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第4話
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シノさんはゲームの中で、本当に何でもしてくれた。シナリオ攻略では常にリードしてくれたし、珍しいアイテムを譲ってくれたり、細かい攻略法や、お金の稼ぎ方を教えてくれたり、言葉は悪いけど、至れり尽くせりといった感じで、すごく親切だった。申し訳ないと思いながらも、何も返せない俺は、有難がることしかできない。
その日も俺とシノさんは、パーティを組んでレベル上げをしていた。木々に囲まれた森の中で、黙々とウサギやイノシシを模したモンスターを倒していたんだけど、ふいに、シノさんが立ち止まって話しかけてきた。
「アキは、ギルドとか興味ない?」
「ギルド?」
聞いたことがある。
攻略目的とか雑談目的とか、同じプレイスタイルの人同士で集まる、サークルみたいなものだった気がする。ギルドのメンバーだけでチャットができたり、大きな家のようなアジトが使えたりする、と、シノさんが教えてくれた。
「ギルドに入れば、難しいダンジョンとかも手伝ってもらえるかもよ」
確かに、最近は、俺たちのレベルが上がるのと同時に敵やボスも強くなってきているから、ダンジョンを進めていくのも中々厳しいものがあった。二人だけだときついね、と言い合ったこともあるから、確かに、他の誰かに手伝ってもらえれば心強いけど……。
「シノさんと一緒のとこなら入る」
「もちろん、一緒にどうかなって」
今更、シノさんがいない世界なんて考えられない。すかさず答えてくれたのにほっとして、キャラクターを使って喜びを表現してみた。
「友達から誘われてるんだ」
「俺も一緒に入っていいの?」
「当然だろ。アキが嫌じゃなければ、一緒に入ろう」
シノさん以外の人と関わるのは、数えるぐらいしかないから、少しドキドキする。「ちょっと待ってね」とシノさんが言った。きっと、そのトモダチと連絡を取っているんだろう。暫くすると、シノさんが頷いた。
「アキも入るの、歓迎だって」
「ほんと?」
「ああ。一回、街に戻ろう」
「うん!」
友達と待ち合わせをしたみたいだ。テレポートの魔法を使って、トレントの街の入り口まで戻る。緑いっぱいの街は、今日も変わらず、たくさんのイケメンや美女のアバターで賑わっている。
シノさんと二人、並んで待っていると、ふと、一人のキャラクターが、俺たちの前で立ち止まった。身体が小さいフェアリーの女の子だ。背中には透明な羽根が生えていて、黒いローブを着ている。シノさんが、その子に手を振った。その子も、手を振り返している。
「アキ、この子が友達」
「アキですー、はじめましてー!」
「リリアです、はじめまして」
ぺこり、とお辞儀をすると、ピンク色の髪が揺れる。長い髪を頭のてっぺんで結ぶ、ポニーテールのような髪型が似合っていた。大きな目がくりくりしていて、小さい子どもみたいで可愛らしい。
「シノさんに紹介してもらったんだけど、ギルドに入れてもらってもいいの?」
「もちろん! いらっしゃーい」
リリアちゃんが、手を広げて歓迎のポーズをしてくれる。
「丁度、二人だと先が厳しいって話してたところだったんだ。助かるよ」
シノさんが言うと、リリアちゃんが喜んだ。ぴょんぴょん飛び跳ねているのも、可愛い。フェアリーと間近で触れ合うのは初めてで、こんなに可愛らしいなんて、びっくりだ。いや別に小さい子が好きとか、そういう趣味はないけどね?!
