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少年
ボロを纏った少年が石畳の道を歩いていた。
ひと目で物乞いの浮浪者と分かる姿をしている。薄汚れた服から見える肌は垢や乾いた泥で汚れていた。
伸び放題のごわごわの髪の毛が顔のほとんどを隠していた。 夕暮れ時の石畳に少年の影が寂しげに映った。
二頭引きの馬車の御者が少年を見て眉を顰めたが、少年は気にせず飄々 と歩いていた。
レンガ造りの建物を右に曲がり路地裏に入ったところで、
「ノア」
同じような風貌の少年達に名を呼ばれた。
彼らは孤児たちだ。
二年前まで大きな戦があったので、親を失った子供たちが町には多くいた。
ノアのいる町は敗戦国側だ。戦勝国は戦争孤児たちの保護や支援を行う事を約束していたが、未だに手が回っていない町もあった。
「おいでよ。あの親切なおじさんから余ったパンをもらったよ」
よそから流れてきたノアを、この町の孤児たちは受け入れてくれた。
子供たちは皆で協力しあって一緒に生活していたのだ。
ノアには仲間意識は無いが、この子供らを利用していれば食べ物には困らないので、一緒に行動しているだけだった。
この町はまだ治安はマシな方だ。以前ノアがいたところはもっとひどかった。
「川で体を洗いに行こう」
「俺はいいや」
「ノア、すごく汚いよ」
皆、町の外れまで歩いていき、川で体を洗うのだ。少しでも小奇麗にしていれば施しを受けやすくなる。
けれど、ノアは小汚いままでいた。
体もかゆいだろうし、気持ち悪くないの? と聞かれるが、気にならないと言って、今日も一人で路地裏に残った。
正直、髪の毛はごわついて不快だったが、このままの方が都合がいい。
ノアは首に下げていた紐の先に括ってある小袋をじっと見た。
中身は木の根やハーブや小石の入ったまじない袋だった。
そろそろ効力が薄くなる。 森に材料を調達しに行かないと……ノアは壁に背を預けて座り、ぼんやりと考えていた。
「おい、ひとりか?」
突然、男に声をかけられてビクリとした。見上げれば背の高い男がノアを見下ろしていた。
───いつの間に!?
「……」
歳は二十代後半か三十半ばか。
随分と背が高い。鼻梁が高く彫の深い、男らしい顔立ちをしていて魅力的だ。
肩にかかる黒髪を無造作に後ろで結んでいる。
黒い瞳は力強く野性的で、その体も洋服の上からでも分かるくらいに逞しかった。
旅人だろうか。ブーツは汚れており、荷物を肩に担いでいる。
ノアはできるだけ男を刺激しないように、そっと立ち上がった。
「怯えるな。腹は減っていないか? 飯でもどうだ?」
「……いい」
人攫いか、子供好きの変態か……それともただのおせっかい野郎か。
ノアは16歳だが背は160も無いくらいで少女のように華奢だった。
だが、今のノアの見た目は汚い浮浪者だ。
いくら変質者でもこんな汚い子供に手を出すなんてないだろうが……。
ノアはじりじりと男から逃げようと後ずさる。すると、ノアが引いた分だけ男も歩を進めた。
───こいつ……!?
