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第1話

 早瀬(はやせ)は俺の事を『好き』だと言う。  誰と居ても、どこに居ても。  気が合うから。一緒にいて心地良いから。一番好きだと臆面もなく。友達として当たり前の感情だから。  俺は早瀬の事が『好き』だ。  だから、誰にも言えない。外に気持ちが溢れ出さないように閉じ込めてある。どこまでが友情かなんて、どうやって判別する?当然本人になんか言えるわけがない。  同じ響きの『好き』は決して交わらない。  もう、絶対、口に出して言うことはない。  心の中でそう誓う。  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  大学に入学した今年の五月。  高校時代からの友人、大倉俊司(おおくらしゅんじ)に鍋をやろうと誘われた。  なんで五月に鍋なんだよと大倉に聞くと「食いたいからだ」と断言されたので、なら仕方ないなと思い材料を買って行くことにした。  大倉とは高校一年で同じクラスになってからクラスが変わってもずっと友人だった。  俺は部活に入ってなかったが、奴は野球部の部長をしていて、みんなからも慕われていた。かなり信頼できるいい奴だ。  酒が入ると、どこかぶっ壊れたみたいに飲むのは大学生になってから初めて知ったが、逆にただ真面目なだけじゃない証明のようで、俺は嫌いじゃなかった。  俺達は示し合わせた訳ではないが、偶々同じ大学に進学した。  大倉は大学のすぐ近くのアパートで一人暮らしをしている。家族が転勤で引っ越す事になったので一人で残ったそうだ。  俺は実家から通っている。  夕方、大倉の家に着くと大倉の他に見知らぬ顔が二人居た。  その内の一人が早瀬だった。 「ヒナは会った事ないよな。同期生の早瀬と二年の春木先輩」  大倉は俺の事をヒナと呼ぶ。俺のあだ名だ。 「春木拓衣(はるきたくい)でーす」  紹介された春木先輩は、質問のある子供の様に片手を挙げ、にっこり笑った。  あまり先輩らしさは感じられない。むしろ無防備な笑顔のせいで俺より年下に見えた。茶色い髪が柔らかくウェーブしていて女性的と言える顔立ちだ。 「早瀬は部屋が隣同士なんだぜ」  そう大倉が説明してくれる。 「え?そうなの?すごい偶然だね」  早瀬の第一印象はクールでちょっと近寄り難い雰囲気かなと思った。 「早瀬秋広(はやせあきひろ)です。学部違うけどよろしく」  でもそう言った時、思いのほか人懐(ひとなつ)っこい顔で笑ったので一瞬ドキッとして目を奪われた。  一重で切れ長の大きな目のせいで冷淡そうな印象が強調されているが、性格はそうではないんだと、すぐに分かる笑顔だった。 「朝比奈蓮(あさひなれん)です」 「なんか良い名前」  俺が自己紹介すると早瀬が何気なくという風に言う。 「ね。かわいいねー。だから大倉がヒナちゃんって呼んでたのかー」  春木先輩がそれに反応する。 「俺はちゃん付けじゃないっすよ。ところで早瀬、春木先輩とは、なに繋がりなわけ?」  何故か家主の大倉も詳しいことは知らないみたいだった。 「一応同好会繋がり?かな。うちに遊びに来てて、帰れって言ったんだけど着いて来ちゃったんだよ」 「だって鍋パーティー楽しそうだったんだもーん」  早瀬がまるで邪魔者のように言うも春木先輩はまるで気にしてないようだ。  春木先輩のキャラクターのせいか早瀬は全く先輩扱いしていないみたいだった。  大倉が俺の方を見る。 「人数多い方がいいかと思って早瀬にも声掛けてみたら春木先輩がいたの。俺もさっき初めて会ったんだよ」  その時、春木先輩が唐突に嬉しそうな声を上げる。 「そうだ!あのね、二人共ぶらり旅同好会入ろ?」  俺は唖然として間の抜けた顔で春木先輩を見た。  余りに話が飛んだもので同好会に勧誘されているんだ、と理解するのに少し時間がかかった。 「いきなりそれは迷惑だろ。そもそも同好会って春木先輩が言ってるだけで俺しかいないし、帰りにちょっと遊ぶだけじゃん」  早瀬が顔をしかめて春木先輩を見た後、俺たちに向って済まなそうに伝える。 「いいから、もう始めて。この人の言うこと真に受けてたら全然進まないから」  俺たちはほんの数分話しただけだが、その言葉は説得力があったので、取りあえず支度を始めることにする。話なら後からいくらでもできる事だし。  