16 / 20
第16話
16
犬塚さんとの待ち合わせは、賑わう駅の改札前だった。中心駅ともいえるところで、平日夜の時間帯にも関わらずに、人通りが激しかった。特に、男女の組み合わせが目立つ。ふと視線をずらした先に、駅構内に飾られている大きなクリスマスツリーと、それを囲むようにしてちかちか光るイルミネーションに、今日が何の日だったのかを思い出す。そう、リア充の皆さんお待ちかね、クリスマス・イブだ。仕事帰りのまま、パーカーとジーンズの上にコートを羽織った格好で、柱に寄り掛かって、ポケットに手を入れながら、友人を待つ俺は、このキラキラ空間から大分浮いている。
「ごめん、待った?」
不意に声が届いて顔を上げる。やっぱり仕事帰りだろう、スーツの上に黒いロングコートを着た犬塚さんが、爽やかに笑って声を掛けてきた。うーん、イケメンだ。
「んーん、今来たとこ」
「そっか。……じゃあ、行こうか」
店は予約してあるから。
そう言って歩き出す犬塚さんの姿は、カッコイイ。
俺について来いよ、という程の押し付けがましさもなく、かといて頼りにならないわけでは勿論なくて、バランスが丁度良いんだ。まるでシノさんみたいで、正直、落ち着く。
犬塚さんの隣に並んで、カップルたちの合間を縫いながら、犬塚さんが予約をしてくれたという店を目指した。その道中は、仕事のこととか、最近のこととか、後輩くんが無事に猪口さんと付き合えた話とかをした。犬塚さんのリアクションは的確で、話していてもすごく心地良い。
そうこうしているうちに、繁華街を抜けた先にある一軒の店に辿り着いた。ひっそりと佇んでいる。扉を開けると、薄暗い店内に入り、ベストとスラックスを着たお兄さんが席に案内してくれた。しっとりとした雰囲気で、個室になるように仕切りがしてある。黒を基調にした店内は洒落ていて、犬塚さんらしい店の選択だった。
「オシャレなとこ、いっぱい知ってるね」
「開拓するの好きなんだ、……生で良い?」
「あ、うん」
傍に仕えているお兄さんに生を二つと、犬塚さんのお勧めらしいツマミ類を幾つか頼む。お兄さんは頭を下げて、静かに戸を閉めて行った。二人だけになると、少しの沈黙が流れる。
「急に、どうしたんすか」
「ちょっと話したいことがあって」
「なんだろー」
彼女ができたとか、そういう報告かなあ。おしぼりで手を拭いていると、仕事の早いお兄さんが、すぐに生ビールを二つと枝豆を持って来た。早速ジョッキを手にして、犬塚さんのジョッキと合わせる。かつん、と良い音がした。
「かんぱーい」
「乾杯」
ごくごく、と音を立ててビールを飲むと、心地良い喉越しに、「ふはー」と自然と声が出てきてしまう。
「うまーい。今日超混んでたね、予約ありがとー」
クリスマスだということに触れずに笑って礼を言うと、対面に座る犬塚さんの腕が伸びてきて、俺の髪に触れた。くしゃりと優しく撫でられて、瞬いてしまった。
「犬塚さん?」
「結局、セーブできなかったな」
「え?」
「一度結婚を断ったのも、連絡先の交換を断ったのも」
そっと腕を引いた犬塚さんが、ぽつぽつと話し出す。伏し目がちのその表情から、感情は読み取れない。
「これ以上惹かれたら、困るからなんだ」
「なに言って、」
「リアルとゲームを分けるタイプだとか言っておきながら、一番混同してるのは俺自身、だ。……呆れたか」
「ちょ、っと待って、意味わかんない」
ひやりと、冷えた汗が俺の額に滲む。
さっきから犬塚さんが言ってる言葉が、頭の中を駆け巡る。きっと俺はその意味を知っている、だけど、でも、認めたくない。俺は意味もなく、半分ビールの入ったジョッキを握り締めた。
「お前に、別にリアルで狙ってるわけじゃないって言われたときは、こっそり傷ついたりもしてたんだぞ」
「なに言ってんの、」
「なァ、アキ?」
「え、……ええええええええええ」
その一言が、決定打だった。
俺がネトゲで使っている名前を、顔を上げて微笑む犬塚さんが紡いだ瞬間、頭の中ですべてが繋がってしまった。
「な、なんでっ、いつから、えっ、うそ、うそおっ」
繋がったのと、理解するのはまた別だ。大混乱で、目の前にいる犬塚さんを凝視する。いや、でも、まだ、犬塚さんがイコールシノさんだと決まったわけじゃ……。
「ほら、犬塚信乃っているだろう。里見八犬伝の。アレから取ったんだよ、俺のキャラ名」
「いやあああああ詳しく解説しないでええええ」
「おちつけ」
「おちつけませんんん」
何だろう、混乱もあるけれど、何より、ものすごく、恥ずかしい。
俺は、犬塚さんに、今まで何を相談してたっけ……?
