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第8話
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「駿河っさああああん!」
憂鬱な月曜の出社で、一番最初に耳に入れるのが縋るような後輩くんの声とか、更に気分がブルーになる。泣き出しそうな後輩くんがダッシュで俺の元に駆け寄ってきて、両手を広げてハグしてきそうになったから、さっと身を避けてやった。
「朝から元気だねー……」
「金曜日は本当に本当に本当にありがとうございました……!」
片手を両手で握られ、ぶんぶんと手が振られる。あまりの力強さに、思わずふらついた。朝はそんなに強くないんだってー。
「金曜日、金曜日ね」
そういえば、そんなこともあったなと思い返す。後輩くんは女の子と先に帰って、俺は犬塚さんに面倒を掛けたんだった。
「あの後、ちゃんと帰れました?」
「犬塚さんがイケメンに送ってくれたよ」
「食われませんでした?」
「何変な心配してんのー」
犬塚さんをホモ扱いなんて、失礼なやつだ。上機嫌な後輩くんをじっと睨むと、後輩くんが照れたように視線を逸らす。うわあ、何だか、不気味。
「そーいう後輩くんは、何があったの」
「いやあ、実は、あの後、猪口さんと二軒目行けたんすよ!」
「え、まじで」
「マジっす!」
眼鏡越しのきらきらとした瞳が鬱陶し……眩しい。
「犬塚さん狙いだと思ったんだけど、違ったみたいで。終電近くまで色々話せて、幸せでした……」
「ああ、そー」
幸せそうで何よりだけど、朝から聞かされるとイラッとくる話だ。手を握られたまま、俺は後輩くんの脛を軽く蹴ってやった。
「痛い!」
「そんだけ幸せだったら少しの痛みなんともないでしょー」
「なんすかその理屈! 駿河さんにはほんと感謝してるんですよ」
手をぱっと離して脛を撫で擦る後輩くんを見て、俺は息を吐く。
「俺はなんもしてないってば」
「いや、あそこで酔っぱらってくれなかったら、俺は猪口さんと呑めなかったです。あれも作戦なんでしょう?」
「え」
「あれ、もしかして、ガチ?」
「いやいやいや作戦だよ、ああやって酔い潰れて介抱してもらえば二人を先に帰せるかなあ、みたいなね!」
「ですよね!」
うんうん、なんて頷くけど、そんなはずはない。
ただ単に、疲れた身体にいっぱいアルコールを摂取したから、酔い潰れただけだ。そして、犬塚さんが予想以上にいい人だったって、それだけ。後輩くんのことを考えた結果じゃないけど、まあ、本人がそう思ってるんだから、そのままにしておこう。
「で、付き合えたの?」
自分の席に向かいながら、横にいる後輩くんを見て問いかけると、後輩くんは急に言葉に詰まった。
「そ、それは、これからがんばるところです」
「おー、がんばれー」
「うす……」
正直な反応は、悪い気はしない。
応援するのは本音だ。ぽん、と肩を叩くと、後輩くんは神妙な顔で頷いた。
後輩くんが恋愛初期の甘酸っぱい場所にいるのを何処か遠くで眺めている俺は、今日も今日とてネトゲにログインする手を止められない。これで良いのか二十六歳、とも思うが、無趣味よりは良いよね、うん……。自分への言い訳をしながら、画面が森の中の宿屋に佇むイケメンのキャラを映すと、キーボードに挨拶を打ち込んだ。いつもの如く皆からも返ってくるが、その中に、シノさんの名前は見つからない。
今日は一人かあ、と少し残念に思いながら、日課となる職人仕事をするべく、ギルドのアジトへ向かう。アジトはその名の通り、隠れ家みたいになっていて、森の中に佇んでいた。ログハウスを模した作りになっていて、丸太が重なったドアを開けて中に入る。
「もうやだあクラりんったらあ」
「かわいいよリリアたん……」
家の中は、大きな緑色の絨毯が敷かれている。後は暖炉があったり、ソファがあったり、楽器があったり、コテージのような装いだ。そんなオシャレな部屋の中に一歩踏み出した途端に流れるチャット、そして目に入るのは、フェアリー可愛いリリアちゃんと、ガチムチ男前クラウスさんが、熱烈な抱擁をしている場面だった。
「失礼しました!」
とだけ打って、思わず家を出てしまう俺である。見てはいけないものを見た気になった。リリアちゃんとクラウスさんは仲良しだと思っていたけれど、まさかそういう関係だったなんて……!
