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第2話

2  ――きみは、ひとりじゃない。  そう謳ったキャッチコピーに偽りはなく、ゲームの中は、常に他人のアバターで溢れていた。通りすがりに会話が聞こえてきたり、他人の動向がシステム画面に流れてきたりと、賑やかだ。慣れないうちは戸惑ったけれど、徐々に慣れてくると、そんな会話を聞くのも楽しくなってくる。  女の子のキャラにすりゃよかったかなー。  道を行く女の子たちは露出が多く、可愛らしい恰好をしている。むさ苦しい犬耳のイケメンよりも、可愛らしく尻尾を振る犬系女子にした方が得策だったかもしれない……。何より、かわいこちゃんたちは、目に見えて親切にしてもらっている。往来でプレゼントを渡されている犬耳女子を横目に、しみじみと思った。  このゲームでやることは、基本、敵を倒してレベルを上げることと、クエストをこなして信頼度を上げることだ。クエストというのは依頼のようなもので、街のキャラや、国の要人たちからの頼まれごとをこなし、信頼に足る人物と評されれば、他の国にも自由に行けるようになるらしい。地道に敵を倒してレベルが上がりつつあるけれど、これ以上話を進めるには、敵が強くて一人じゃ厳しい、というくらいになった。  この先のダンジョンに行かなければ話が進まないのに、その入り口の敵に何度も倒されてしまう。堅実にレベルを上げれば良いのだろうけれど、少しの横着さもあって、俺は、周囲の人に助けを求めた。 「すみません、誰かウェルトン手伝ってくれませんか」  フィールド全体に聞こえるようにチャットを打つ。ウェルトンというのは目的地である洞窟のことだ。火の玉や骨のモンスターがうようよいて、近付くことすらままならない。モンスターの目につかないところで待っていると、ぴろりん、と音がした。 「いいよ、自分も丁度行くところなんだ」 「ありがとうございます!」  個人を指名してチャットで連絡を取り合うのが、このゲームの主な連絡手段だ。他にも、仲の良い人だけグループ化したり、大きな組織としてチームを組んだりもできるらしいけれど、今の俺には関係ない。お礼を言うと、<シノさんから仲間に誘われました>というメッセージが出た。仲間になる、を選択して、パーティを組む。 「よろしくお願いします!」 「こちらこそ、よろしくー」 「パーティ初めてで、迷惑かけたらすみません……」 「大丈夫だよー」  優しい言葉掛けに安心するけど、正直に言うと、ものすごく緊張していた。実はこのゲームで、チャットで誰かに話しかけるっていうのも初めてなんだ。 「入口にいる?」 「はい」 「今向かうね」  少ししてから現れたのは、正にイケメンだった。同じコボルト族だけど、彼は犬耳じゃなくて、猫耳を頭につけている。明るい青い髪が眩しい。少し長めで無造作な髪型が、よく似合っていた。体格はよく、俺のアバターよりも背が高い。 「シノっていいます。よろしくー」 「アキです、よろしく」  お互い顔文字を付けながら挨拶を交わし、「じゃあ行こうか」と彼に促されての出発になった。二人だけだけれど、すごく、心強い。特に彼がヒーラーだったので、俺の体力がなくなるとすかさず回復してくれるから、助かった。ギリギリだったけれど、何とか洞窟の中のボスを倒すことができた。道中、全てシノさんが先導して、道案内までしてくれた。 「ありがとうございます!」 「俺も助かったよ」 「でもすごい、慣れてますね」 「そうでもないよ。あ、フレ申請していい?」 「うれしいです!」  <シノさんとフレンドになりますか?>というメッセージが出てきて、迷わずに、「はい」を押した。  この日を切っ掛けに、シノさんとは毎日ゲームの中で遊ぶようになった。  ――きみは、ひとりじゃない。  そのキャッチコピーが偽りではないと感じるくらい、二人で過ごす時間が多くなった。  ――仕事が出来るようになりたいなら、趣味をもて。  入社して間もなく、上司が口癖のように言っていた言葉を思い出す。当時の俺は慣れない仕事でとにかく余裕がなくて、残業も当たり前になっていた。その所為で彼女と別れたことをぼやいていたら、肩を叩きながら、爽やかに笑って言われたのだ。その上司は五十代に差し掛かろうとしているのに見た目も中身も若く、笑顔が眩しい人だった。勿論、仕事も出来る。趣味なんてもつ暇がないです、と情けなく返した俺に、暇なんて作るんだよ、と豪快に言ってくれたことを思い出した。