その様子にやっぱり春木先輩は気にした様子もなく、 「飛び入り参加だから何か調達してくるね」  と早瀬を連れて買い物に出て行った。 「春木先輩って何ていうか……個性的だよね」 「かなり、個性的だよな」   残った俺と大倉は鍋の用意をしながら嵐に翻弄された後のような気持になっていた。 「でも、早瀬は俺もまだ付き合い浅いけどいい奴だと思う。面倒見いいし、頼りになるよ」  大倉が頼りにするくらいなら確かなんだろう。  春木先輩とのやりとりを見ていても頷ける。アクの強い先輩相手に堂に入ったあしらい方は同じ新入生とは思えなかった。 「はーい、決定!新たに二人、仲間が増えました。これで四人だ。それっぽくなってきたなー。嬉しい、俺嬉しいよ!」 「よろっしくお願いしまぁーす!」  陽気な春木先輩の声に呼応する頭の悪そうな返事は大倉だ。  鍋開始から二時間程が経ち、何故か俺はぶらり旅同好会員に認定されていた。  春木先輩が買ってきた物はアルコール類ばかりだった。それもかなり大量の。  その時点で嫌な予感はしたが、先輩と大倉の二人はうわばみの如く、それ水?という勢いで飲み始め、あっという間に立派な酔っ払いが出来上がった。  俺と早瀬はそれを見て、同志に近い思いを抱いて顔を見合わせた。 「俺さぁ、酒弱いんだよね。あんなに飲めるわけねえ」  早瀬が呆れた声を出す。 「俺も。多分もっと弱いよ、家族みんな飲めないし。絶対あんなに飲める気がしない」 「さっき買い物行った時、あの人酒ばっか入れるから、どんどん戻してやったんだけど、戻したそばから倍入れるから諦めた」  ぼやくように早瀬が言うので、その様子が目に浮かんだ俺は笑った。  早瀬も口の端を上げる。 「な、マジで同好会入ってよ。ってか、同好会ってあの人の口実で、単に遊んで欲しいだけだと思うんだけど、俺一人じゃ酒の相手も付き合い切れないしさ」  言葉を切った早瀬が大倉に目線をやる。 「あいつさ、春木先輩に充分ついていけてるじゃん。だからあいつと、朝比奈がいてくれたら俺も退屈しないで助かるんだけど。朝比奈とは何か気が合いそうだし」  気が付くと早瀬は俺の事を探るようにじっと見ていた。  見られているからつい見てしまって、鼻筋が通ってるから一般的にも格好良いんだろうなとか、睫毛が長いなとか、切れ長だと思ったら意外と目じりは垂れていて、そんなに視線は鋭くないなとか、色んなところに気付いてしまう。  嫌だ。  そんな風に見てしまったら。  そんな目で見られてしまったら。  要するに今、早瀬は遊び仲間になろうと誘っている。言葉の通りだ。  それなのに。  好きになってしまう悪い予感がする。  口に出すことは叶わないのに。  誰も好きになんてなりたくないのに。  だから、断りたいのに。  純粋に誘う早瀬の柔らかな表情に。それなのに逸らせない眼の引力が強すぎて。  俺は意識と裏腹に頷いてしまう。  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  俺は過去二回人を好きになって、二回告白して、二回とも失恋した。  失恋が特別な事じゃないのは分かっている。  一人は小学校から仲の良かった同級生、中学卒業の時に告白してそれから疎遠(そえん)になった。  もう一人は高校二年の時の同級生。告白した途端、避けられるようになった。  どっちにも共通点があり、肩を抱いたり、頭を撫でたりというスキンシップが多くて、俺の事を普段から好きだと言っていた。そして、どちらも男だった。  自分が男だけを好きなのかはよく分からない。ただ好きになったのは二人とも同性だった。  失恋は特別な事じゃない。  だけど、俺の持ってる恋愛観じゃ成功率はかなり低いらしい。今のところ100パーセント失敗している。  たった二回とも言えるが、その二回の失恋は二度と同じ間違いを犯さない為に充分過ぎるほど教訓になった。  何よりも辛いのは振られる事じゃない。  告白のその一瞬前までは存在した好意が、俺から零れる言葉の先から、それが届いた相手には、なにか別の異質なものにすり替わってしまう事だった。  その事を考えるといつも吐きそうなくらい胸が痛くて苦しくなる。  好意だったものが、嫌悪や不快感へ変化する瞬間。透明だった水がたった一滴のどす黒い液体によって(けが)れてしまったようなあの感覚。  俺は決して忘れないよう強く思う。  俺への好意は俺の求める好意とは違うものなんだ、と。  