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第3話
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いよいよ、金曜日がやってきた。気乗りしない合コンは、会社を出る間際、ぱたぱた駆けてきた後輩くんの「駿河さん、今日、遅れないでくださいね!」という念押しの一言で、なかったことにはできなくなった。
「はいはい」
「うわ適当な返事!」
「じゃあまたね」
「待ってますからねー!」
背後から聞こえる後輩くんの声に片手を挙げて、俺は会社を後にする。合コンなんて本当に久しぶりだ。一度家に帰って、着替えを済ませてから待ち合わせ場所へと向かう。やっぱり冬の空気は冷たくて、コートのポケットに手を突っ込み、マフラーに顎を埋めた。退勤ラッシュで電車の中は混んでいる。窓際に立って揺れに身を任せていると、窓の外に、大きな広告が見えた。
――きみは、ひとりじゃない。
それはいつか目にしたコマーシャルをポスター化した、例のゲームの広告だ。すっかり見慣れてしまったパッケージを見て、思わず口角を持ち上げる。
確かに、ひとりじゃない。
頭の中を過ぎったのは、もちろん、ゲームの中のパートナーだ。
「ごめんごめん、電車がめちゃくちゃ混んでてさー」
「混んでても到着時間は変わらないでしょ?! あれほど遅れないでくださいって言ったのにー」
「ごめんってば。あ、どうも、こんばんはー」
指定された店に着いたのは、約束の時間から十五分過ぎてのことだった。洒落た雰囲気の個室居酒屋になっていて、店員から案内された席に辿り着くと、当然だけどもう全員揃っていた。軽く謝ると、後輩くんの怒号が飛んでくる。
「ほんとすみません、この人こういう人なんです……」
「後輩くんの先輩で、駿河秋っていいまーす。春夏秋冬の秋って書いて、シュウ」
よろしくね、と笑いながらコートを脱ぐ。ハンガーにコートを掛けていれば、「後輩くんじゃなくて浅井です!」という後輩くんのツッコミに、女の子たちがくすくすと笑っている。ウケたんだから、感謝してほしいくらいだ。
「隣失礼しまーす?」
「ああ、生でいい?」
「あ、お願いしまーす」
空いている端の席に腰かける前に、隣の人に声を掛けた。気が利くその人はすかさずに注文を取ってくれて、どもっす、と頭を下げながら腰掛ける。既に目の前には幾つか料理が用意されていて、どれも美味そうだ。俺の隣の彼は女の子より気が利くようで、サラダまで取り分けてくれた。
「すんませんー」
俺が礼を言うと、爽やかな笑顔が返ってくる。うーん、イケメンだ……。手を加えていない(ように見える)黒髪はさらさらで、優しそうな目許が印象的な人だ。
「じゃあ改めて、自己紹介といきましょうか!」
後輩くんが張り切って仕切りだした。うんうん頷きながら、俺はサラダを食う。美味い。
「まずは女の子から、いいですか?」
「はーい、猪口です!」
俺と対角線上に座るショートカットの子は、明るく元気が良い。
「中井です」
その隣に座る子は、眼鏡が似合う理知的な女性だ。
「高野でーす」
続いては、茶髪のパーマの髪を揺らし、胸元を強調する挑発的な服を着た女の子。
「ち、千代田です……」
俺の目の前に座る子は、緊張した様子だ。黒髪ロングで、薄いピンクのワンピースを着た、大人しそうな子。
「ありがとうございます! はい、じゃあ男性陣どうぞ! ご存じ俺は、浅井です」
うわあ、後輩くん、うざい。
ばっちりウィンクなんか決めてる後輩くんは、活き活きしている。こんなの、職場で見たことないぞ。
「浅井の友人の村山です。自慢は筋肉です」
端に座る後輩くんの隣に座る、短髪ガチムチ系の男性が、早速二の腕を露わにして筋肉自慢をしている。わあお、女の子がちょっと引いてる。俺もちょっと引いてる。
「村山の同僚の犬塚です」
あ、そういう繋がりなんだ。落ち着いたトーンで自己紹介をする俺の隣の気が利く彼を見て、納得した。犬塚サン。何となく彼の名前を反芻した。
「駿河さんはもう良いですよね」
「えっ、なんでー」
「あんだけ派手な登場したんだから良いでしょ」
「ちぇー」
ハブだハブ。
拗ねた振りをしていると、個室のドアが開いた。店員が追加分の飲み物を持って来てくれたんだ。生のジョッキを受け取り、それを掲げる。
「はい、遅れてごめんなさーい。かんぱーい!」
「あっ、またそういうスタンドプレイを……」
「かんぱーい!」
