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第15話

 朝からテレビがクリスマスだとやかましい。かといって消してしまうと、むなしい空気が室内に充満して息苦しい。だから目的もなく街中を歩きまわった。にぎやかな空気に触れていれば、ちょっとは気分が浮き立つかもと考えて。  歩き疲れてチェーンのコーヒーショップに入って休憩。飽きたらまた、目的もなくにぎやかな場所をうろついた。なにもかもが遠い世界の姿に見える。目の前にある現実なのに、テレビをながめている気分だった。  テレビも街も、クリスマスに浮かれすぎだ。イベントごとなんて、社会人になってから関係なくなった。参加するのは正月に実家に帰って初詣をするくらいで、クリスマスなんてここ数年、気にしたこともなかった。  それなのに、俺はペットショップで見かけたペット用のクリスマスケーキに目を止めて、気がついたら買っていた。ついでにフライドチキンのファミリーパックと、人間用のちいさなホールケーキまで購入していた。それらを持って歩いていたら、シャンパンやワインを三角帽子をかぶった店員に勧められ、よくわからないままに黒ネコのマークがついているワインを買った。  それらを持ってマンションに帰って、ひとりでさみしいクリスマス――のはずが、俺の足は里見さんの家の前で止まった。  なにやってんだよ、と自分に向けてつぶやく。  はじめてここを訪れたときみたいに、門の前にたたずんで観察する。立派な門に格子の引き戸。大股で三歩ほどの前庭が、とてつもない距離に感じた。  ほんと。なにやってんだよ、俺は。未練がましく門の前に立って、どうしようってんだ。クリスマスだからって奇跡が起こるとでも考えているのか? ばかばかしい。  でも、イベントはなにかをする口実には、もってこいの言い訳になる。だからネコ用のケーキを買って、買ってしまったからにはオシロにどうぞと渡さなければと考えて、それだったらフライドチキンとケーキを里見さんに差し入れて、あわよくばワインで乾杯ができればなんて妄想した。  時間が経てば忘れられるなんて、自分をなだめておきながら未練たらたら。そうだよ、俺は里見さんが好きだよ。ひと目だけでも会いたいとか思っているよ。だからネコ用ケーキを見たときに、無意識に「口実にできる」と考えて買ったんだよ。  心の中で開き直っても、腕はちっとも持ち上がらない。インターフォンを押す勇気がでてこない。  そのままたたずんでいると、カラリと玄関のガラス戸が開いた。 「あ」  里見さんが俺を見て、目をまるくして固まった。ひさしぶりに見る里見さんは、相変わらず美人だった。さらさらの黒髪に白い肌。ながいまつ毛に愁いを含んだ瞳。通った鼻筋と、薄いけれどもぷっくりとした唇。透けるような白い肌のせいか、目の下のクマがとても目立っていた。 「体調、悪いんですか」  あいさつよりも先に、そんなことを言っていた。キョトンとした里見さんに「クマ」と言うと、恥ずかしそうに目元を抑える。そんなしぐさにキュンとして、もっと近づきたくなった。 「あの、ケーキ。今日、クリスマスで。いま、ネコ用のケーキとかあるんですね。それで、オシロにどうかなと思って。そうしたら、里見さんにもお土産がいるなと思って、チキンとケーキとワインを買って、だから……その」  どうして素直に会いに来たと言えないのか。はがゆくて視線をさまよわせると、里見さんは家の中に引っ込んだ。  そうだよな。俺を抱いたことなんて、忘れてしまいたいよなぁ。  落ち込んでいると、里見さんはコートを羽織って現れた。 「買い物、してきます。だから上がって待っていてください」  心なしか頬が上気しているように見えた。はにかむ里見さんが愛おしくて、両手が荷物でふさがれていなかったら抱きしめていた。俺の横をすり抜けて、里見さんは小走りに駆けていく。玄関は開けっ放しだ。ひょっこりとオシロが顔を出して、ニヤリとするとしっぽで俺を招いた。 