「ちょっとアッキー、戻っておいでよ」
ピロリン、と音がして、ギルドのチャットが更新された音がする。リリアちゃんが名指しで呼びかけてくれていた。
「いやいや邪魔できないっす」
「邪魔じゃないってばw」
「俺たちこそごめんな」
「い、いやいや……」
「戻って来てくれないと逆に気まずいからw」
リリアちゃんに促され、そこまで言うならと、そっとドアを開けて再び中に入る。今度は、二人は抱擁はしてなくて、距離を取って立っていた。リリアちゃんに至っては、可愛らしいダンスのモーションをしている。
「二人ってラブラブなんだね……」
沈黙も気まずいと思ってそう打ち込むと、「wwwwww」「ラブラブwwwww」とかなり笑われた。
「まあね。今、結婚の相談してたとこなんだ」
「結婚?! リアルで?!」
ま、まさか、そんな重要な話をしている場面だったなんて、更に申し訳ない。緑色の絨毯の上で土下座をしようとしたら、「待て待て」とクラウスさんに止められた。
「リアルでじゃなくて、ゲームの話だよ」
リリアちゃんから、冷静な訂正が入る。リアルの俺はあんぐり口を開けた。キャラクターではそんなことは出来ず、ただただ、驚くモーションを取るしかできない。
「ゲームでって、どういうこと?」
「あれ、知らない?」
「次のアプデで、結婚できるようになるんだよ」
「結婚!」
ちなみにアプデっていうのはアップデートの略で、ゲームのデータが更新されて、新しく遊べる要素が増えるってこと。ネットに繋げるゲームならではのシステムで、だからこそ、継続的に楽しめる。でも、結婚が出来るってどういう意味だろう。
「式が挙げられるみたいだよ。あと、限定アイテムももらえるんだって」
「へええ」
「アッキーもシノさんとしたら?」
「いやいやいや男同士だよ俺ら」
「性別も種族も関係ないみたいだから、安心してw」
おお、これが所謂、ジェンダーフリー……。
これから自分の部屋で色々と結婚の打ち合わせをするというリリアちゃんとクラウスさんを見送って、俺は少し考えた。ゲームを立ち上げたまま、ローテーブルの上に置いたノートパソコンを引き寄せて、ゲームの公式サイトを開いた。大々的に「結婚システム到来」と銘打って、次回のアプデの詳細が載っていた。
性別、種族関係なく、未経験者同士ならば誰でも結婚関係が結べるということ。永遠を誓い合う結婚式には友達や仲間も呼べて、皆で祝えるということ。結ばれた二人には、結婚式用の装備、すぐに互いの元に飛べる指輪や、二人乗りできる乗り物、互いの名が入って性能が上がる武器などが手に入る、という説明が細かく書いてあった。アバターが着ているスーツや、白馬を模した乗り物がすごくカッコイイ。これは、少しテンションが上がる仕様だ。
「こんばんはー」
俺がパソコンを目前にして震えていると、ピロリン、と音がして、ギルドのチャットが更新された。シノさんの挨拶だと知って、「ばんわー」と返しながら、すかさずに俺は、シノさんだけに見えるチャットを送った。
「シノさんシノさん!」
「どうしたー?」
「結婚しよ!!」
「!?」
ちょっと唐突だったかもしれない。
シノさんはびっくりしたようで、暫く反応がなかった。ギルドのチャットで、挨拶だけが流れてくる。
「ちょっと待って、アジト行くから……」
シノさんがそう言ったので、俺は大人しくこの場で待っていることにする。武器や装備を作る気は、すっかりなくなってしまった。ソファに座っていたら、人の気配がして、シノさんがやって来たのがわかった。
「急にどうしたの」
「さっき、リリアちゃんたちに聞いたんだ」
「ああ、そっか」
リリアちゃんとクラウスさんのラブラブっぷりは、ギルド公認だ。ああしていちゃつく現場に突入したのは今日が初めてだったけど、いつも二人してパーティを組んでるし、ギルドのチャットでも息がぴったりだった。シノさんは納得しながら、俺のキャラクターが座る横に座った。
