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 急いで生徒会室に飛び込んで……俺は思わず声をあげそうになった。生徒会室には、誰もいないと思っていたからだ。今日は生徒会で集まる予定があったわけではなく、俺が個人的にやり残したことがあったからここに来たわけで……だから、まさか人がいるとは思っていなかった。  しかも、いたのが、ゆうだなんて。 「あ」  ゆうは、一人で自分の席に座って、パソコンをいじっていた。左手で持ったパンをかじりながら。俺に気づくとはっとしたように動きを止めて、気まずそうに視線を漂わせる。 「……お、おつかれさま」 「……うん」  なんだか微妙な空気だったけれど、だからといって逃げることなんてできるわけもなく。俺は、そろそろと自分の席につく。 「……、」  何か、話したほうがいいだろうか。  二人きりになるのなんて、「あの日」以来だからどうしたらいいのかわからない。ゆうがキーボードを打つ、カタカタという音に身を任せて、俺は誤魔化すようにしてファイルを開く。  本当に、無言だった。聞きたいこととか、話したいことはいっぱいあったのに。逢見谷とはどうなってるの? とか、具合はどう? とか。ゆうと話したいとは思っているのに、空気に呑まれて俺は言葉を発することができないでいた。  しばらくすると、ゆうが昼食を食べ終える。ゴミをコンビニの袋にまとめて、口を縛って、そして机の端っこに寄せる。なんとなくその動作が気になって、横目でゆうの様子をうかがっていれば……次にゆうが取り出したものに、俺は思わずぎょっとした。  錠剤、だ。  薬にはそんなに詳しい俺ではないけれど、知っているもの。精神の病に作用する薬だった。  ゆうは薬を二錠取り出して、手のひらに乗せる。そして、それを口に含むと、ペットボトルの水で体の中へ流し込んだ。  その動作が、妙に……綺麗だった。昔よりも痩せて肌が白くなったゆう。無表情で精神の薬を口にいれて、水で流し込む。こく、こく、と動く喉がなぜか印象的で、思わずじっと見つめてしまった。 「……なに?」 「あっ……い、いや」 「ああ……これ?」  俺があんまりにも見つめてしまったからだろうか。ゆうが俺に声をかけてくる。俺はしまったと思って口ごもったけれど、言い訳など思いつかない。  ゆうは困ったように笑いながら、ペットボトルの口を閉めた。悪いことをしたな、と思って謝りたいとも思ったけれど、どう謝ればいいのかわからない。 「……治ってないよ、俺のは」 「え……」 「病院にいって、学校に行っても大丈夫かって聞いたら、「一人にしたら予期せぬ行動を起こす可能性があるから、登下校も全て親御さんが付き添ってあげてください」って言われてる、そんな感じ」 「……、」 「今は普通でも、フラッシュバックを起こしてパニックになる可能性があるんだってさ。薬を呑んで、なるべく心を落ち着けるようにはしているけれど」  淡々と話すゆうを、俺は黙って見つめた。  話してくれた、のは嬉しい。でも、なんの手助けもできない俺だから、せっかく話してくれたゆうに申し訳なく思う。もっと気の利いた言葉が言えればいいのに。 「……今日は、親に……送ってきてもらったの?」 「ううん。逢見谷」 「えっ逢見谷!?」 「そうだよ。俺の親が俺のこと毎朝毎朝送ってくれると思う?」 「……、」  なんとなく投げかけた質問に、予想外の返答が返ってきたので、俺は混乱してしまった。  なんで親じゃなくて逢見谷が送り迎えをしているんだろう、とそこまで考えて、あ、と思考が止まる。  ゆうの、親。って。 「俺の親は、「そんな状態なら無理して学校にいかなければいいじゃない」そう言った。なにを言ってるんだってね。送り迎えもめんどくさいし、万が一学校で俺が何かしたときの責任をとりたくないだけだろって。そんなまるで俺のことを思ってますみたいな事言うくらいなら、正直にそう言えよってさ」 「……えっと、」 「……あ、ごめん。ちょっといらいらしてて。昔から、親が嫌いなんだよ」  ふと、思い出す。ゆうの親も、ゆうにとっては難しい存在だったのだと。  もちろん俺とは状況は違うのだろうけれど、少しだけ共感してしまって思わず俺はゆうの話に聞き入ってしまった。親のことで悩んでいる人、俺の周りには他にいない。 「俺を病院にいれたのだって、俺が兄みたいになるのを恐れたから。自分の息子が犯罪者になるのが、怖いんだよ、あの人たち。自分たちのメンツが汚れるからね。俺たちのことなんて、なにも考えていない」 「……、ゆうが、これ以上苦しまないようにって、入院させたわけじゃ、……ないの?」 