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第3話

 物産展の打ち合わせは上々だった。俺には密かに試してみたい企画があり、昨年から温めていた。タワー型のパテメガ盛りハンバーガー。アメリカ西海岸のダイナー形式のブースにするという企画だ。  百貨店の性質上ターゲットは中高年だが、完全に若者向けの企画。超・保守的なうちの会社は冒険をしたがらない。「名店の~」風のステーキやらカツサンドなんかの安牌で通しているのが常だ。俺にとっちゃつまらないし、話題性を出したい。成功して、頭の固い上層部に少しでも若手の力を見せつけてやりたかった。  何の相談もせずに先方の会議室でいきなり自分の企画を持ち出した俺に、神谷さんは嫌な顔一つしなかった。俺を前面に立て、好きなように喋らせた。  そんな行為も無責任だと思わなくもなかったが、同意してくれたことは単純に嬉しい。邪魔されなかったことも。  神谷さんは以外とソツがない。担当者の懐に入るように世間話をし、気の置けない関係を瞬時に作る。数字的な話になると圧倒的に強かった。例年とは趣向を変えた食品会社の企画に、先方もどんどん乗り気になり……。 「それでは今後共、よろしくお願いします」  二人揃って頭を下げ、会議室を後にした。神谷さんは最後まで俺の後方という位置取りを崩さなかった。上司が機嫌よく後添えしてくれることほど気持ちのいいことはない。  俺はこうして現場のイニシアティブを取りたかったのだ。俺より十センチは背の低い上司のパサついた髪が目の前で揺れている。元々我が強く、縦社会に馴染みの悪い俺の気分は最高だった。  神谷さんはそんな俺の気持ちを理解しているのか。逆に手玉に乗せられているのか……。  いずれにしろ単純な俺は持ち上げられたのが嬉しくて、足取りが軽い。  自然と罪悪感がこみあげてきた。  東京駅前の広い横断歩道。赤信号待ちで、深々と頭を下げる。 「神谷さん、今日は本当にありがとうございました!」 「いや、坂上の企画見たら、俺も元気出たよ。お前みたいな若い人材は、大切にしなきゃ」 「すみません、相談もせずに……。前の上司だったら、確実に握り潰されていたんで、こうするしかなかったんです」 「度胸あるよ、坂上。かっこよかったよ」  目を細める。眉が少し下がった。ちょっと情けない笑い顔。幼く見えて、吸い込まれそうだ。  かっこよかったよ、か……。  ああ、俺、嬉しいのか。  めちゃくちゃ久しぶりに、誰かに褒められた気がする。子供みたいな気持ちを悟られたくなくて、バツが悪い。 「お前みたいな部下と組めて良かった。いきなり営業部連れてこられても、何を目指していいか、わからなかったから……」  マイペースでちゃらけた態度は、建前か。本当は営業部なんて苦痛なのだろう。総務で実績をあげてきた男に、営業部で花開けと言うのも無体な話だ。  しかしなぜ、左遷させられたのだろう。聞きたいことは山ほドあるが、きっかけが掴めない。左遷だと決まっているわけでもなく、あくまで俺の憶測。クリティカルな問題すぎる。悪態ついてきたぶん、さらに聞きづらかった。  信号が青に変わり、横断歩道を渡る。 「神谷さんは、お酒飲む方ですか」  返事がない。焦った俺は先を歩く神谷さんを大股で追い抜き顔を見据えた。はっとした。酷く暗い目をしている。取り繕う間もなかったのか、神谷さんは無防備な表情のまま俺を見つめかえしてていた。  こんな顔、三十五の男がするのか……。  短く鳴る、トラックのクラクション。横断歩道の真ん中で立ち尽くし、信号は赤に変わっていた。慌てて渡りきり、気まずい空気だけが残る。どちらともなく歩き出した。 「俺もお前みたいな人間に生まれてくればよかったな」 「何ですか、いきなり」 「男らしくて、前向きで、甲斐性あって、迷いのない感じ」  ふっと笑う。そんな風に思われているのか。買いかぶり過ぎだ。手放しの褒め言葉にどこかひっかかる部分もある。 「今夜一杯、どうですか」  返事がない。さっきと同じだ。俺が半歩進めば、半歩下がる。どうすれば距離を詰められる?  「いろいろお礼、したいんです」 「無理すんな。実際助かっているのは、俺の方だから」  違うよ。誤解とか詫びとか、そんなものはどうでもいい。俺はただ神谷さんからオーケーの返事をもらいたいだけ。  寂しく枯れた、この男に纏わりつく空気の正体を知りたくて……。  時折吹く木枯らし。苦笑しながら立っている神谷さんは都会の街路樹にかき消えてしまいそうだ。風にまきあげられ、枯れ葉のついた髪を整えるこの男は無防備すぎた。心の距離を詰められない俺は、思わず物理的に手を伸ばしていた。 「俺は今、酒が飲めないんだよ。悪い酔い方しちゃうから、控えてるんだ」 「そう……ですか」  慌てて手をひっこめた。俺の手は、いくら伸ばしても届きそうになかった。

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