「突然でびっくりした」
「ごめんw」
「リアルでビール吹き出したの初めてだわw」
笑うシノさんに、リアルのシノさんがビールを吹き出す姿を想像して、流石にちょっと申し訳なくなる。
「なんか結婚したら色々アイテムとかもらえるって」
「あー、そうみたいだな」
「馬とかすげーカッコイイんだよ! 馬とか!」
「二人乗りのヤツね」
「そうそう」
「んー」
シノさんが座ったまま、俺のキャラの頭を撫でて来る。シノさんだったら、「おお、いいね、やろうやろう」「面白そうじゃん」って、そういう肯定的なリアクションを取ってくれるって期待があった。今までもそうだったし、そんなシノさんに俺は甘えていた。
「言ったっけ? 俺、前に別のネトゲやってたんだ」
「これじゃなくて?」
「うん。これの前作っていうか、ちょっと似てるやつ」
「知らなかった」
シノさんが、ぽつぽつと話し出した。テレビ画面に浮かんでくるチャット画面を、俺は食い入るように見つめる。最近、シノさんがこうして自分のことを話してくれるようになった。それを聞くのが、嬉しい。
「そのゲームでも結婚システムってあったんだけどさ」
「そうなんだ」
「うん。身近の友達がどんどん結婚していって」
「うん」
「皆気まずくなっていった」
「え」
「束縛が激しかったり、他に好きな子ができたり、リアルの奥さんにバレちゃったり、リアルに発展しちゃって上手くいかなくなっちゃったり」
シノさんが語るのは、俺も聞いたことがあるような内容だった。結婚システムがなくても、ネトゲで出会って恋に落ちて、リアルで付き合うことになる人はいるみたいだ。お互いフリーなら何も問題ないんだけど、どっちかが既婚者だったり、はたまた両方既婚者だったりしたら、色々と面倒なことになる。俺には正直、想像もつかない世界だけど、俺よりネトゲ歴が長いシノさんは、色々と思うこともあるんだろう。
「だから、俺は結婚できない」
「え?」
――え、なんでそうなるの。
今の話と、シノさんの答えが、どう繋がるのか、一瞬で理解することができなかった。
「例えゲームの中でも、アキと気まずくなるのは絶対嫌なんだ」
続いたその一言で、シノさんが俺のことを真剣に考えてくれるのが伝わってきた。胸の奥が、少しだけ、きゅんとなる。ゲームのキャラクターが呟いた台詞だけど、その向こうには、ついビールを吹き出しちゃうような人が、確実に存在しているんだ。
「俺馬に乗りたくてさー」
「馬なw」
「でも、結婚すんならシノさんしかいないと思って。軽い気持ちで言ってみただけだからさ、そんな気にしないでね」
特典欲しさであって、そんなガチじゃないんですよー。なんて振りをしてみるけど、内心は割と、結構、いやすごく、落ち込んでいる。ああ、いやだ。これじゃあほんとに、ホモみたいじゃないか。
「真剣に考えてくれてありがとねー」
「アキ、ごめんな」
「謝られるとぐさっとくるw」
「あ、ごめん」
「いいってば。シノさん、ダンジョン行こー」
俺はキャラクターを立ち上がらせて、シノさんを促した。
このままこの話をしていたら、更に困らせてしまいそうだ。
シノさんは少し悩んでたみたいだったけど、結局頷いてくれた。その日は、寝るまで二人でレベルを上げていたけれど、お互いいつもよりも口数が少なくて、気まずさは隠しきれなかった。
――もしシノさんが、女の子と結婚しちゃったらどうしよう……。
笑って祝福できる自信がない。
ゲームの電源を切った後も気分は浮上しなくて、布団に潜り込んで目を瞑った。案外すぐに眠りには落ちたけれど、見た夢は最悪だった。カッコいいドレスに身を包んだシノさんが、可愛いドレスに身を包んだ見たことない女の子と並んで教会に立って結婚するのを、笑って送り出す夢。何が最悪って、起き抜けにガチで泣きそうになってる俺が、サイアク。
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