「最初は気付かなかったよ、たまに、似てるなあと思うことはあったけど」
「じゃ、じゃあ、いつから……?」
「確信したのは、お前が、結婚を断ったのを愚痴ったときだな」
「ううう、まさか、まさかあああ」
「そう、本人に相談したんだ、お前は」
俺とは裏腹に落ち着き払った犬塚さんは、何処か楽しげに笑って俺を見る。ううう、恥ずかしい。アルコールの所為だけじゃなくて顔が熱くなるのを自覚して、俺は俯いた。
「相談が相談だったからな、俺がシノだとも言い出せず」
「ううう……」
「連絡先を訊かれたときは焦った、教えたら確実にバレるだろう。……ゲームとリアルを分けるっていうのも嘘じゃないけど」
シノさんだったらしい犬塚さんが、肩を竦める。そんな仕草してもイケメンなだけですからね!
俺の混乱は未だ解けずに、ただただジョッキの中で揺れる小麦色の液体を見つめることしかできない中、個室の引き戸が開いて、お兄さんが唐揚げやら玉子焼きやらの追加のツマミを持って来てくれた。とりあえず唐揚げをもぐもぐとして、じ、と視線を上げて犬塚さんを見る。
「もっと早く教えてくれてもいーじゃん……」
唇を尖らせて言うと、犬塚さんが笑う。穏やかな笑みもカッコよくて、色々とずるいと思う。
「教えたらどうしてた?」
「どうしてたって……」
「避けただろ」
「う」
「リアルの俺かゲームの俺か、あるいは両方か」
「うう……」
「ほら、否定できない」
できるわけないじゃん。
寧ろ明日から避ける勢いなんですけど。
だって、だって、幾ら知らなかったとは言え、俺、すごくすごく恥ずかしいことを言っていた気がする。
「ず、ずるいよ、こんなの」
「ん。……悪かった」
できれば、知りたくなかった。
ゲームで仲よくて結婚までした相手が、最近合コンで知り合って仲良くなった友達だったなんて。
俺が零すと、犬塚さんが真面目な声色で言ってきて、頬を撫でてきた。熱い頬に、体温の低い指先が心地よい。俺の頬を撫でるその指先があんまり優しいから、俺は小さく息を吐いた。
「俺はさあ」
「うん」
「シノさんと一緒にゲームすんのがすげー楽しくて」
「うん」
「犬塚さんとこうして一緒に飲んだり話したりすんのもすげー楽しくて」
「うん。……どっちかっていうとシノの方が好きだよな」
「うん!」
「即答か……」
思わずすごい速さで大きく頷くと、犬塚さんが複雑そうに零す。だから俺は、必死でシノさんの良さを力説した。
「だってすげーんだよ! なんでもしてくれるし、優しいし、イケメンだし、強いし、ゲーム上手いし」
「アキ、照れるから止めて」
「アキって呼ばれるのも照れるよ!」
さらっとゲームのキャラ名が出てくるのは、どうも慣れない。ネトゲで出会った友達と、リアルでも会うオフ会なんていうだったらそれが普通になるんだろうけど、残念ながら、俺の中では未だに犬塚さんイコールシノさんの方程式は成り立っていない。
「ねえ、なんで教えてくれる気になったの?」
「お前、昨日泣いてただろ」
「な、泣いてないよ!」
「お前を泣かせたくない、それだけ」
ふっと柔らかく笑って囁くように言う犬塚さんは、カッコいい。ううう、色々、ずるいと思います。
「それに、言うなら直接言いたかった」
「な、なんで」
「ん?」
「なんでそんな、かっこいーの」
「惚れたか」
「惚れてないよ」
決して、この気持ちは、そういうアレじゃないはずだ。ほら、俺、ホモじゃないし。
「あ、そう。……ちなみに俺は、お前に惚れてるんだけど」
さらりと言われて、やっぱり、何を言われたのか一瞬では理解できなかった。
「え」
「え?」
「えええええええええええ」
「気付いてなかったのか」
「え、え、だって、え、……だって!」
き、気付くわけないでしょー!
