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梅雨がようやく明けたらしい。保育所の脇を通ると、本格的な夏を迎える前の柔らかなセミの鳴き声が聞こえてくる。
「おはようございます」
クリニックの裏口から中に入り、2人でガラス張りのプレイルームに向かう。俺は優護くんと目が合うようにしゃがみこんだ。
「お兄ちゃんはこれからお仕事なんだ。ここにあるオモチャ、な〜んでも使っていいから、いい子で待てる?」
声をかけると、キョロキョロとプレイルームを見回していた優護くんが動きをとめた。
「うん、まてる!」
優護くんは背中に背負っていたリュックを床の上におろすと、継ぎはぎだらけの絵本を取り出した。
わざわざお母さんが持たせるということは優護くんにとって必要な物かもしれないと、まこが昨日リュックに入れていたものだ。オモチャに興味をしめしながらも真っ先に取り出したので、まこの予想は当たっていたらしい。
「何かあったら、あそこのお姉さんに言うんだよ」
受付のお姉さん――俺が子供の頃からずっとお姉さんだった人を指差す。綺麗な人だが、50歳はとうに過ぎているはずだ。
受付のおば……お姉さんはこちらに気付くと、優護くんに手を振って微笑みかけた。優護くんも小さい手を振り笑顔を返す。お姉さんが仕事に戻ると、優護くんは俺に視線を移した。
「おねえさんがくれたおにぎり、おいしかった。きのう“ありがとう”っていわなかったから、きょうは“ありがとう”っていわなきゃ。ママがなにかしてもらったら、ありがとうっていうのよって、いってたから」
俺がお姉さんと呼んだからか、おばさんと言わなかった優護くん。おばさんって言うと般若みたいな顔で容赦なく責めてくるから、その判断で間違ってないよ。肩をポンとたたくと、優護くんは不思議そうな顔で首をかしげた。
診察の始まる時間の少し前、徐々に患者さんが来院してきた。診察室の扉から待合室を覗き込む。
ご年配の患者さんはプレイルームにいる優護くんに気付くと、元々柔らかだった表情をさらにゆるめた。
「おんやまぁ、今の時間に子供がいるなんて珍しいねぇ。先生の子供かい?」
「そうそうボクの子供。可愛いでしょ? って、ボク、まだ未婚ですよ。ちょっとあずかってるんです。しばらくはいるかも」
「そうなんかい。子供はいいねぇ。見ているだけで温かい気持ちになるよ」
お母さんに持たされた絵本を眺めていた優護くんがこちらに気付き、人懐っこく笑う。
患者さんが優護くんを呼ぶと、優護くんはプレイルームから待合室に出てきた。ソファにちょこんと座った優護くんは、餌付け……じゃないか。お饅頭をもらって、お礼を言っていた。
診察室にいる俺に顔を向けた優護くんに頷く。
「せっかく頂いたから、食べていいよ。あとでまた歯磨きしようね」
「うんっ」
“いただきます”をして優護くんはお饅頭を頬張り始めた。優護くんよりもあげる側の患者さんのほうが笑顔で、幸せそうだ。優護くんにはどうも人を和ませる力があるらしい。
お饅頭を頬張ると、プニプニとした頬っぺたがさらに膨らんだ。つついてみたら柔らかそうだ。頬ずりしてみたい。まこの前でしたら冷たい目で見られるだろうから、あとでこっそりさせてもらおう。
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