そのときは、作れたら苦労しないよ、と多忙ばかり嘆いていたけれど。 「お先に失礼しまーす」  上司の言う通り、趣味は強い。最近は、家に帰るのが目的で、以前よりも効率的に仕事を片付けられるようになった。休憩と称してちょくちょく喫煙所に抜け出していた時間や、先輩方との雑談の時間をカットし、如何に早く帰れるかが目標になったのだ。趣味、最高。――ネトゲですけど。 「あ、駿河さーん」  上機嫌に帰ろうとする俺を止める声が、背中から聞こえる。後輩くんだ。さっきまでパソコンと睨めっこをしていたのに、帰る俺を引き留めようと立ち上がって近付いて来た。 「なーに、仕事なら手伝わないよ」 「うわ冷たっ。……じゃなくて、他のこと手伝ってほしいんです、最近しあわせいーっぱいの駿河さんに」 「しあわせいっぱいってなに……」  この後輩くんは、俺の早帰りの理由を、ものすごくピンクなものだと想像しているようだ。羨ましいような、恨めしいような視線に、思わず肩に掛けたカバンがずり下がる。 「合コン、来てもらえませんか」  お願いします、と手を合わせて頭を下げる後輩くんに、目が点になる。 「……しあわせいーっぱい、の先輩に頼むことじゃないんじゃないの……」 「あ、やっぱりそうなんですか、彼女ですか彼氏ですか」 「いやどっちも違うんだけどさ、前ふりおかしくない」 「どうしても人数足りないんすよお。最近駿河さん余裕そうだし、この前彼女欲しいって言ってたじゃないですか」 「言ってたけど……」  それは、ゲームに出会う前の話だ。  今の俺は、前の俺と違って、休みの日を持て余す、なんてこともない。――いやいやいや、だからといって、ゲームに全てを捧げるのもどうなんだ、と、冷静な部分が顔を出した。  目の前を見れば、後輩くんの必死な顔。「もう今週末なんです、駿河さんだけが頼りなんですー」と眼鏡越しに瞳を潤ませて(男の涙目になんか絆されないけど!)、頼み込んでくる。俺は一度視線を逸らして、息を吐いた。そして、頷く。 「いいよ。何時から?」 「金曜の、20時からです!」 「うわ、ガチなやつじゃん……」 「場所とかはまた連絡しますね! お疲れ様でしたー!」  目を輝かせて、礼を言いながら手を振る後輩くんに、軽く片手を挙げ返す。  合コン、かあ。  会社を出ると、繁華街のきらきらとしたネオンが眩しく輝いている。歩道には、腕を組みながら、手を繋ぎながら、寄り添い合って歩くカップルの姿がちらほらと見える。首元に巻いたマフラーに顔を埋めて背を丸めて、「さむー」と小さく呟いた。――寂しくなんかないけどね、べつに!  コンビニ飯を味わって、風呂に入れば、俺のアフター5(残念ながら時間的にはアフター9)の始まりである。パジャマに着替え、テレビとゲームの電源を入れて、コントローラーを握る。もうすっかり慣れてしまった美麗なタイトルを見てからスタートボタンを押せば、ヴォーラントの中だ。見慣れたイケメンのアバターが、もふもふの尻尾を意味もなく揺らしている。 「よ、ばんわー」 「シノさんばんわ!」  インすると同時に、シノさんからチャットが飛んでくる。今では殆ど毎日、どちらかから声を掛けるのが日課になっていた。レベル上げでも、シナリオを進めるのでも、一緒にパーティを組んでいる。 「今日は何する?」 「んー、シナリオ進めよっか」 「了解」  <シノさんから仲間に誘われました>というメッセージが現れて、俺は迷わず、<仲間になる>を選択する。大体いつも、仲間に誘ってくれるのはシノさんだ。 「あ、うそ!」 「ん?」 「俺まだレベル足りなかった、レベル上げ手伝ってー」 「はは、りょーかい」  シナリオを進めるには条件があり、大体がレベル制限だ。未だ俺はメインのジョブのレベルが三十しかなく、確か次のシナリオ開放は、三十三が条件だったはずだ。ゲームそのものにあまり詳しくない俺はこういううっかりが度々ある(そもそも調べようとしないっていうのはナイショだ)のだけれど、シノさんはいつも笑って許して、俺の希望を叶えてくれる。器の大きい人だと思う。 「ダンジョン行こうか」 「ルドウィック?」 「アキ行ける?」 「が、がんばる……」  何を隠そう、まだ操作には慣れていない俺である。そんなに器用じゃないこともあって、ついうっかり死んでしまうことが多々あった。その度にすかさず、シノさんが回復してくれる。まじ、頼りになります。  ルドウィック森林は、名前の通り、深い森を模したダンジョンだ。オオカミやコウモリみたいなモンスターが周りをうろうろしていて、そいつらを倒しながら進んで行く。