誰にでもなく弁明していると、ピコン、と音が鳴る。テレビの画面には、<ギルドに勧誘されました。加入しますか?>というメッセージが現れていた。勿論、<はい>を選択する。すると、壮大な音楽が鳴り、<ギルドの一員になりました>とメッセージが変化した。
「アキさんとシノさんです、いらっしゃーい」
画面の中に、普段のチャットとは違う文字色の文字が流れる。これがシノさんが言っていた、ギルド限定のチャットだ。リリアちゃんが俺たちを紹介してくれていた。
「アキです、よろしくおねがいします!」
「シノです。よろしくお願いします」
俺たちがそうチャットを打ったら、次々に「よろしくー」「よろしくねー」「いらっしゃーい」と言ったメンバーからの返答が流れてきた。ギルドの人数は全部で五十人くらいだけれど、今もコンスタントに参加しているのは、そのうちの二十人程度らしい。小規模だが、みんなの仲が良い、という説明を受けて、俺は少しわくわくした。ゲームの中でも、現実と同じように、こうしてコミュニティが広がっていく。
――きみは、ひとりじゃない。
何度も頭を過ぎるのは、そのキャッチコピー。
リアルの俺は、狭いアパートの一室で、大きなテレビ画面を見つめながらコントローラを握っている。画面の中では、俺の分身であるアキが、たくさんの仲間と繋がって、成長していくんだ。その仲間もただの機械じゃなくて、画面の向こうには、生きている人がいる。シノさんだって、俺と同じように、コントローラを握る、誰かが動かしているんだろう。
「アキ」
チャット上でシノさんに名前を呼ばれて、俺は返事をする。
街とは別のエリアにある、ギルドのアジトと呼ばれるところに行って、その日は、今いるだけの仲間を紹介してもらった。かわいい女の子、頼りになるイケメン、フェアリーの男の子、様々な種類の個性豊かなキャラクターたちだ。挨拶をしたり雑談したりしていたらあっという間に日付が変わる時間になり、次々と仲間たちが落ちていく。俺も、と思ったところで、ふと思い立って、落ちかけていたシノさんに、二人しか見えないチャットを飛ばした。
「シノさん」
「ん?」
「すげー楽しかった」
「うん、楽しかったな」
「誘ってくれてありがとー」
「俺こそ。ついてきてくれてありがとう」
たまに、シノさんはむずむずくすぐったくなることを言ってくる。文字しか情報がないから、余計だ。
「照れるw」
笑いを表す記号を入れて、「おやすみ」と打った。「うん、おやすみ、また明日な」とシノさんが返してくれる。明日な、っていう言葉が、実はすごく、嬉しかったりする。
なんか、しあわせだなあ。
仕事しかしていなかった頃に比べると、心が満たされている気がする。現実逃避だとか、ネトゲ中毒とか、見る人によったらもしかしたら危険視されるかもしれないけど、確実に俺は、ゲームの世界に引き込まれつつあった。――や、やることをちゃんとしてれば、問題ないと思わない?
そう、仕事は仕事だ。やることはちゃんとしてるぞ、俺は。
パソコンの前に座り、溜息を吐いてぼんやりとしている後輩くんの後ろ姿を見て、改めて思う。オフィスは広いが、俺たちの部署の空間は狭い。後ろの列に座る後輩くんの姿は、少し振り返ればよく見える。時計に目を移すと、終業時間は過ぎていた。今開いているファイルの確認さえ終われば、俺の今日のノルマは達成だ。
「はあ……」
ああ、この重いため息。やだなあ。無視できないじゃないか。
「後輩くん後輩くん」
つつつー、と、床を蹴って回転するタイプの椅子を滑らせ、後輩くんの真後ろに行った。囁く声色で声を掛けると、「うわあ!?」と大声を出して後輩くんが立ち上がる。あんまり大きい声だったから、未だ仕事をしている人たちの視線が一斉に此方を向いた。
「あーもう駄目じゃん後輩くん、データは保存しなきゃー」
ああなんだデータを飛ばしちゃったのね、そりゃ叫ぶわなあ、ってな風に皆さんの視線が前に戻ると、後輩くんは安堵の息を吐いた。
「かっ、感謝なんてしませんからね! 元はといえば駿河さんのせいなんですから!」
「ツンデレの素振りはいいってー。で、なんかあったの?」
ふん、と顔を背けてしまった後輩くんを、もう一度周り込みながら聞いてみる。後輩くんは、ちら、と俺を見て、眉を下げて、また目を逸らした。
「全然仕事が手についてないじゃん、大丈夫なのそれ」
