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第1話

1   轟音と共に、恐竜を模した大きなモンスターが襲いかかって来る。狙いを定めて放った弓が、モンスターの眉間に当たって、動きが止まった。その隙に、魔術師の炎魔法が放たれて、モンスターに直撃した。衝撃にモンスターが身悶える。やべ、と思ったときには既に遅く、長い尻尾が振り乱されて、身体が弾き飛ばされる。しかし、すかさずに、気心知れた仲間からの回復魔法が飛んできて、ほっとして体勢を立て直した。  体力は十分、モンスターの方は瀕死状態だ。狙いを定め、再び弓が急所に向かって放たれると同時に、剣士の持つ大剣が、モンスターの身体を真っ二つに切り裂いた。苦しげなうめき声と共に、淡い光に放たれて、モンスターの身体が消えて行く。 「おつかれさまでしたー」 「おつかれー」 「お疲れ様!」  勝利のメロディが流れるのと同時に、チャット画面に、つらつらと綴られてくる冷静な挨拶の言葉。当たり前のように、「おつかれさまー」とキーボードを叩いて文字を打ち込んだ。  駿河秋(するがしゅう)、二十六歳。社会人になって四年目だ。朝早く起きて会社に行き、仕事をして、家に帰るという代わり映えのない日々に嫌気が差したのはいつだっただろう。仕事の多忙と、余裕のなさから、学生の頃から付き合っていた彼女とは、社会人一年目の夏に別れた。めでたく、彼女いない歴も四年目となる。  彼女と別れてからは余計に仕事だけの毎日で、精神的にも肉体的にも疲れが溜まるばかりだった。正直、もう辞めようかな、と思ったことは数知れない。  このままじゃいけない、と思ったときだった。帰り道、駅に向かう途中で、大画面の広告塔に流れていたコマーシャルに、目を奪われた。甲冑に身を包んだ男が、鋭い剣を掲げる。それを合図に、弓が、魔法が、大きく醜い魔物相手に飛んで行く。派手なアクションの後に、物語の予感を感じさせる、儚げな美女の横顔が映る。  ――きみは、ひとりじゃない。  多くのキャラクターの背中が並んだ画面に、キャッチコピーと思しきその文字が大きく映し出されて、息を呑んだ。  就職してからは離れがちだったけれど、元々、ゲームは好きだった。プレイしたことのある有名なRPGのナンバリングタイトルということもあったが、それ以上に、短いキャッチコピーが頭から離れなくて、気が付いたら駅と直結している大手家電屋に向かっていた。発売から少し経ったにも関わらず、平積みしてあったそのソフトを手にし、すぐに清算を済ませた。幸い、その他の環境は整っている。  ソフトの入った袋を鞄に入れ、電車に乗った。  家に帰るまでの時間がこんなにわくわくするのは、とても久しぶりだ。にやけそうになる口許をぎゅっと引き締めて、つり革を握り締めた。  帰宅後、すぐにソフトを開封し、諸々の設定を済ませて、ゲームを始める。  ――目の前が、異世界に包まれた。  舞台は、ヴォーラントという国らしい。首都を中心にして四つの大国があり、それぞれを別の種族が治めている、という説明が、オープニングムービーでされていた。プレイヤーは冒険者になり、自分の種族と、始まりの国を選べるみたいだ。  見た目は人間に近いヒューズ。身体が小さくて、背中から羽根が生えているフェアリー。身体が大きくて筋肉質のオーク。猫や犬などの耳と尻尾が特徴的なコボルト。この四つが、主に存在する種族のようだ。プレイヤーのキャラクター設定画面では、どの種族でも、自分の好みにカスタマイズできるらしい。髪型や顔立ちは勿論、眉毛の角度や、声色まで細かく設定できることに驚いた。  どれも味があって暫く悩んだけれど、元来の犬好きが顔を出して、犬の耳と尻尾のついたコボルト族を選んだ。アバターの顔の造りはどれも整っていて、犬耳尻尾のついたイケメンを自分の分身として扱うのはちょっと抵抗がある。かと言って今更一から作り直す気もなくて、そのまま、スタートボタンを押した。  壮大な音楽と共に、ムービーが流れる。まるで映画のようなきれいな画面と滑らかなその動きを見つめているうちに世界に引き込まれ、自分が作ったアバターも、いつの間にか馴染んでいた。  アバターの名前は、本名の読み方を変えて、アキにした。コボルトたちが暮らすのは、トレントという森の中の集落で、緑に囲まれたその土地の入り口に立つところから、物語が始まる。四つの国がそれぞれ均衡を保っているという世界情勢の説明がされ、自然の中で暮らすコボルトとそれを支えるトレントの描写が、ムービーの中で描かれた。  ――トレントに訪れた冒険者は、この世界で何を見付け、何を得るのか。  ――今、歴史に刻まれる第一歩が、踏み出されようとしている。  画面上に浮かぶテキストを見つめて、息を呑んだ。知らず、コントローラーを握る手に力が籠もる。非日常への、第一歩。画面の中のカメラが、森を通り、がやがやとした街並みを抜けて、俺の分身であるアキをクローズアップする。太い眉、垂れ気味の蒼い瞳、薄い茶色の短髪と、現実の俺とは程遠いアバターが、俺の持つコントローラーの動きと連動して、歩き出す。木で出来た古めかしい大きな門が開き、トレントの集落へと、踏み出した。  そのときの高揚感は、今でも忘れられない。  「駿河さん、最近帰り早くないすか」  就業時間が終わったのが一時間前、その日の仕事を片付けて、いそいそと帰り支度をしていると、後輩に声を掛けられた。まだ作業中の憐れな後輩くんの肩をぽんと叩いて、鞄を背負った。 「そーかな、普通だよこれくらい」 「嘘だあ、ついこないだまで残業まみれだったのに!」 「人聞きの悪いー」 「あ、アレか、彼女か! とうとう駿河さん、彼女ができたんすね!」  うらぎりものおお、と頭を掻きむしっている後輩くんの叫びを背後に、俺は逃げるようにドアを潜る。 「彼女じゃなくても、家に帰る理由ができたんだよ」  振り向きざま、後輩くんに笑顔を見せた。そもそも俺は、キミと条約を交わした覚えも同盟を結んだ覚えもないんだけれども。後輩くんはそれを聞いて、「なんすかそれ思わせぶり! 彼女じゃなくて彼氏ですかーうらぎりものおおー」とよくわからないうめき声を上げていた。  ――まあ、ネトゲなんですけど。  とは、流石の俺も、声に出せない。  心の中で舌を出しながら、軽い足取りで、家に帰った。

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