ボスは大きな木のオバケで、物理攻撃も魔法攻撃もしてくるから性質が悪い。 「あ、そこ。罠があるから気を付けて」 「あああ」 「……ごめん、一足遅かった」  シノさんが声をかけるのと同時に、俺のキャラクターが爆発に巻き込まれてダメージを負った。すかさず回復してくれるのに、「ありがと」と礼を打つ。シノさんは一度、別のキャラクターでシナリオを全てクリアしているらしい。きっかけがあってキャラクターを作り直し、最初からやり直しているから、ダンジョンの仕組みをよく理解している。地理も完璧で、俺はただただ、ついていくことしか出来ない。 「うわあああ」  そう、そういうプレイをしているから、たまに、敵に囲まれて、瀕死になることがある。 「あああ、アキごめん」  オオカミとコウモリ、骨系のアンデッドに次々と攻撃される。弓が飛び交う範囲攻撃をするけれど、多勢に無勢で、適わない。徐々に減って行く体力に気付いて、少し先を行っていたシノさんが慌てて引き返してくれた。 「死んだー! ごめん!」  時既に遅く、俺の体力ゲージは真っ赤になり、ばたりと倒れてしまった。へなり、尻尾が情けなく垂れ下がる。体力が少なくなっていたモンスターをシノさんが魔法で倒し、蘇生呪文を唱えてくれた。淡い光に包まれて、すぐに俺のキャラクターが起き上がる。 「ありがとー」 「いや、気付かなくてごめんな」 「いやいや、俺がもたもたしてたから」 「何か……自分が死ぬのは良いけど、アキが死ぬのは嫌だな」  おお、すごい、ヒーラーとしてのプライドを見た気がする。 「シノさん死んでも、俺、生き返せないよ」 「まあ、そうなんだけどさ」  シノさんのキャラクターが、俺のキャラクターを、撫でた。一種のコミュニケーション手段として、コマンドの中から選択するとそういう動きを表現することができる。俺は少し不思議に思いながらも、とりあえず、<喜ぶ>表現をして見せた。 「よし、後はボスだけだ」 「死なないように、がんばります……」 「はいw」  笑いの意味の記号を後に付けて、シノさんが答えてくれる。  森の奥深くまで行くと、大きな木のオバケが俺たちを待ち構えていた。根っこが長く伸びて、勢いよく地面に叩きつけられる。間一髪で避けたけど、根っこが這った後に地面は抉れていて、当たっていたらただじゃ澄まないとぞくりとした。 「何回やってもやだなー、コイツ」 「回復するから、怖がらなくていいぞ」 「ん、さんきゅ!」  シノさんの言葉に後押しされて、至近距離でどんどんと弓を射る。徐々にオバケの体力が減っていくけれど、同時に、木が吐き出す粘膜が身体にかかってしまって、動きが遅くなった。  シノさんがすぐに状態異常を解く魔法を掛けてくれて、動きがスムーズになる。その隙に打った強力な必殺技がオバケの身体に命中し、動きが弱くなった。畳みかけるように、俺の弓と、シノさんの攻撃魔法をくらったオバケは、「ウォオオオオオ」と地を這うような叫び声を上げて、光となって消えて行った。  戦闘終了、勝利のメロディが流れ出す。 「ふいー、終わったあ」 「おつかれさま」 「シノさんありがとー」  そして、レベルが上がったことを報せる音楽が流れた。 「お、おめでとう!」 「やったー、ありがとありがと!」  シノさんのキャラクターにハグしながらお礼を言うと、「いえいえ」と返してくれる。やっぱりシノさんのサポートは完璧だ。 「俺、シノさんがいなかったらすぐ辞めてたかもしんない……」  と言うのは、俺の本音。  このゲームのシステムはフクザツで、一人でやろうとしたら、色々と調べないといけない。コツコツ強化もしないといけないから、怠惰な俺には難しい。シノさんがいてくれるから、遣り甲斐や楽しさもあるんだと思う。 「俺もアキと遊ぶの楽しいし、お互い様」  そう言ってくれるのが嬉しくて、「ありがとー!」ともう一回ハグしておく。  その日も日付が変わるくらいまで、幾つかダンジョンを巡って、レベルを上げた。シノさんも社会人らしくて、生活リズムが合うのも、助かってる。「おやすみ」の挨拶を交わすのは少し擽ったいけれど、それも最近の日課である。  夢の中では、キャラクターの姿がリアルの俺に代わり、シノさんのキャラクターと一緒に、モンスターと戦っていた。速攻瀕死になった俺に回復魔法を掛けてくれるシノさんがやけに輝いて見えて、何故だかキュンとしてしまうという、不思議すぎる夢だ。

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