後輩くんの声を掻き消すように、女の子の明るい声が響いて、グラスが掲げられた。「よろしくねー」と声を掛けながら近くの人とグラスを合わせる。隣の犬塚さんとグラスを合わせると、優しく微笑まれる。ううん、イケメンだ……。俺が女の子だったら、間違いなく犬塚さん一択だな、このメンツだと。
「犬塚さんはー、おいくつなんですかあ?」
うんうん、そうなるよね。
ぐいっ、と身を乗り出した肉食系女子・高野さんが、甘えた声で尋ねている。
「今年で二十九、もうアラサーだよ」
「落ち着いてて素敵ですう」
「駿河さんは?」
「え、俺」
そこで俺に振るの。
隣からの質問に、ビールを呷っていた手が止まる。
「今年で二十六、もうアラサーですう」
「二十代半ばっていうんだよ、それ」
「いやー、もう、若くないっすよ」
ついうっかりノリで、高野さんを真似た声で答えると、犬塚さんが可笑しそうに笑った。
「お仕事はあ? 何してるんですかー」
「営業かな。駿河さんは?」
「システムエンジニア的な感じだよねー?」
「なんで俺に振るんですか、自分の職業くらい把握しといてください!」
「後輩くん、そんなに怒ると皺増えちゃうよ」
「誰が怒らせてるんですか!」
「俺だけどお」
ガミガミ煩い後輩くん、女の子の前でそんなに怒んなくてもいいのになあ。ビールを呷ってツマミを咥えながら、終始、そんな感じだった。女の子(主に高野さん)が犬塚さんに質問を振り、犬塚さんが答えるのと同時に俺に質問を振って、俺と犬塚さん、たまに後輩くんが話す、っていう。俺は楽しいけど、女の子からしたら、印象あんまよくないんじゃないかなあ、なんてのを、隣のイケメンを見ながら思う。実際、高野さんは少し、不貞腐れ始めた。あーあ。
「ねえ、あたしたちに興味ないの?」
店員がラストオーダーを取りに来て帰った後に、高野さんが腕を組んで尋ねてきた。
「えっ」
「ちょ、ちょっと、由利ちゃん」
高野さんは由利ちゃんというらしい。
千代田さんが慌てて止めに入るが、高野さんは不機嫌なままだ。
「いやいや興味なくないよ、むしろ興味しかないよ」
「どうしてそう思うの?」
気遣いのプロの犬塚さんは、優しく問いかける。甘いマスクでそんなことを言われて、高野さんは少し言葉に詰まってる。
「だってさっきから、男同士でしか盛り上がってないじゃない」
さっきの甘えた口調はどこへやら、くるくると指先でパーマの毛先を遊ばせながら、辛辣な口調で言う高野さん。
「いやいやいや、そっちは割と盛り上がってたよ」
村山さんの筋肉の話で。
理知的美人の中井さんは意外や意外、筋肉フェチだったようで、村山さんのガタイに興味津々みたい。痩せ型の後輩くんは悔しげにしながらも場を盛り上げていて、猪口さんもそれを楽しそうに見ていたし、あっち側は良さげな雰囲気だった。
「あっちじゃなくて、こっちの話だってば」
「えーとー、……高野さん、ご趣味は?」
取ってつけたように質問すると、キッと鋭い目線が飛んでくる。うう、ごめんなさい。
「色々話振ってるのに、ありえないんですけど」
「君は俺にしか話しかけてないじゃないか」
「え?」
「だから、みんなで共有できるように広げたつもりだったんだけど。気に障ったなら謝るよ、ごめんね」
犬塚さん、カッコイイ。
相変わらず穏やかな調子で高野さんに言うと、高野さんは言葉に詰まって、俯いてしまった。「由利ちゃん」と千代田さんが、高野さんの背中を撫でている。
「お待たせしましたー」
そこに空気を読めているんだか読めていないんだかの店員がやって来て、最後のグラスを、それぞれの席の前に置いていく。この間、少し気まずい沈黙が、俺たちの中に入る。
「さ、さあ、じゃあ、気を取り直して、連絡先交換しちゃいます?!」
空気を読んだつもりで全く読めていない後輩くんが、元気よく提案した。
「あたし、帰る」
「ゆ、由利ちゃん」
「ちょっと、由利ー」
「どうせならみんなで帰りましょ」
すく、と高野さんが立ち上がり、女性陣が慌てだした。理知的美人な中井さんは一番冷静で、その一言に、高野さんが再び椅子に座った。
「幹事さん、お会計よろしく。あ、あと、村山さん、連絡先、良いかしら?」
「勿論です!」
さりげない誘いに村山さんはがっつり頷いて、スマホを取り出していた。ちゃっかり後輩くんも猪口さんと交換している。いいねえ、若いって。俺たちのテーブルでは、高野さんがイライラして、千代田さんがそわそわしていた。
「じゃあ、俺たちも、しちゃう?」
その行く末を見守っていた俺の耳元に、犬塚さんが囁いてきて、思わず顔を上げる。悪戯めいたイケメンの微笑が目に入り、俺はすぐに頷いた。
