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第1話

 真っ暗な闇をただひたすら走るだけの夢をみていた。それは出口が見えない迷路のようでもあり、ただ、俺を閉じ込めるためだけの、あの時の呪いのような。 「やぁ、おはよう。気分はどうかな?」 ぼんやりした視界がひらけて、声のした方に目を向けると、そこには金髪の男が立っている。 「ーーー私は桜庭湊。自分の名前は、覚えているかい?」 クロッカスに口づけを  湊の髪や目は毎回色が違うが、基本は金色が多い。瞳も赤や緑、様々だ。何故そんなに変わるのかとたずねたら、「私は色々混ざりすぎていてね」と笑っていた。 「……さて、温羅。今日はどうかな」 「特に意識も飛ばないし、歩けてる」 百年に一度、七日間しか起きていられない「呪い」を受けている俺は、てっきり今回も百年経っていると思っていた。が、「十五年だね」とヘラリと笑った湊に返す言葉を失ったのは一昨日の話だ。 「…何かが混ざっているような感じはないかな?気持ち悪いとか」 「ーーーー特にはない」 「そう。なら、少しは馴染んでいるようだね」 俺は、目が覚めたとき血だらけの着流しを着ていた。もちろんそれは自分の血ではない。そして、誰の血なのかもわからない。湊が俺を温羅と呼ぶまで自分の名すら忘れていたのだ。 記憶が所々かけている。十五年前の記憶なんてまるでない。 ただ、目が覚めたらいつも血に塗れた自分の四肢が視界に入る。  正直、それが怖くて仕方がなかった。 自分がいったい何をしていたのか、分からないから。 「……今日は食事はとれそうかな?」 ふふ、と楽しそうに笑う湊がそう聞いてくる。湊の髪が揺れ、それを流すように視線を動かし、目を合わせた。今日は青色なのかと感心していると、ふわりと頬に手が触れる。ひんやりとしたその冷たい掌に少しだけすり寄りながら返事をした。 「――多分。腹なら空いている」 「まぁ、今は7日目を過ぎるのを待つしかないかな。それをすぎたら説明してあげるよ。十五年前の事を」  7日目は、新月だ。  いつも7日目には正気を保てなくて、気がつけば百年後。それを繰り返してきたけれど、十五年で目が覚めたのは初めてだった。 「君は力が強過ぎるし、それをまるで制御できていない。だから、新月に君を理性で押さえつけるはずの人の血が眠ってしまう。本来ならば、逆のはずなんだけどね」 「逆?」 「君が百年眠り続けているその部分は鬼の要素だろう?君は母親に呪われているのだから」 母親は、人間だ。 人の呪いは、人にしか解くことが出来ない。 「……でも、まぁ、化け物である私の血が混じってしまっているから、人でも鬼でもなくなるかもしれないけどね」 顎に手を当てながらそう言って笑う湊を見上げ、けれどすぐに視線を手元に落とした。 「血に塗れているのは、俺が誰かを手にかけたからだろう」  目が覚めたら、血に塗れた自分がうつる。それが怖くて仕方がない。 呪いは自分が思うよりずっと深く、そして強い。新月が来るのが怖くて、また自分が自分で無くなるのが酷く、恐ろしい。 でも、今回は 「……あんたがくれた、希望だ」 「私は化け物だからね。血の力が一番効く」 きっと、鬼や人以外の何かになってしまっても。 誰かを傷つけるより、ましだ。 「ありがとう、湊。あんたのお陰で生きられる」 「その言葉は、君が8日目を迎えてから受け取ることにしようかな」 茶化すように笑い、湊が俺の頭を撫でた。伸びきった黒髪は、座り込むと床につく程に長く、邪魔だ。 「そう言えば、勝呂はどこにいるんだ?」 座っている寝台に広がる自分の髪を摘みながら湊にたずねると、「そうだね」と顎に手を当てながら湊の唇がニヤリと弧を描く。 「彼は今、牡丹だ」 「ーーーーーそれは、誰の」 「今の彼を霊山の主だった「勝呂」だと知っているのは限りなくゼロに近い」 どういう事だ、牡丹という名前は、一体、  ーーーーあぁ、どうか、 記憶が砂嵐のように荒れて、頭に走った鋭い痛みにこめかみに手を当てながら俯いた。 「………温羅、忘れてしまいたいなら、忘れてしまえばいい」 「ちが、う」 「大丈夫。君は、温羅だ。牡丹の息子だよ」 ちがう、父様の名前は、勝呂だ。 牡丹は、あの七日間の、あの時の、 「大丈夫だよ、温羅。眠りなさい」 目が覚めたら、きっとーーー。 そこで、意識がプツリと途切れた。

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