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第8話-2
五限目の授業は体育だった。一人更衣室に向かっていたが、中に入ると善也がいない。千隼も成雄もいなかった。授業に出る気分がそがれる。あいつらがさぼっているのならいいやと、よくわからない理由をつけて、着替えることなく教室へ戻った。ドアを開けようとして、ピタリと足を止める。千隼のバカでかい声が聞こえたのだ。
「お前が言った通りだったな。あいつらがホモだったなんて超うけるんだけど」
え?
「千隼声が大きい」
成雄の声もして、智は思わず一歩戻り壁を背にして耳をすませた。
「別にいいじゃん。誰もいねーんだし」
「だとしても、もっと静かに話せよ」
「わーかった、わかったよ。にしてもよー、あんなに思いっきり蹴ることはねえだろ」
「お前がやりすぎるからだよ」
「だってさ、あいつかわいい顔してるし、ちっこくて細くて女みてえじゃん。それであんだけ喘がれたらたまんねーって」
がたっと音がして千隼が「落ち着けよ」と成雄をなだめていた。
「ヤッてたのは善也だろ。そんなに気に入らねーんならお前も無理やりやればよかったじゃん」
「それじゃ意味がないんだ」
「はあ? あんだけ仕掛けといて、白馬の王子様ばりに助けに入ったのに、キスだけとかどんだけだせえんだっつーの」
「智が受け入れてくれないと意味がないんだよ」
「え。何お前マジなの?」
ひと際大きな千隼の笑い声が響いた。
「うっは、俺の周りホモばっかかよ」
「…………」
「何にせよ賭けは俺の勝ちだからな」
どくどくと心臓の音がうるさかった。それなのに二人の声ははっきり聞こえてくる。どういうことだ。仕掛けといてって、何だそれ。成雄が計画したっていうのか? 助けに来たのも自作自演? 俺に好きだって言ったのは?
足は凍り付いて動かない。できればここから逃げ出したかった。俺はいったい何を信じればいいんだ。空気が薄くなったように息がちゃんと吸えない。苦しくなって喉を掻きむしった。
「智くん……?」
ぽそりと善也の声が聞こえて振り向いた。途端に涙腺が崩壊する。ぼろぼろと涙を流しながら、善也の肩を掴む。うう、と呻いて胸にしがみついた。
「どうしたの?」
がたんと大きな音が聞こえて慌ててこちらに走ってくる足音が二つ。教室から成雄と千隼が出てきた。智は善也の胸にしがみついたまま、声を殺して泣いている。善也がとまどったフリをして二人を見上げた。
「うっわ、ばれてやんの。だっせ」
「うるせえ! てめえは黙ってろ!」
聞いたことのない成雄の怒鳴り声。千隼は呆れたように息を漏らして笑った。
「あーらら。猫かぶるのも忘れちゃってるよ」
成雄が肩を震わせている智に手を伸ばす。それを阻止するように、善也が智の体を引き寄せてぎゅっと抱きしめた。
「智、違うんだ、話を……」
「何が違うんだよ」とまだ笑っている千隼の腹を成雄が肘で殴る。
智は喉を引きつらせて息を吐くと、成雄の声がする方へ振り向いた。目をむいて、まるで化け物を見るような表情をしている。そして小さく言葉を落とした。
「お前なんか死ね」
引きつった半端な笑みを浮かべていた成雄の顔が今にも倒れそうなほど真っ白になった。後ろで千隼がふきだしている。
善也は成雄を睨みつけると智の肩を抱いたまま「行こう」と背中を押して歩き出した。
「智……」
小さな声でつぶやく声が聞こえる。千隼は今にも大声で笑いだしそうだ。
そんな二人に背を向けて、俯いて泣いている智の背をさすりながら教室を離れた。善也は口の端を大きく吊り上げる。
バカだ。バカだ。バカだ。素晴らしいよ成雄くん。まさか自滅してくれるなんて。青臭い恋愛ごっこを始めた時は揺れる智くんを心配したけれど、もうこれで、智くんには僕以外誰もいなくなった。ああなんて素敵なんだ。
善也はうっとりと目を細めると、階段を上って智を屋上まで連れて行った。ドアが閉まって周りから隔離されたことで気が緩んだのか、智は大声で泣きだした。善也の胸元を掴んで離れない。よしよしと背中を撫でると、さらにしがみついてきた。
智は善也の優しさに、余計に涙がとまらなくなった。もう俺には善也しかいない。もう何もかも信じられない。信じられるのは善也だけだ。優しくしてくれるのも善也だけだ。善也だけいればそれでいい。もう誰もいらない。もう誰も信じない。智は強く強く善也にしがみつくと、背中に回された腕の力強さに心地よさを感じてさらに大きな声をあげて泣きじゃくった。
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