「おじゃまします」  家に上がると、オシロが俺をチラチラ見ながら台所へと先導する。台所に入ってテーブルに荷物を置くと、オシロはフライドチキンの袋に鼻を近づけた。 「ったく。ここんとこ顔を見せねぇから、心配していたんだぜ」 「なんで」 「なんで、だぁ? 人間に戻ったとはいえ、おまえは俺様の子分だからな。子分の心配をするのは当然だろう」  子分になったつもりはないが、そこは黙っておこう。 「来られるわけ、ないだろ」 「来たくなかったってぇのか」 「そうじゃない」 「じゃあ、なんだ」 「風呂敷を、返さなくてもいいって言われた」 「それがどうした」 「会いたくないって遠まわしに言われたんだよ」 「はぁ?」  すっとんきょうな声を上げたオシロが、じっと俺の顔をながめる。 「なんだよ」  見返すと大笑いされた。 「ぶ、ははは! ずいぶんとつまんねぇ勘違いをして、ご無沙汰していたんだなぁ」 「勘違いなわけないだろ。里見さんが俺に会いたくないって思っても、しかたないんだから」 「なんで仁志が、おまえに会いたくないんだよ」 「それは……あんなことをしたのに、会いたいわけないじゃないか」 「まぐわったことを言ってんのか? それなら逆に、会いたくなるに決まってんじゃねぇか」 「どうして」 「言っただろうが。仁志はおまえを気に入ってんだよ。だから抱いたんだ。おまえだって仁志を気に入っているから、抱かれたんだろう」  口をつぐむと、やれやれと言いながらオシロは後ろ足で耳裏を掻く。 「人間ってぇのは、めんどくせぇなぁ。似たようなことを考えて、遠慮しあってたってぇことかよ」  フンッと鼻を鳴らしたオシロに、しっぽで手を叩かれる。 「おまえのせいで、俺様はここんとこロクな飯を食えてねぇんだ。仁志の顔を見ただろう? あれからよく眠れねぇで、クマなんぞこさえて上の空だ」 「なんで」 「てめぇで考える頭もねぇのかよ。わかんねぇなら仁志に聞くんだな」  ガサゴソとフライドチキンの袋を破ろうとするオシロを抱きかかえる。 「ネコにこれは味が濃すぎるから、ダメだ」 「なら、裕太の精を俺様によこせ。そうすりゃ問題ねぇだろう」 「なんで俺がおまえに精気をやらなきゃならないんだ」 「おまえのせいで、おざなりな飯ばっかりなんだよ。うまいもんを食いたくなるのは当然だろう。なぁに、裕太も資質持ちだからな。ふつうの人間よか、すくない量でこと足りる」  グッと首を伸ばされて顔をそむける。 「ケチケチすんな」 「あとで衣を剥いだ中身をやるから、おとなしくしていろよ」  身の部分なら、すこしくらいネコが食べても平気だろう。オシロは疑いの目で俺を見てから、しかたねぇなとぼやくと身をよじって俺の手から逃げた。 「庭にいるヤツらに、あいさつしろよ」  床に下りたオシロに縁側へ来いと誘われる。行けば数匹の野良ネコがのんびりと過ごしていた。オシロが鳴くと、ネコたちがいっせいに俺を見た。視線を合わせるとケンカになるから、微妙に目を合わせないように気をつけて、ひさしぶりと声をかける。するとネコたちは俺に興味を失ったらしく、あくびをして寝そべった。オシロは定位置の座布団にまるくなり、俺はその隣に座った。ベランダを見上げて、マンションにいるよりもしっくりくるなと考える。ゴロリと横になって目を閉じて、なつかしい匂いに包まれていると気持ちがほぐれた。  ほぐれすぎてしまったらしい。 「泉さん」  呼ばれて目を開けて、眠っていたのだと気がついて飛び起きる。 「あっ、里見さん」 「ご飯の用意ができましたよ」  照れくさそうな里見さんの声が、心なしかはずんでいる。座布団を見れば、オシロの姿はなかった。空はほんのり暮れていて、夕食にはすこしはやい時間だなと時計を見た。  テーブルにはサラダや煮物が並べられていた。俺の買ってきたフライドチキンも、きちんと皿に乗せられている。オシロはテーブルの端に座って、はやくしろとしっぽで俺を急かした。 「クリスマスらしい料理がわからなくて。