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第1話

 雨宿りに飛び込んだ喫茶店。濡れたスーツが乾く気配はないが、外はもう霧雨に変わっている。  冷えた手にコーヒーカップを握りしめ、美味そうにホットコーヒーを啜る上司。男二人が向かい合うには狭いテーブルに年末商戦のパンフレットを並べ、俺は苦言を垂れていた。 「今時QRコードを入れてないなんてあり得ませんよ。ただでさえ若年層はハムなんて買いませんから。歳暮の文化も下火なのに、企業努力を怠るなんて信じられません」  コーヒーカップを手で包むように持ち離さない上司は、つまらなそうに視線を紙に落とした。 「企業努力を怠ってるんじゃなくて、わからないんじゃないの、そのQRコードってやつが」 「え、誰がわからないって言うんですか」 「上」  目まいを感じて俺は天を仰いだ。古びた喫茶店のランプが暖かく色づいている。秋の雨は冷たく、暗い。  コーヒー一杯にぬくぬくと目を細めているのは、一週間前にチェンジしたばかりの上司、神谷一途だ。確か年齢は三十五だったか。年下の部下にずけずけと物申されてもどこ吹く風だ。 「神谷さんはわかってますよね? QRコードが何か」 「あの、迷路みたいなマークのやつ……」 「迷路って……」 「坂上、図体でかいわりにはけっこう細かい男なんだね」  へらっと笑って神谷さんは足を組み直した。カチンときた。が、悪意無さそうな目。無神経……。そう、この上司はたぶん無神経で何も考えていないのだ。 「細かいっていうか、QRコードなんて普通でしょ」  ついタメ口が出てしまう。 「俺はそのQRコードっていうの、使ったことねーもん」  その感度でよく営業なんかやってるな! パンフレットを丸めてぶん投げてやりたくなった。 「坂上くん本当に役に立つよ。スマホひょいひょい使いこなしてさ、道案内もばっちりだから、俺楽だもん」  飲み干したカップを置き、気楽そうに伸びをする。中背で細い体。  綺麗に散髪されてはいるが、パサついた、いくらか色素の薄い髪。  この男には油気がない。顔にも、性格にも。カラカラの枯れ葉が乾燥した秋の空気に舞うような、心許なさを感じる。  本人の性格にも似た地味な顔立ちだが、整っていると言えなくもない。やけに切なげな目で時々遠くを眺めている時がある。目撃すると、こっちがドキっとしてしまう。  ただし口元にしまりがないせいで、年齢のわりにあどけない。  俺は見せつけるように諦めの溜息を一つ吐き、カップに残ったコーヒーを飲み干した。  グーグルマップが使えるくらいで役に立つと言われても嬉しくない。一週間経って俺の評価はそんなものかと逆に腹が立った。 「そろそろ社に戻ります?」  背凭れに掛けていたジャケットを掴み、腕時計を見た。立ち上がろうとする俺に神谷さんはコーヒーカップを軽くかかげ、悪びれずに言った。 「おかわり、頼んでいい?」

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