ジョッキ片手にさらりと言われて、俺の混乱は増すばかりだ。
「ゲームの中だけのノリだと思ってた?」
犬塚さんが瞳を細めて問いかけてくるのは、きっと、シノさんとしての言葉。うぐぐ、と俺は言葉に詰まりながらも、頷くしかない。
「そ、そうだよ」
「お前はそうだったんだよな」
「う、うん」
「ゲームの中もそうだけど、会う度に好きになった」
凛とした声で、真っ直ぐと俺の目を見て話す犬塚さんの瞳はとても真摯で、決して冗談でも揶揄でもないということが、伝わってきてしまう。その瞳の中に、普段の優しさも垣間見えるから、俺は、既に温くなったビールのジョッキを、手で包むことしか出来ない。
「お、俺は」
「わかってるよ、今すぐどうこうってわけじゃない」
言葉に困った俺を察したように、犬塚さんは優しく笑って、穏やかな声でそう言ってくる。
「ただ、俺の気持ちを伝えておきたかっただけ」
「そ、そんなに……」
「ん?」
「そんなに、かっこいいのも、ずるい」
これが、年上の魅力ってやつか……。
俯き加減で視線だけ上げて犬塚さんを見ると、ふっと笑って、俺の頭を撫でて来た。
何度も何度もゲームの中で、俺のキャラクターがやられていた仕草を、まさかリアルでやられることになるとは思わなかった。
「おー、ときめけときめけ」
軽く笑う犬塚さんの声に、心臓が締め付けられる。
連絡先を知りたかったのも、ネトゲだけの繋がりが不安だったのも、俺の本音だ。そう願っていた人と実はネトゲ以外でも繋がれていたなんて、すごくラッキーな話ではないだろうか、もしかして。
「そういう好きなのかどうかはわかんねーけど、」
俺は絞り出す声で言った。視線を逸らしても、犬塚さんがじっと顔を見てくる。
「失いたくないくらいには、すきだよ」
これは、本音。
小さく呟くと、犬塚さんは、何処か安心したように、柔らかく笑った。
「十分」
そして嬉しそうにそう言うから、俺の方が、無性に恥ずかしくなってしまった。
もう一杯ずつビールを飲んで、適当にツマミを摘まむと、悲しい哉明日も仕事な俺たちは、いつもよりも早い時間に切り上げることとなった。でもそのおかげで、今回は酔っぱらっていないぞ。犬塚さんがシノさんだと明らかになって、ゲームの話もリアルでできるようになったのは、少しうれしい。
「今日はありがとな」
「うん?」
「来てくれて」
駅にたどり着いたタイミングで、数歩先を歩いていた犬塚さんが、俺を振り返って行った。キラキラとしたイルミネーションが、犬塚さんの周りを照らしている。そうだ、今日はクリスマス・イブ。
「あのさ、」
犬塚さんがすごく眩しく見えて、俺は一歩足を踏み出す。思わず、その片手を、両手でぎゅっと握っていた。もしかすると、改まった礼の言葉が、ある意味お別れの言葉に聞こえたからかもしれない。
「これからも、遊んでもらえますか」
俺は、犬塚さんに真剣に問いかけた。
犬塚さんはぽかんと目を丸めて俺を見て、その後、ふっと笑う。
どういうリアクションかなと窺っていると、手を伸ばして頭をぽんぽんと撫でられた。
「当たり前、だろ」
はっきりと言いきられて、安心して、手を握る力が緩む。
「心配しすぎ」
犬塚さんはそういうと、俺の無防備な額にデコピンを一発かました。痛い。
「あた、……へへ」
それ以上に何だか照れくさくて、俺は小さく笑った。
また犬塚さんがわしゃわしゃと俺の髪を撫でて来た。小さく息を吐く犬塚さんを見ると、くすぐったい気持ちになる。
きれいなイルミネーションと、イチャイチャしている男女のカップルを背景に、その日はそれぞれの電車に乗って、帰路に着いた。
家に帰ってから、今日の一連のことを思い出して、じたばた悶えたのはナイショだ。それじゃまるで、犬塚さんのこと、……。いやいやいや。認めないけどね、まだ。
ともだちにシェアしよう!