の目は、怖いくらいに淀んでいた。ぽっかりと、闇がそこにあるような、暗い暗い影の落ちた目。気持ち悪い、怖い、なんというか人間が本能的に嫌うような不気味さが、そこにはあった。
「……藤堂くんもさ、涙のせいで傷付いてるんでしょ? 目元の隈、結構すごいよ? 身をもって知っているでしょ、涙の存在のゴミっぷり」
「……涙が、俺を信じられないのは仕方ないんだよ。俺があやふやな態度をとったのも悪いし、涙は心が……。涙は、悪くない、涙は……」
「ほら……心が、って。それがすべての行動の免罪符になるわけ? それが俺は嫌なんだよね。許せないなら許せないでいいじゃん。あんなに愛したのに信じてもくれなかった、って恨めばいいじゃん。関係ないよ、やったのはやったんだ、人を傷付けたっていうことには変わりない。それなりの罰を受けるべきだと俺は思うけどね。一応人間として生きているんだから」
「……罰を与えるのはおまえじゃないだろ」
「じゃあ、誰?」
「……」
春原がなぜそこまで涙を追い詰めようとするのか、わからない。そして、春原の問に、答えられない。涙はたしかに言動に問題があるけれど、それは仕方のないことだと思う。でも、春原の言葉を聞くと、心に病を抱えているからといって、全てが許されるというわけではない、そう感じる。俺は、許したいけれど。全てが許されてしまうのなら、それは、「罰を受ける」という権利を失っていることになるからだ。もちろん、春原の行為は許されない。それなら、罰を与えるのは、誰。
わからない。
「……好きにすればいいよ。まあ、死んではいないんじゃない。死んでたら騒ぎになっているだろうしね」
「……」
春原は、一体何がしたいのか。涙が好きなわけでもない、涙をただ虐めたいわけでもない。俺には到底理解できそうにない、歪んだ感情が、たしかにそこにはある。
春原の、淀んだ瞳から目をそらし、俺は歩き出す。春原に迫ったところで、何かが変わるわけじゃないのだ。でも、全くの時間の無駄というわけではなかったと思う。
涙は……自分から、逃げてはいけない。それに、気付いた。春原のしたことは絶対に許されないことだけれど、春原の言葉自体は筋が通っていた気がする。俺は涙が心の病を抱えているからといって、全てを許してやろうとしていた。それは、涙にとっていいことであり、悪いことでもあり。涙にとって俺の存在は安らぎであると同時に、逃げ道にもなっていたのかもしれない。だから、涙は良い方向へ変わるのではなく……変わったと見せかけて、どんどん落ちていってしまった。
俺が、涙にしてあげられることはなんだろう。罰を与えるーーのとは違う、何かをしてあげなければ。逃げ道をつくるのでもなく、涙が変われるように、手を差し伸べなければいけない。
校舎をでて、あてもなく涙の居所を求め歩く。一刻も早く、涙を見つけて……そして、助け出そう。その決意を胸に。
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