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  鍋の日から二か月ほど経った七月初め。  ぶらり旅同好会はともかく、俺たち四人は良くつるむようになった。  昼時に学食に行けば大体誰かは居て、その日も四人で食事をしていた。 「ヒナちゃん、この間の合コン、女の子ウケ超良かったよー。二次会、帰っちゃってもったいなーい。また行こうねぇ」  脈絡もなく話し出すのは春木先輩の癖だ。 「何それ聞いてねえ」  合コンと聞いて大倉が食いついてくる。 「この前のメンツならもう行きませんから。次は大倉誘ってやって」 「俺も知らねえ。いつ行ったの?」  早瀬まで話を聞きたそうだ。  確かあの時は、その場に俺しか居なくて一人欠けた人数合わせに丁度良いと、春木先輩に無理矢理連れて行かれたんだった。 「えーと、先週の金曜だっけ?ヒナちゃん超かわいかったんだよー」  出来ればその時の話は触れて欲しくなかった。散々からかわれて酷い目にあっただけだったから。   俺はクセが強くてうねる髪質で短いほど収拾がつかなくなる。だから思い切って肩あたりまで伸ばしている。そのせいだと思うが酔った女の子の一人が「結わったら似合いそうー」などと言い出した。  それを聞いた春木先輩が、女の子から借りたヘアゴムで妙に手際よく、俺の頭をポニーテールやツインテール、三つ編みにして喜んでいたのだ。  周りからはやたら、かわいいかわいいと罵声にしか聞こえない声が聞こえてきた。  俺は昔からよくこの手の冷やかしをくらう。実は人の事を言えないほど俺も女顔で、母親にそっくりだとよく言われる。しかも男としては身長も低い。百七十センチに少し届かない。それで、女子に時には男子にも、こんな風に遊ばれる。いわゆるいじられキャラだ。 「これ写メ。よく撮れてるよー」  春木先輩が耳を疑うような事を言い出した。 「いつ撮ったの!?ていうか、見せるなよ!」  春木先輩の手からスマホを奪い取ろうとするも、既に大倉も早瀬もマジマジと画像に見入っていた。 「なんか、フツーに見れるんだけど」  大倉が複雑そうな顔で言った。 「フツーっつうか、かなりかわいくね?俺こっちの子より好みだけど。朝比奈の方が」  早瀬はなんだかしれっと失礼な事を言っている。  ……それに俺が勘違いしそうな言い方も。 「学校でもしてよ、この頭」  にやにやしながら早瀬が俺の髪を指す。 「するわけないだろ、馬鹿っ」  見なくても自分の顔が赤くなっているのが分かった。頬が風呂に入ったように火照っている。 「なんで、マジで似合うのに」 「ねー」  早瀬と先輩が嫌なところで意気投合している。  もう聞いていられない。  食事も終わっていた俺はトレーを持って立ち上がった。 「お先に」  後ろの方であー逃げた、とかなんとか聞こえてきたが構わず食堂を後にした。 当てもなく早足で歩いて、やけにドキドキしている自分に気付く。  早歩きのせいだと思いたい。  だから、嫌だって言ってるのに。  誰にともなく頭の中でそう思う。  早瀬の言葉が引っかかっている。すごく意識している。  改めて、じぶんを戒める。  好きになりたくない。  でも止められそうにないから、誓いを決して忘れないように。  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  そんな風にして、日ごとに早瀬に惹かれて行く自分に怯えながらも、騙し騙しなんとかやり過ごしていた。  だけど気がつけば名前を呼ばれる時の、ただそれだけの声を聞くだけでも胸が苦しくなっている。どれだけ望んでいなくても、傾いていく気持ちは抑えられない。  常に過剰にも冷淡にもならないよう気をもみながら接している俺の緊張なんかは気付くはずもない早瀬は、より俺とのコミュニケーションを求めてくる。  初めに言っていたように早瀬にとって俺は気が合う相手だったようだ。だから、余計に辛い。  でも俺に真実を教えてくれた二人だって同じだった。告白するまでは。  どんなに惹かれたって、諦めるしかない。  早瀬と会ってからの毎日は楽しいと苦しいが交互にやってくる。それでも諦めたまま、ただ時間が過ぎるのだけをじっと待つ。出来るのはそれだけだ。  五月に出会ってもう九月、五ヶ月が過ぎていた。

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