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花火大会
「雨カラモ守ラレ、風カラモ守ラレ、寒サモ夏ノ暑サモワカラズ……。はあっ、遥ちゃんは、可哀想な籠の鳥なのよー。はあっ」
遥はベッドの上で、シーネで固定した両足を台の上に載せ、朝食の食パンにマーガリンと苺ジャムを塗りたくって齧りつきながら、盛大に溜め息をつく。
「はあっ」
ガラス窓の向こうの空には、大きく盛り上がった入道雲が光り、命の限りに叫ぶ蝉の声が響いていた。
「日本の夏は、キャベツと花火大会って思ってたのに。はあっ」
トン、トトトンと独特のリズムでドアがノックされて、遥がどうぞと言うより先に主治医で整形外科医の稜而が部屋へ入ってくる。
「おはよう、調子はどうだ?」
真っ白なケーシー白衣を着てすらりと立ち、足の指をグーパーして、これは響く?、傷口はどう?、矢継ぎ早に質問しながら両足を診察し、遥はドレンチェリーのように赤い唇を尖らせる。
「楽しくなーい。花火大会行きたーい!」
「花火大会?」
さっさと診察を終えた稜而は、ベッドサイドの椅子に座って長い足を組むと、持参したコンビニ袋から明太子のおにぎりと缶コーヒーを取り出し、食べ始めた。
「今日、花火大会なのん」
遥は枕許に置いていた『ららぶ二人でおでかけBOOK』を稜而に突き出す。
「ふうん。こんな混雑する場所は危なすぎて、当分許可は出せないな。来年のお楽しみだ」
稜而はふっと前髪を吹き上げて、遥へ本を返した。
「ノーパン浴衣で、花火の音に合わせて突かれて、『あーん』って声は花火の轟音で掻き消されちゃう予定だったのに」
「そんなに都合よく、音と声を合わせられるか?」
稜而がくすくす笑うのに、遥は苺ジャムがついた頬を膨らませる。
「自分が童貞じゃないからって、知ったような口ぶり!」
「少なくとも、童貞のお前と比べたら、俺のほうが知ってるけどな」
そう言う頃にはおにぎりを食べ終え、缶コーヒーも飲み終えて、稜而は「お大事に」と一礼して部屋を出て行ってしまった。
いつもなら昼食も夕食もコンビニ袋を提げてやってくるのに、稜而はどちらも来なかった。
遥は空中を睨みながら一人で食事をして、リハビリのストレッチはタオルを握りしめる指が白くなるほど痛くて、デイルームで隣の部屋に入院しているおじさんと対戦した将棋には負けて、遥は唇を尖らせて、消灯時間より早く部屋の明かりを消して布団を被った。
「可哀想な遥ちゃん!」
すん、と洟を啜っていたら、トン、トトトンと独特なリズムのノックが聞こえ、返事するより早くドアが開いた。
「もう寝たのか」
「寝たっ。ぐーぐーぐーなのっ!」
「そうか」
稜而は出て行くかと思ったが、そのままベッドサイドの椅子に座ったようだった。
「もう夜なのよ。入院してない人は、お家に帰りなさい!」
布団を被ったまま言葉だけで突き放していたら、花火の音が聞こえた。
「花火?」
思わず布団から顔を出すと、テーブルの上に置かれたノートパソコンの画面一面に、華やかな花火が広がっていた。
「どうしたのん?」
「DVDを借りてきた。今年はこれで我慢してくれ」
遥の枕元に手枕をして、少し長い前髪が遥の頬触れそうな距離で、稜而は片頬を上げた。
「わざわざレンタルショップに行ったのん?」
稜而はうんうんと頷く。
「そういう日に限って外来は長蛇の列で、受け持ち患者は次々トラブって、メシ食う暇もなかったけど」
シンプルなポロシャツとジーパン姿の稜而は、コンビニ袋からおにぎりを取り出して食べ始めた。
「お前も食う? 屋台気分でこういうのはどう?」
差し出されたのは串刺しのフランクフルトで、遥は素直に受け取り、舌を這わせ、先端を咥えた。
横目で稜而を盗み見ると、稜而もフランクフルトを咥え、同じように横目で遥を見ていて、視線が合った二人は噴き出した。
「歯を立てたらイヤーンなの」
「お前のはこんなに立派じゃないだろ」
稜而は先端にキスをして見せながら笑う。
「あーん、なんで知ってるのよぅ」
「手術のときにバルーンカテーテルを挿れたのも、次の日に抜去したのも、俺」
「やーん、尿道プレイしちゃったのん! 気持ちいいかどうか、よくわからなかったのよー」
「遥も医者になったらわかると思うけど、尿道への異物挿入は勧めない」
稜而は苦笑して、パソコンモニターに視線を移す。
暗い部屋の中に花火の映像が浮かび上がって、はじけるたびに二人の顔を照らした。
「きれいなのん……」
土星やハートなどの形にはじけ飛んだり、菊の花が開くようにはじけたあとで滝のように流れ落ちたり、時間差できらきらと星のようにまたたいたり、遥は次第に楽しくなって、「たーまやー」「かーぎやー」と声を上げた。
最後に画面一杯に花火が連続して打ち上がって、画面はタイトロープが流れ始めた。
「素敵な花火大会だったのん」
遥がぱちぱちと拍手をすると、稜而は笑顔になった。
「夏休み、ほかにやりたいことは?」
「え?」
「全部を叶えてあげられるかどうか、わからないけど。こんな叶え方でもよければ」
鼻の頭に皺を寄せて、照れたような笑い方をする稜而に、遥は即答した。
「プール!」
「プールか……。まだ激しい運動は難しいと思うけど」
「あーん、そんな本格的なプールじゃなくていいのん。お水に浸かってきゃー冷たーいって言って、水をバシャーン! お前やったなー! 仕返しだー! きゃー! ってして、あとは犬かきして遊ぶだけなのん」
「なるほど。じゃあ今度の休みに水遊びをしようか」
「おーいえー! リハビリ頑張るのーん!」
遥は右のこぶしを天井に向けて突き上げると、稜而に前髪を撫でられて眠りについた。
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