後輩くんのパソコンの画面は真っ白だ。いつもはもっとバリバリ仕事をしているのに、珍しいこともあるなあ。
「あ、あれか。恋わずらい?」
「なっ、ななな、なに言ってるんですか駿河さんったらもう!」
真っ赤になった後輩くんにばしばしと肩を叩かれて、俺の頭が揺れる。なにこのリアクション。女子か。
「こないだの合コンの子と何かあった?」
「えっ、そこまでわかっちゃうんですか? だったら話さないわけにはいきませんよね、仕方ないなあもう!」
話したくて仕方ないのね、うん……。女子か。面倒だけど、最後まで聞くしかないみたいだ。「お先ー」と声をかけて次々と同僚が帰って行く中、俺は後輩くんの話に耳を傾ける。話を聞きながらも、ああ、ゲームの時間が……。とか思ってしまう俺は最低な先輩だ、ごめんな後輩くん。
「んーと、つまり」
「はい」
「後輩くんは猪口さんが気になってるんだけど、その猪口さんから、犬塚さんのアドレスを聞かれてショックを受けてるって、そういうこと?」
「うっわあ駿河さん直球! どストレート!」
「だってきみが言ったんでしょ」
「そうですけど言い方ってもんが……」
ぐちぐち言っている後輩くんの横顔を見て、今度は俺が息を吐く。この眼鏡くんは、姿かたちの通り、ド真面目なようだ。純情っていうかなんていうか、初々しい。つい、微笑ましいものを見る気持ちになってしまった。
「な、なんすか」
「いやー、なんか、中学生を見てるみたいだなと」
「バカにしてるでしょう?!」
「いやいやいや」
手を振るけど、笑った口許はきっと隠せてない。
そうかそうかあ。
「知ってるの? 犬塚さんの連絡先」
「知りませんよ、猪口さんにもそう返しました」
「ふうん……。例えばさ、犬塚さんを餌にして、猪口さん呼んじゃえばいいのに」
「え?!」
「今度犬塚さんと飲むけど一緒にどうですか、とか、そういう」
「え……?!」
「俺、連絡先知ってるから声かけてみようか。当日になったらうまいことやりなよ、俺らは途中で空気読むからさ」
「え、ええええ」
どお? と、スマホ片手に首を傾げてみると、後輩くんがごくりと息を呑むのがわかった。きっと葛藤してるんだろう。少しの間の後に、こく、と頭が上下に動く。
「お、お願いします……」
「りょーかい、週末なら平気?」
「いつでも大丈夫です!!」
「おっけー、連絡しとくねー」
さて帰ろう、と腰を上げると、くい、とジャケットの裾が引かれるのに気付いて視線を下げる。
「駿河さん……」
後輩くんの手だ。
「あ、ありがとうございます。……俺、駿河さんのこと、頼りなくてチャラくて軽くて最近早く帰るだけの先輩だと思ってましたけど、見直しました」
「うんあのねもうちょっと言い方っていうものを考えようか」
心にクリティカルヒットです、きみの攻撃。ずたぼろになった心臓を服の上から抑えて言うと、後輩くんが「あ、すいません、つい」と可愛くないことを言ってきた。
「それに、感謝するのは実現できてからにしてよ。猪口さんの予定もわかんないんだからさー。とりあえず、犬塚さんに聞いてまた連絡するから」
「実現できたら、俺、奢ります」
「お、まじか。サンキュー、楽しみにしとくー。んじゃ、おつかれー」
手を合わせる後輩くんに軽く笑って、ひらりと手を挙げる。作業途中のデータを保存してからパソコンを切り、すぐに帰りの支度をした。いつもより三十分遅いが、許容範囲内だ。
「ああ、そうそう、後輩くん」
すれ違い様、後輩くんの頭をこつんと軽く叩く。
「なんすか」
「こういう日は、何時間残業しても全く進まないよ。早く帰って美味いもん食って美味い酒呑んで、ぐっすり寝て、明日すっきりした気分で出てきた方が、会社のため」
「駿河さん……」
「なーんてね、経験談。じゃーね、お先ー」
ひらひら手を振って、そのままのんびりと会社を出た。
――ああ、そうだ。
彼の様子は、彼女とうまくいかなくて、仕事が手につかなかった時期を思い出す。何をしても集中できなくて、その所為で余計に苛ついて彼女に当たり、自己嫌悪で更に落ち込むという悪循環。結果的に彼女をひどく傷付けて、別れを告げられた。
何とも懐かしいような苦い気持ちになっていると、一際冷たい北風が吹いてきて肩を竦める。視線の先には、やっぱり寄り添うカップルがいた。――だから、さみしくなんかないってば!
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