すみません」 「いえ! 俺、里見さんの煮物、好きです」  里見さんも好きです! と、勢いで言えたらいいのに。  里見さんは安心したと口許をほころばせて、ラベルに黒ネコの描かれた白ワインをグラスに開けた。 「お持たせですが」 「いえ。里見さんと飲もうと思って、買ってきたので」  グラスを持ち上げて、メリークリスマスと声をあわせる。胸の奥がくすぐったくなった。オシロに催促されて、フライドチキンの衣をはがして、ほぐした身を皿に乗せた。  あれから体調はどうですかと聞かれて、問題ないですと答えて。それで会話は途切れてしまった。なにを言えばいいのかわからない。目の下のクマのこととか、オシロが食事がおざなりになったと言っていたこととか、聞きたいことはあるはずなのに胸が詰まって声が出なかった。  ときどき視線をあわせて笑って、なつかしい里見さんの手料理に舌つづみを打つ。ワインはあっという間になくなってしまった。ふんわりと体が熱くて気持ちいい。  食事を終えて、ケーキが出される。 「コーヒーと紅茶、どちらがいいですか」 「あ、俺やります」 「じゃあ、食器を片づけてもらえますか」  湯を沸かす里見さんの横で、食器を洗う。コーヒーを淹れる里見さんを横目で見ながら、こうやって毎日を過ごしたいと願った。  コーヒーのいい香りがただよってきて、オシロも鼻をうごめかす。 「俺様も飲みてぇな。仁志でも裕太でもかまわねぇから、精をよこせよ」 「ダメです」 「ダメだ」  ふたりの声が重なって、顔を見合わせた。オシロが不機嫌そうに、だけどどこかたのしげな声で「仲のいいこった」とぼやく。  食器を洗い終えると「すみません」と言われた。 「ごちそうになりましたから」  こんな他人行儀な会話、いっしょに住んでいるときはしなかった。あたりまえに食器を洗って、ありがとうございますと言われていた。あのころの生活に戻りたい。この家に、里見さんの傍に戻りたい。 「あのっ」  テーブルについてケーキを囲んで、ふたつに切る前に声をかける。クリスマスケーキにはろうそくがついていた。それはケーキに刺さっていない。 「ろうそく、点けましょう」 「じゃあ、マッチを取ってきますね」  里見さんが仏間へ行く。ろうそくの袋を破って、細いろうそくを二本ケーキに立てて深呼吸する。 「なんだ。討ち入りに行く前みてぇな顔しているぜ」 「そんな心境だよ」  ふうんとオシロがニヤニヤする。里見さんが戻ってきて、マッチを擦ってろうそくに火を点けた。 「ろうそくを吹き消す前に、願いごとをするんです」  そんなことを、なにかで聞いた気がする。そうなんですかと里見さんは感心して、揺れるろうそくの火を見つめた。 「二本ありますし、一本ずつ、それぞれ吹き消しませんか」 「そうですね」 「俺から、いいですか」  どうぞと言われて、胸を抑える。動悸が激しくなりすぎて、頭が痛くなってきた。緊張で体が震える。これから口にする願いが、拒絶されたらどうしよう。だけど、想いを抑えられない。 「また里見さんと暮らせますように!」  家中に響くぐらいの大声になった。ろうそくを吹き消して、ぎこちなく笑いながら里見さんを見る。里見さんは目を白黒させていた。 「さ、里見さんの番です」  どもってしまった。背中に冷たい汗が落ちる。困惑気味の表情は、迷惑がっているようにも見えた。里見さんがろうそくを見つめて、口を開く。どんなことを願うのだろう。  里見さんはチラリと俺を見てから、ろうそくに息を吹きかけた。 「泉さんと、この家で末永く暮らせますように」  フッと火を消した里見さんの目じりが赤い。聞き間違いじゃないのかと凝視する俺を、伏し目がちに見返す里見さんは笑顔だ。 「あの……泉さんさえよければ、この家でいっしょに暮らしませんか。オシロもきっとよろこびますし、庭に来るネコたちも泉さんがいなくなってから、どうしているのか気にしているみたいで」  うつむいた里見さんの手を、オシロが「おいっ」としっぽで叩く。 