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Album
「何を見てるんだ?」俺は尋ねた。俺の部屋の本棚の前で立ち尽くす蓮。
「これ。」蓮はそう言うだけで、指差すでもなかったから、俺は蓮の視線の先を探るしかない。
そこに並べてあるのは卒業アルバムだった。教員になって20年だが、20冊あるわけじゃない。卒業学年の担任、または副担任を務めた年の分だけの、12冊。そして、その中のどこにも蓮の姿はない。
「すごいな。先生の歴史だね。立派だよ、やっぱり。尊敬します。」蓮は俺に微笑みかけた。
その表情を見て、思い出した。いや、蓮もこの中にいる。卒業アルバム用に撮影した個人の顔写真や、クラスの集合写真の中にはいないが、たまたま写り込んだ、体育祭や修学旅行といった行事の写真が数枚、あるはずだ。俺は一番左端の……つまり一番古い年度のアルバムを取りだした。パラパラとめくると、蓮が覗き込んできた。
「うわあ、懐かしい。これ、ケンタだ。あ、コウヘイもいる。」蓮は無邪気に当時の級友の名前を口にした。蓮は最初から俺に懐いてくれた唯一の生徒だったが、友達がいなくて教師にすがったわけではなく、親しくしている友人は何人もいる様子だった。蓮が突然学校に来なくなると、彼らは口々に俺に蓮の消息を聞いてきた。親のスキャンダルを知っている生徒も中にはいたが、野次馬的な興味を持つことはなく、友達として蓮を心配し、早く学校に戻ってほしいと願っている奴ばかりだった。蓮だって、どんなにか一緒に卒業したかっただろうに、と思う。
「蓮もいるよ。」俺はあるページを開いて、見せた。明らかに蓮と分かる写真はない。修学旅行で鹿をバックにふざけてポーズを取っている数人の男子生徒。その合間にたまたま顔をのぞかせている蓮。体育祭でトップでゴールを切ろうとしている生徒の、そのゴールテープを手にしている、斜め後ろから撮られた蓮。そんな風に、偶然居合わせただけの、ピンボケの蓮なら、そこにいた。
「こんな……こんなちっちゃく写ってるだけなのに、よく、見つけたね?」
「すぐには見つけられなかった。」アルバムはその年の6月に出来あがって、学校で渡された。持ち帰ったけれど、開けなかった。蓮がいない卒業アルバムを開く勇気がなかった。翌年は1年生の担任だった。そのまま持ち上がりでその学年を担当し、また3年生の担任になった。1年生から見てきた生徒のアルバムだから、それはやっぱり見たかったし、見てやるべきだと思って、素直に見ることができた。
その時まで記憶から抹消していた、蓮の学年のアルバム。そうだ、蓮だけじゃない。他にも生徒はいて、俺はそいつらのことだって必死で心を砕いた。蓮がいないからと言って開きもしないなんて彼らに失礼だったと反省し、俺は3年以上経って、初めて受け持ったクラスの卒業アルバムを開いた。そう、さっき蓮が口にしたケンタに、コウヘイ。最初は俺に反抗的だった生徒たちも、卒業の頃にはそれなりに心を開いてくれて。きみたちも大事な生徒だったのにごめん、と心の中で謝りながらページをめくり、でも、その中に蓮の姿を見つけた時には、やっぱり涙がこらえきれなかった。
「こっちにも。」俺は水族館のガラス越しに写っている蓮の写真を指差す。「それから、ここにも。」球技大会でレシーブの姿勢をとっている蓮を指差す。ピントは手前の敵陣のアタッカーに合っているけれど。
「先生……。」蓮はアルバムではなく、俺を見ている。そう気付いたけれど、アルバムから視線を外せない。少しでも動いたら、涙があふれてしまう。そうでなくてももう、ピンボケの写真が、もっと揺らいでいて、誰が誰だか、わからない。
「卒アルって、教師も載るでしょ。俺、これからいくらでも卒アルに載れるわけだ。」蓮は明るい声でそう言った。「ほら、教師一覧みたいなページもあるし。野上先生と同じページに載ることもあるかもしれないね。」
蓮のそんな言葉に、ついに涙腺が決壊した。俺は眼鏡を外して、手の甲で涙を拭う。
「先生、眼鏡ないほうが格好いいよ。若く見える。」
「馬鹿、もう老眼だ。眼鏡なしじゃ何も見えない。」俺は笑った。笑ったはずなのに、目尻の皺伝いに、また涙がこぼれた。
蓮の優しい指先が、その涙を拭ってくれた。
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