ノアはダッと走り出したが、すぐに逞しい腕が華奢な体を抱き上げた。
「離せッ!! なにすんだ!? 変態! 人攫い!!」
全力で暴れるノアを軽々と抱えて、男はノアの前髪をかき上げた。
「なっ!?」
「……やっぱり」
ノアの瞳を見て、男は満足そうに笑った。
「……相変わらず美しいオッドアイだ。 探したぞ」
「あ、あんたなんか知らねぇよ……は、離せよ!! 変態!! 人殺し……もが!」
「おい、人殺しはないだろ」
大きな手で口を塞がれたノアは、もごもごと呻きながら男を睨みつけた。
男はうっとりとした目でノアを見つめたが、その瞳の奥に宿る光にノアはゾッとして鳥肌を立てた。
「ああ、その気の強い瞳がたまらないんだ」
「……ううッ!」
ノアの右の瞳はエキゾチックなブルー、左の瞳はゴージャスなゴールドだ。
まるで宝石のように美しいオッドアイだった。
男は手早く紐でノアの両手を縛り、布を口に押し込めて猿轡を噛ませた。
ノアの小柄な体を布袋に入れて担ぎ、口笛を吹いて通りで待たせていた馬を呼び寄せた。
日が暮れた頃、安宿に着いた男は馬から下りた。馬舎に馬に繋いでから、布袋に入れたままのノアを肩に担いだ。
カウンターにいた宿の主人に湯を用意するように言って、二階の部屋へと上がって行った。
「よっと……」
部屋に入った男は布袋からベッドに少年の体を放り出した。
ベッドの上に転がされたノアは暴れ疲れてぐったりしていた。
その間に宿の者に風呂の準備をさせた。
男は上着を脱いで無造作に椅子に投げてからベッドに歩み寄る。
意識を失ったままのノアの拘束を解き、汚れた頬を撫でて眉を顰める。
着ている服もだが、ひどい匂いだ。蚤でもいるんじゃないかと疑うくらい髪も汚い。
だが、汚れを落とせば美しい相貌をしていることを男は知っている。
───やっと見つけた。
魅力的な微笑を浮かべて、男はノアの頬をぺちぺちと軽く叩いた。
「おい。大丈夫か?」
「……う」
拘束を解かれたノアは瞬きをして、ゆるゆると目を開いた。男の顔を見て、起き上がり逃げようとしたが、またしても男の太い腕に阻止されてしまう。
「おっと」
「離せ! ここ、どこだよ!? 離せっつってんだろ! 変態野郎ッ!!」
「元気だな」
男はハハッと笑ってノアを抱き上げた。
「安心しろ。この宿は丸ごと俺が貸し切っている」
「何を安心しろってんだよ!? あんたが危険人物だろ!! おろせ!!」
「まずは風呂だ。湯を用意させた。いつから風呂に入っていないんだ? ひどい匂いだ」
「そう思うなら離せよ!!」
ぎゃあぎゃあ喚くノアを抱いたまま、衝立の向こうのバスタブへ運んだ。ほとんど破いて剥すように、ノアのボロを脱がせた。
「ぎゃぁあ! 変態ッ!! やめろ!」
「風呂に入れるだけだ」
素っ裸に剥かれたノアは、猫脚のバスタブに放り込まれた。
ノアは必死に暴れているが、体格差がありすぎて全く効果が無い。
ノアが暴れる度にバシャバシャと湯が跳ねて男の服も濡れたが、男は気にせずに拾ってきた子猫の世話を焼くようにノアの体を洗った。
「やっ、やめろ! 触るな!!」
「いいから、遠慮するな。垢まみれだ」
「遠慮なんかしてない! 気持ち悪いんだよ! 触るな!」
「ほら、風呂は気持ちいいだろう? ああもう、こんなに汚れちまって……綺麗な顔が台無しだ」
「やめ……ケホッ!」
「湯が口に入る。ちょっと黙ってろ」
結局、再び暴れ疲れたノアは男に全身を洗われてしまった。
正直に言えば久しぶりの熱い風呂が気持ちよかったのもある。
───こいつ……何なんだ? どうして俺を……
「ほら、綺麗になった」
ノアのごわごわに固まっていた髪は蜘蛛の糸のように細く美しい銀色だった。
陶器のような頬、薄っすら赤く色付いた唇、銀色の長い睫毛に縁取られた大きくて可愛いらしい瞳に宝石のようなオッドアイ。
その顔はビスクドールのように整っていた。
男はうっとりと目を細めて、嬉しそうに笑った。
そして、洗い終えたノアをタオルで包んで抱き上げた。
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