「いっておくけど、俺が自殺願望もったのは入院させられた後からだからね。兄と同じ扱いを受けたのが、死にたくなるくらいにショックだった」 「……、そ、……か。変なこと言って、……ごめん」 「いや、……俺こそなんか、……愚痴言ってごめん」  ……だめだ、なんだか俺は、人の地雷を踏んでしまうのかもしれない。  これ以上余計なことを言ってしまうのが怖くて、俺は口を閉じた。けれど、ゆうのお兄さんの話をしたときのゆうの顔がなんだか辛そうで、そのまま放っておくことはできなかった。  俺はそっと席を移動して、ゆうの隣に座る。そして、カーディガンの上から、ゆうのわき腹の傷に触れた。 「……ここ、痛くない?」 「……、」  ゆうはふっと笑うと、俺の手のひらに自分のものを重ねる。「大丈夫」、その声に、俺はほっとした。 「……涙は? 涙は、親とはどう?」 「えっ」  不意に、ゆうが聞いてくる。まさかそんな質問をされるとは思っていなかった俺は、うっかり変な声をあげてしまったけれど……ゆうなりの、気遣いだと気付く。ゆうは俺が親を良く思ってないのを知っているから、ここで吐き出してもいいよ、と言っているんだと思う。  けれど、俺の口まで出てきた言葉は、親への愚痴ではなく。 「……どうしたら、いいのかな」  ……なんて。そんな、不安の言葉だった。 「親の仕事のせいで、いじめられて……辛い思いをいっぱいしたから、親のことは、嫌い……だったんだ。……けれど、……あの人は、……本当は、なにを考えているんだろう。そんなことを、最近考える」  最近は。あの人への憎悪とか、そういったものが薄れてきたような気がする。あの人が、どういう人なのか……俺のことをどう思っているのか。そういったものが、少しずつ見えてきたからだ。  いや、見えてきた――というよりも。俺の方が変わったからというのもあるかもしれない。世界の色がわかるようになるとほぼ同時に、あの人のことが見えてきたのだ。そう、白黒にしか世界が見えなかった頃よりも、視界がクリアになって。  ゆうも、てっきり俺があの人の愚痴を言うものだと思っていたのだろう。少し驚いたような顔をして、俺を見ている。 「……あの人がああいう仕事をしているのは……あの人がやりたくてやってることじゃないんだなって、……そう思ったんだ。……お金の、ためで……そして、そのお金も、……俺の、ために稼いでいて」 「……涙のお母さんがしている仕事が、堅気ではないのは確かだよね。闇金からたくさんお金を借りているでしょ? いつのまにか、そっちの道に引きずり込まれちゃったんじゃないかな」 「……」  そうだ、ゆうは俺の家の督促状の山を見ている。それでいろいろと察してしまっているのかもしれない。  あの日は、ゆうに心配をかけたくなくて督促状は隠したけれど。アレを見られたからーーかえって今、ゆうに話しやすい。もう彼に隠すことはないんだ、そう思うと安心して胸の中のつっかえを吐き出せるような気がした。 「涙は……どうしたいの?」 「えっ……?」 「涙が今したいのは、お母さんを借金から救うこと? それとも別のこと?」 「……え、っと」  ゆうがじっと俺を見つめてくる。  ゆうは、頭が良い。きっと彼は、慧眼を持っている。だから、彼の言葉は俺の深層を、ついてくる。  俺がしたいのは、なに? なぜ、ゆうにこんなことを話したの? 「もちろん……涙は自分の母親に、これ以上辛い思いをして欲しくないと思う。それが本心でしょ? だから、借金からは救いたいって思っていると思う。たしかにその方法はちゃんとあるけれど、それには時間がかかるし、涙がやろうとすればすごく苦労するよ。今すぐに、涙のお母さんを救ってあげられるもっと別な方法、涙なら思いつくんじゃないの?」 「別な、方法……?」 「……わからない?」  もや、と胸のなかが揺れる。  何かに、気付いている。けれど、それがなかなか姿を現さない。  俺が言葉に詰まっていれば、ゆうが苦笑した。そして、頬杖をついて俺を見つめ、目を細める。 「涙が、俺にしたこと」 「……、」  は、と俺が息を呑めば、ゆうが、ふは、と笑った。  俺は、あの人に――本気でぶつかっていかないと、だめなんだ。  俺がやっとみつけた答えに呆けていると、ゆうが優しい顔をして、俺の頭を撫でてくる。ゆうのあまりにも柔らかい表情に、なぜか俺は泣きそうになってしまったけれど。 「殴るのは、禁止だよ」  その言葉に、つい、笑ってしまった。

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