「そうじゃねぇだろう、仁志」  下唇を噛んだ里見さんが、意を決した表情になる。先に言われてなるものかと、あせって口を開いた。 「俺、里見さんが好きです!」 「僕は、泉さんが好きなんです!」  ふたりの声が重なって、オシロが「やれやれ」とおおげさにあきれた。 「ったくよぉ。だから言っただろうが。どっちも相手に気があるってよぉ」 「そんなこと、言っていましたか?」 「そんな話、聞いてないぞ」 「はぁ? 言っただろうが。仁志には、裕太はおまえといるのが居心地よさそうだっつったし、裕太には、仁志はおまえを気に入ってるってよぉ」 「それは、オシロが泉さんを引き入れようとして言っていただけでしょう」 「それは、オシロが俺を仲間にするために言っていただけじゃないのか」 「似たもの同士かよ」  ハッと鼻先で笑い飛ばして、オシロはテーブルから下りた。 「そんなら、邪魔ものは退散すらぁ。俺様の親切を邪推していたって、たっぷりと反省するんだな」  しっぽをゆらしてオシロが出ていく。ふたりきりになって、里見さんがぽつりと言った。 「人間に戻るために、しかたなく僕に抱かれて。だからもう、二度と僕の顔なんて見たくないんだと思っていました」 「違います! それを言ったら俺だって似たようなことを考えていました。好きでもない、俺みたいな男を抱くはめになって、里見さんはすごくいやだったろうなって」 「そんなことはありません。僕は……その、いかがわしいことを泉さんにしたかった。だからあのとき、下の名前を呼び捨てにしたいと言って、必要以上にあなたをむさぼったんです」  首まで赤くなりながら告白した里見さんに、俺の鼓動と股間がドキンと跳ねた。清楚な里見さんの口から、いかがわしいとか、むさぼるとかいう単語が出てくるなんて。  ゴクリと唾を呑み込んで、里見さんに手を伸ばす。 「俺も、里見さんといやらしいことをしたかったんです。抱く側でも、抱かれる側でもいいから、里見さんとキスとか、それ以上をしたかった。俺に夢中になってくれた里見さんを思い出して、自分でしたりしていました。だから、ぜんぜん平気です」 「泉さん」  里見さんの目が艶やかに濡れている。色っぽくて股間がムズムズした。 「あの、とりあえずケーキを食べませんか。それでよかったら、俺をこの家に住まわせてください。ずっと里見さんの傍に、置いてほしいです」  はい、と里見さんがうなずく。やったとこぶしを握って、クリスマスの奇跡はあるのかもしれないとケーキを見た。 「里見さん」 「はい」  ケーキに包丁を入れようとしていた里見さんの手を止める。 「里見さんの願い、別のものにしませんか」 「どうしてですか?」 「だって、俺が願ったあとに、里見さんもおなじことを言ったじゃないですか。それって、あとだしジャンケンみたいでズルいですよ。違う願いを、ろうそくにしてください」  小首をかしげた里見さんがなにかを言う前に、マッチを擦ってろうそくに火をつけた。 「さあ」  俺の願いはかなったのだから、里見さんの願いをかなえてあげたい。そんな気持ちをわかってくれたのかどうか。里見さんは「それじゃあ」とはにかみながら、ろうそくに唇を近づける。 「今夜、また“裕太”と呼ばせてもらいたい。朝まで、ずっと」  フッと火を消した里見さんが、ひかえめな微笑をたたえて俺を見る。瞳の奥にオスの気配を感じて、俺の喉がうわずった。 「僕の願いは、かないますか?」 「もっ、もちろんです」  声がひっくり返ってしまった。カッコ悪すぎる。羞恥と情けなさに全身を熱くした俺の頬に、里見さんの白くてきれいな指が触れた。 「これから、よろしくお願いします」 「は、はい。俺のほうこそ、よろしくお願いします」  顔を寄せて、唇を重ねる。  抱かれる側を“ネコ”と呼ぶと俺が知るのは、数か月先のことだった。 ―fin―

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