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たんぽぽの咲く場所1

(誠)  金属加工会社に勤めている俺は、今年の春、異例とも言われる早さで係長に抜擢された。昔ながらの体質で年功序列のはずが、上から順に4人も昇進を断ったのだ。  その次の人は少し……いや、かなり人格的に問題があり、年功序列という暗黙の了解を破って俺に白羽の矢が立った。真面目さが評価されたらしい。  何年か前、パートナーである善と里親認定を受けるため、一時期出張も残業も断っていたのに選んでくれたことは単純に嬉しかった。  4人も断るということはかなりの貧乏くじではあるものの、引き受けることにしたのだ。先輩たちも押し付けるようなことになって悪かったからと、できる限りのサポートはすると約束してくれたし……。  梅雨時で、毎日嫌気が差すほど蒸し暑い。  残業を終え、善と一緒に住んでいるマンションに帰ると、リビングには見知らぬちびっこがいた。 「ただい、ま……?」  幼稚園児くらいの男の子はちょこんと正座をして、ふだんは俺の身代わりに善に抱かせているクッションの上に座っている。  見慣れた家具に、カーテン。テーブルの上には朝置きっぱなしにしていたマグカップ。部屋を間違えたわけではなさそうだ。  善は俺に向かってバッと手を広げた。満面の笑みである。嫌な予感がして、身構える。 「まこ〜。おかえり。ご飯にする? お風呂にする? それとも俺と――むぐっ」  エッチする?までは言わせねぇ。お決まりの冗談だが、子供に聞かせるもんじゃないだろう。慌てて善の口を塞いだ。そして善をキッチンまで引っ張っていき、どうして子供がいるのか小さな声で問い詰める。  善はさっきとは打って変わって、神妙な面持ちで口をひらいた。 「朝、置き去りにされてたんだよ。うちのクリニックの前に」 「置き去りって?」  善は答える前に、深く息を吐いた。視線は男の子の小さな背中に向けられている。 「言葉の意味、そのまま。……育てるのに疲れちゃったのかな」 「だからって、なんで歯科医院に置いてくんだよ。普通は児童相談所とか、病院にしたって、少なくとも歯科医院には置いてかないだろ」 「……唇、あとで見てみて。手術した跡があるから」 「手術した跡って、なんで?」  善の言っている意味がわからず、俺は声をひそめながら問いかけた。 「生まれつき、病気を持っていたんだろうね。歯科領域の疾患だったから、うちの前に置き去りにしたんだと思う。本当はうちみたいな個人医院じゃだめで、そこそこ規模の大きい総合病院か、大学病院にかからなきゃいけない病気なんだけど」 「ふぅん。一応、子供を捨てる親でも、そこんとこ考える優しさだけはあったわけね」 「まこ? 言ったあとで悲しくなることなら、言っちゃだめだからね」  善は俺の頭を優しくなで、柔らかな声で俺をたしなめた。  小学生のとき学校に馴染めず通っていたフリースクールでできた彼女は、親から性的な虐待を受けていた。俺自身も大人になってから知ったが、病気による消極的ネグレクトというやつを受けていたらしい。  だから、つい感情的になって、自虐的なことを言った。口に出したあとすぐに言いすぎたと後悔したのだ。  空気も読まずに、グウっと腹が鳴る。 「さすがに、腹減った……予定になかった残業は、心折れる。急な仕様変更ってばかじゃないの。これだからでっけぇ企業からの発注はやなんだよ」  今日は依頼先の企業が急な仕様変更を指示してきたので、4時間の残業だった。時刻はすでに21時を回っている。  話は一旦終わりにし、料理はおろか、家事全般が壊滅的な善の代わりに俺が夕飯を作ることにした。

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