「あ、君たちも、どお?」
「いりません!」
「あ、そう……」
話の流れ的に高野さんにも声を掛けてみたが、あっさり拒否されてしまった。少し傷つく。携帯の番号とメアド、無料通話アプリの連絡先を交換して、スマホをしまう。
当たり前といえば当たり前だけど、俺たちが多めに出して、会計を済ませた。それぞれ荷物を持って、店の外に出る。合コンといえば大体、この後は店の前に留まって、二次会どうする?って雰囲気になるんだけど、……。
「ちょっと由利、早いって!」
「由利ちゃんー……、すみません、これで失礼しますね」
「ありがとうございました」
カツカツと高いヒールを鳴らして去って行く高野さんの後を、女の子が三人、すまなそうに振り返りながら追いかけていく。俺は手を振って、「気を付けてねー」と言うことしかできない。
「今日の人たちレベル高かったのに……」
「中井さん……」
がっくり肩を落としている後輩くんと、理知的美女中井さんの後ろ姿をぽーっとなりながら見送っている村山くん。
「いやー、気まずかったねえ」
「そっちのテーブルだけでしょう……」
思わず零すと、後輩くんの恨みがましいツッコミが入る。
「俺は楽しかったんだけどー……ねえ?」
「いやあ、ああいう、ガツガツしたタイプって苦手で」
「え」「え!?」
さらりと言う犬塚さんの台詞に、俺と後輩くんの声が重なる。
「二次会でも、行く?」
俺たちの驚きも余所に、にっこり笑う犬塚さんの提案に、首を縦に振ることしかできない。隣の後輩くんも、同じだったようだ。
「相変わらず好き嫌い激しいっすね、犬塚さん」
「村山くんは良さそうな人と出会えたんだから、いいんじゃない?」
「ま、そうっすね」
がっはっはと豪快に笑う村山くんと犬塚さんのやり取りに、彼らの関係が見えた気がした。きっと犬塚さんも、乗り気じゃない合コンに無理矢理引っ張られた感じなんだろう。
「後輩くんもアドレス交換してたよねー? 隅におけないなー」
うりうり、後輩くんの足を膝で攻撃してみると、「やめてください」と振り払われる。照れ屋だなあ。
「駿河さんタイプの子いなかったんすか」
「俺ー? イケメンと仲良くなれたから、それでいーかなー」
「あーあー、余裕のある人は言うことが違うなー」
「それはどーもー」
酔っ払い気味の後輩くんの厭味を笑って受け流して、犬塚さんに続いて二件目の居酒屋に入った。それからは、男だらけの反省会、だ。酒が入りすぎて、途中から村山くんの筋肉自慢が始まり、それに俺は爆笑して、後輩くんが写メを取り、犬塚さんが村山くんの携帯で中井さんにその写メを送り付けるということをしていたら、あっという間に終電の時間になってしまった。
「やー、たのしかったなあ」
すっかり潰れた後輩くんは村山くんに任せ、俺と犬塚さんは駅までの道を並んで歩いていた。火照る顔に、冷えた空気が気持ち良い。
「駿河さん、よかったの」
「うんー?」
「女の子とアドレス交換できなかったけど」
「何、いまさらー?」
「いや、俺の勝手で申し訳ないなと」
「いーのいーの、俺、元々乗り気じゃなかったし」
「そうなんだ?」
「カノジョとか恋愛とか、そーゆー気分じゃないんだよね、今ー」
何しろネトゲが忙しいですし。うん。
終電に焦る人たちに紛れて駅の構内に入ってから、同じ方向だというのに気付く。隣を見たら、犬塚さんが、可笑しそうに笑っていた。
「なに、なんすか」
「いや、面白いなと」
「なにがー」
「よければまた、飲もう」
「あっは、ナンパ?」
「そうそう、ナンパ」
「いっすよー、犬塚さんみたいなイケメンなら大歓迎」
くだらない話をしながら、丁度やって来た電車に乗り込む。あれ、犬塚さんは、続いて来なかった。
「ここまで、見送りに来ただけだから」
「うーわ、最後までイケメン!」
「気を付けて帰るんだよ、酔っ払い」
「酔ってませんー。じゃあ、またね」
「ああ、また。連絡するよ」
ドアがしまって、電車が揺れ始める。窓越しにばいばいと手を振ると、犬塚さんも、笑って手を振り返してくれた。
女の子との出会いはなかったけど、こんな出会いがあるなら、たまには合コンも悪くない。
ふわふわとしたアルコールの感覚は心地良くて、更にがたんごとんと身体が揺さぶられると、つい、うとうとと眠りの淵に誘われる。ガツン、と頭がドアにぶつかる度に目が醒めて、危うく乗り過ごしそうになったのは、内緒だ。
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