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第2話
その日、金曜の授業の後、春木先輩から学食に呼び出された。いつものメンツ全員だ。
春木先輩は荒れていた。アルコールが入る前から、すさみまくっていた。
「早瀬、大倉、ヒナちゃん。今日は帰さないからね」
早くも据わってジットリとした視線に、誰も逃さないという執念が感じられる。
奇人の類 だが、行動は陽気に斜め上がほとんどの春木先輩にしては珍しい。悪い予感しか、しなかった。
場所は、始めから強制オールが確定なら宅飲みにしようという事に決まった。
そうなると必然的に早瀬の家になる。大倉と同じ間取りのアパートだが、物が圧倒的に少なく遥かに広いからだ。
聞く所によると早瀬の実家は数駅しか離れていない場所にあり、自分の部屋はそのままで荷物もほとんどそちらに置いているそうだ。
じゃあ何で一人暮らしなのかを尋ねると「してみたかったから」と答えられた。早瀬の家の裕福ぐあいが垣間見える話だった。
若干面倒臭そうな表情の早瀬と、飲めれば万事オッケーの嬉しそうな大倉と、背中になにか黒いものを背負っている春木先輩と連れ立つ。
俺の気持ちも早瀬寄りだ。逃げられるものなら逃げ出したい。だが大倉は泥酔して使い物にならないのは分かりきっているので、春木先輩の面倒をみるのは俺と早瀬だ。俺が逃げたら早瀬一人に負担が掛かる。そんな事ができるわけがなかった。
帰り道でスーパーへ寄って買い物をする。春木先輩と大倉が酒を選ぶ間に、俺は早瀬と惣菜コーナーを回る。
「早瀬どれがいい?」
振り返って後ろの早瀬に声を掛ける。肩を寄せてきた早瀬は妙に締まりのない表情だった。
「……なんでそんなニヤけてんの……気持ち悪い」
意味不明で思わず警戒した俺は冷静に言ってしまう。
それでも早瀬は意に介した風もなく、さらに寄ってくる。
「なんかこれって新婚さんみたいじゃね?」
そう言って楽しそうに俺の持つカゴと自分を指差した。
どうしたらそういう発想になるのか。頭蓋骨をこじ開けて中を見たい。
「ちっともみたいじゃない」
恋人とスーパーで買い物をしたい願望でもあるのか。それならそれでも良いが、そこに俺を引き合いに出すのはやめて欲しい。
俺が虚しくなるだけだから。
「朝比奈って俺にはちょっと冷たいよな。春先輩とかが、もっと無茶振りしても笑って許すのに」
「え?そ、そう?」
態度に出てるんなら、それはまずいと思った。しかも本当の理由は逆の意味というのが悲しい。
「気のせいだよ。春木先輩はああいう人だから、許すっていうか諦めだし」
「──そういえば」
早瀬は緩んだ頬を元に戻して真顔になった。
「今日の先輩、なんかヤバそうだからな。気をつけろよ」
「うん。……何があったんだろう」
「多分……まあいいや、後で嫌ってほど聞かされるだろ」
何か知っている風だったが早瀬はそれ以上言わなかった。
「だぁかぁらぁねぇー、おれは、かっわいいーのが好きなの!レエスとかツインテとかリボンとか、そういうのがいいのーぉ!」
春木先輩はすっかり出来上がり、話はもうとっくにループ状態に突入している。
つまり、三ヶ月前から付き合っていた彼女と別れたという話だった。それも春木先輩にとっては大ダメージを与える振られ方だったようだ。
合コンで知り合ったという彼女は、ロリータ風のファッションが似合う甘い顔立ちの可愛らしい人だったらしい。
先輩の思い描く『可愛い』のドストライクだった。先輩のフリフリ好きは本物らしく、愛するが故にどんどん彼女に対する髪型や服装への要求はエスカレートしていき、耐えられなくなった彼女は長かった髪をバッサリ切り、服もユニセックスなものに替え、別れを切り出した。という顛末らしい。
「あんなに似合ってたのに髪、短くしちゃうなんて酷ーい。冒涜 だよーー!」
「だいじょぶっすよ!出会いはまたあるって。だからしよう、合コン!」
大倉が適当に励ましているが春木先輩の耳には入っていないだろう。
人の趣味嗜好に口をだす気はないが、春木先輩のこだわりも相当なものだ。だが絶対にある程度の年齢になったら似合わなくなりそうなジャンルだが、その辺はどう考えているんだろう。その都度、恋人を変えるんだろうか。
嘆いている先輩を前にそんな風に考える。
俺がじっと見ていたせいで、気付いた春木先輩が涙目でにじり寄ってきた。そしてピタリと止まって俺の顔を凝視する。
「ねえヒナちゃんって、女の子に負けないくらい可愛いよね。もう俺、ヒナちゃんでいいかも!」
「え?な、なに?」
「はぁ?」
人の悪いことを考えていた天罰か。春木先輩にターゲットにされてしまったようだ。早瀬も隣で怪訝そうな声を上げている。
