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第2話

 きらびやかな都内ビジネス街から外れた、秋葉原と上野の中間地点にある食品会社。地味な中堅企業で昔ながらの年功序列の縦社会。  そこそこ安定した企業とは言え、面白さに欠けた。女性社員は今時制服ありで、実家からの通いが多い。古き良き時代の名残がくすぶり、年配者には過ごしやすいだろうが、俺には少々つまらなく感じる。  俺は大学までサッカーをたしなみ、たいした大学を出たわけではないが、体力があって真面目そうだからという理由でこの会社に採用された。  営業畑でもう五年。一通りの仕事はできるようになったし、営業先に顔も通るようになった。ここらでリーダーに昇格し、もう一歩業績を上げたいと思っていた矢先、突然うちの部署に配属替えされてきた神谷さんの下につけられた。  神谷さんは長年総務畑にいた人間だ。営業経験もあるというような噂話を聞いたことはあるが、ほとんど素人。今更、どういう人事で営業部に配属されたのか……。  三十五歳という油の乗った年齢での異動。総務係長まで勤めていたのに、左遷としか思えなかった。  しかもその下につかされたのが俺だ。バリバリの体育会系で、営業部での昇進しか想像できない男にとってはやっかいな人事でしかない。  今年はようやく部下をつけてもらえると思っていたのに……!  最近俺はこの上司を観察することに余念がない。少しでも粗を探して潰してやる気だった。年齢は関係ない、俺の方が優秀だと周囲に認めさせてやりたかった。  一方移動間もない上司は突然の島流しにも関わらず、淡々と自分の居場所を作り、居心地も悪くなさそう。ギラギラした雄の下心を感じさせない人間なので、営業事務の女の子たちからはやれ旅行だの、新しく買ったバッグの話などを聞かされて苦笑している。長年会社にはいるだけはあって、営業部に顔見知りも多い。みんな同情的だし、忌み嫌われているわけではない。  俺だけが神谷さんに敵意を向けている。そんな気がして、イライラを募らさせていた。 「坂上、昼飯食わないの?」 「明後日のプレゼン資料作ってから食いに行きます」  パソコン画面にかじりついたまま、十二時の音声が鳴っても部下を気遣う上司を一顧だにしない。背中に神谷さんの戸惑う気配を感じる。俺なんて放っておいて早く行けよ。これ以上イライラさせないでくれ。 「でも、さっさと食って丸の内向かわないと、丸大の物産展の打ち合わせ、遅れちゃうよー?」  キーボードを打つ俺の手が止まった。  まずい、そっちの資料、何も用意していない……。 「ちょっとこれ見てくんねーか。俺、作ってみたんだけど」  神谷さんの差し出す紙束を掴むしかなかった。  エクセルでまとめられたコピー用紙。一目で前年比が見通せるようになっている。ブースの配置から収益の計算までグラフを使って細かく纏めるセンスの良さ……前年度の資料を細かく見ていた。たいして教えてもいないのに、概略どころか細かい部分まで相当詰めてある。昼行燈じゃない。たぶんこの人、仕事が出来る……。 「俺、お前らが普段どういう資料持って行ってるか全然わかんなくて……これで大丈夫?」 「あ……はい……全然……」  嫌味なのか。ここまで完璧な資料作っておいて、わかんねーとか、ないだろ。 「よかったー。打ち合わせの先導お前に任すから、よろしく頼むな」 「これ作ったの神谷さんなのに、俺に頼むとかないんじゃないですか」 「お前の方が、営業経験長いから」  眉を八の字に下げ、笑った。あざとさのないその表情が、俺の火に油を注ぐ。 「俺は部下なんですよ。上司の神谷さんが主導した方が、相手も安心すると思いますけどね。経験より、年の功じゃないですか」  資料をつき返す。手の中でコピー用紙が潰れる音がした。  神谷さんは困ったように潰れた紙を受け取った。この企画に携わって三年目の俺が主導するべきなのだろう。突然上司として随行しなければならなくなった神谷さんの方が分が悪いに決まっている。「坂上!」  俺と神谷さんのやりとりは営業部に緊迫感をもたらしていた。気まずい沈黙を裂くように飛んでくる牧田主任の声。いい加減にしろと目が鋭く光っている。 「今回の件に関しては俺がやらせていただきます。資料、ありがとうございました」  渋々頭を下げると神谷さんは資料を握りしめ、アホみたいに飛び上がった。 「だよね! 坂上頼りになるなあ。俺全然自信なかったし。じゃあさっさと昼飯食いに行こうぜ。俺、蕎麦がいい!」  はー、資料作るの面倒臭かった~などとのたまいながら、サイフを取り出している。俺は同意していないが、こうなっては蕎麦にも同行せねばならない。  ったく、なんなんだよ。やりづらいことこの上ない。 だが、一見ゆるいこの男の言動に関係が救われているのも事実。主任の一括がリフレインする。……悪いのは、俺だ。  そのぐちゃぐちゃになった資料、ちゃんと出力し直すんでしょうね……。嬉々としてコートを羽織る上司の背に念を送った。

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