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第16話
「いらっしゃいませ」
間接照明の明るいカウンターでワイン・グラスとロックグラスを片付けるのをやめると、村井はまた挨拶をする。
挨拶をされた男。それは真宮ではなく、先日、真宮に告白を断られてしまった男だった。
「帽子、お預かりしましょうか?」
その村井の提案を断ると、男はカウンターの中へ戻った村井と向かい合うように席に着く。他の客は誰もいないようで、彼は深く被った帽子と目元を隠すような深い色合いのサングラスをとると、カウンターにそっと置いた。
「そろそろ、お見えになるんじゃないかと思ってました」
村井は男からの注文を受けずに、カクテルを作り始める。ドライ・ジンをやや多めに、パルフェ・タムールとレモンジュース、氷をシェーカーへ入れる。先程、真宮が来店する前に村井が用意していたカクテル・グラスへシェーカーの中身を注ぐ。あとは、カクテルの飾りとして、レモンの皮を切って作った月をグラスの縁へ添えた。
「ブルームーン……まさか貴方にまでそんな悲しいことを言われるなんて」
「まぁまぁ、そう言わず。あ、塩沢様も曽根様も急用ができたそうです。貴方によろしくとおっしゃっていましたよ」
出来上がったばかりのブルームーンに口をするでもなく、男……冴島はただ、そうですか、と村井へ言葉を返す。1週間程前に真宮から告白を断られて、あまりの村井の仕打ちに何て言うべきなのか、分からない。冴島はそんな様子だった。
「思えば、10年前に貴方と出会った時からだったのかも知れません。現実の現実めいた事に辟易していた私の人生にまるで舞台のような出来事が起こり始めたのは……」
「正確には俺の兄ですね。村井さん……いや、丸居さんと呼んだ方が良いですか?」
「丸居……。昨日、あの人にも言われました。本当に貴方はあの人に似てきた。当時はまだ中学生だったのに」
「……」
「中学生だった貴方が恐ろしい程の想像力で書き殴ったものにあの人とあと2人の3人で手を加えて、あの作品はできた。そして、それで佐伯と丸居という人物が生まれた。それがきっかけで、あの人と私はその後、つきあう事になった」
「……」
「そして、その10年後……つまり、今。何の因果か、あの人と同じ年になった貴方がこの店に訪れた。しかも、好きな人がいると言われて」
呼吸を置きながら。村井は物語をプロローグを語るようにゆっくりとした口調で話す。冴島は流れから分かる通り、一言も口を挟まなかった。
そこまでは冴島の知る事実であり、ここからは冴島も知らなかった村井の告白だった。
「私は現実主義者だと自負しています。人は願っても自力で空は飛べないと思いますし、祈っても過去へ行く事はできない。しかし、そんな現実主義者も真っ青の偶然すぎる偶然によって引き起こされた事象があるのだとすれば、それは何よりも美しいと思うのです」
「だから、俺に協力してくれたんですか? あの台を用意して、場所を用意して、曽根や塩沢という人物まで用意して、俺が真宮に触れる為に……」
冴島はやっと合点がいったと言わんばかりに口にした。物語を作って、丸居、いや村井を凌辱して、楽しんだ。今度はその村井に物語を作られて、冴島は弄ばれて、楽しむ為の駒にさせられたのだ。
少し歪んではいるが、見事な報復だった。
「そうですね。そうだとも、違うとも言えるかも知れないです」
「それはどういう……」
その瞬間にスタッフルームに通じる扉が開く。出てきた人物……
それは真宮だった。
「冴島さん……」
「確かにあれは私の黒歴史で、当時は合意ではなかったですが、それによって偶然すぎる偶然で起こる物語はとても美しかった。私は十分に楽しませていただきましたが、貴方は真宮様に触れるだけで良かったんですか?」
触れるだけで良かったのか。と村井に聞かれ、冴島は驚きつつも、真宮の方へと足を進めた。
カウンターに用意されたブルームーンのように。決して、手に入らないと思っていた、愛しい男が目の前にいる。
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