しかし先輩は酔っているとは思えない素早さで俺の背後に回ると「髪、結ばせてねー」と何故か持参しているヘアゴムと、可愛らしいフリルのピンクのシュシュで俺の頭をツインテールにしてしまう。本当にすぐに髪を掴まれて、逃げる隙もなかった。
「わー。やっぱ、可愛い……」
正面にまわって、うっとりと春木先輩は呟く。
「そんなわけないでしょ!」
「いや、そこは本当に可愛いよ」
「おお、かわいーかわいー」
大倉は適当に合わせているだけにしても、春木先輩に続いて早瀬まで横から覗き込んでそんな事を言う。
顔から火が出そうだ。
「もうやだ、取るからねコレ」
「あ、ダメだよ」
思った以上に強い力で春木先輩が俺の両腕を押さえつけた。
「ヒナちゃん、マジでかわいい。やばい俺、本気になりそう」
「なに言って……先輩、腕いたい。離して」
「──はいストップ、春先輩。朝比奈イヤがってるじゃん」
背後からやんわりと腕が絡んできて先輩の腕から救ってくれた。代わりにそのまま抱き留められる。
動けない状況は変わらない、そして何故か俺は早瀬に抱きしめられている。
「なに早瀬、俺の邪魔すんの?」
トゲのある声で春木先輩が早瀬をにらんだ。
「だって春先輩は可愛ければ誰でもいいんだろ。朝比奈が餌食 になるの可哀想だもん。黙って見てらんねえ」
早瀬も一歩も引かなかった。
俺は耳を疑う。
なに?この人達なに言ってんだ?今日は早瀬まで酔ってるのか?
「ヒナ、オタサーの姫みたいだなー」
酔っ払っているくせに大倉の的確な指摘に思わずそれな、と言いたくなる。なんなんだこの茶番。
だけど俺を挟んで二人が火花を散らしていることは事実だった。
「大倉、笑ってないで助けてよ」
「助けるより混ざる方が状況的に面白いよな」
「お前は来なくていい」
俺と早瀬と春木先輩が同時に声を上げる。
三人同時に拒絶されて大倉がひでえ、と豪快に笑った。
それで少しだけ張り詰めていた空気が解け、春木先輩も空気が抜けたように萎 れてしまった。
早瀬の腕も俺の身体から離れていく。
実際この失恋は相当堪えているようで、ヤケになる気持ちも分からなくもない。
ただ早瀬の言動は謎だ。誰が見たって春先輩のは酔っぱらいの冗談だった。俺が女子ならともかく、親切にも程がある。
早瀬に抱きしめられてからずっと、うるさく暴れていた心臓の音が聞こえていなかったか俺はそれだけが心配だった。
それからまだ春木先輩と大倉は飲み続けたけれど、先輩はだんだん無口になり気付くと寝入っていた。
始めからオールという話だったし終電はとっくに無くなっているので、春木先輩を早瀬の部屋に置いて大倉の部屋に泊めてもらうつもりだった。
「朝比奈もうちに泊まればいいのに」
引き上げる前に空き缶や使った皿等を片付けていると、先輩の布団を敷いていた早瀬が言った。
「布団ないだろ」
前までは一組しかなかった。わざわざもう一組買ったのか、そう思って顔を上げる。
「俺のベッド」
だがその返答はそうではないらしい。
「早瀬はどこで寝んの?」
「俺も一緒にだよ。お前チビだから十分だろ」
完全にからかい口調だった。
「チビとか言う奴となんか一緒に寝たくない」
冗談でも止めて欲しい。これ以上心臓に悪いことを聞きたくない。
平然とした顔を続けるのはすごく神経を擦り減らす事なのだから。
それ以上構わず、おやすみと言って大倉と連れ立ち早瀬の部屋を後にする。
外に出た瞬間、目に見えない鎖から開放されたように楽になった。
「ヒナ、二人から愛されてんなー」
大倉が苦笑いで俺を見る。
「こういうの昔っから。大倉だって知ってるだろ」
こんな風にセクハラ一歩手前のいじられ方は高校生の時にも度々あった。それを分かって言っているんだろう。
部屋に入ると目をしょぼしょぼさせながら大倉が俺の布団を敷こうとしてくれる。俺は自分でやるからと断ると、シャワーだけ借りてもいいか尋ねた。
「勝手に入れ。俺はもう寝るー」
そう言ってベッドに倒れ込むともう寝息を立てている。
俺はバスルームに入ると壁に両手を着き、思い切り蛇口をひねって頭からお湯を浴びた。
もう、無理だった。
すぐに立って居られなくて崩れ落ち床に膝をつく。
早瀬に抱きしめられた事を思い出すといくらでも心拍数が上がっていく。
早瀬に言われた言葉を全部反芻 できる気がする。
これ以上は本当に無理だった。自分を誤魔化し切れない。
どんなにブレーキを掛けても無駄だった。本当はとっくに限界が来ていたのかもしれない。
今日、はっきりと自覚した。
──俺は、早瀬が好きなんだ。
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