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※a night's lodging(再録)

(以前こっそり掲載させて頂いた、間宮班長と主任のお話です。勢いで書いた物なのでいつにも増して糞です) 店を出て猛雨が脚を止めた。 大寒間近の折、間宮はバスの停留所で途方に暮れた。 タクシー乗り場には長蛇の列。 コンビニの傘は軒並み品切れ。 終電もとうに超えた。 ベンチには些か顔の赤い上司。 彼は鞄を抱き、あろう事かそのまま意識を手放そうとしていた。 「ちょっと、ちょっと待った萱島さん…起きてて下さい、お願いですから」 「大丈夫こっから出勤しますんで、もう構うなよ。うるっさい」 腕を掴もうと伸ばした手を払いのける。 間宮の米神が引き攣った。 「だーれの所為でこんな時間に…」 肘置きにことりと頭を乗せ、萱島が目を閉じた。 スーツの裾を寒風が攫う。 BGMは止む気配の無い豪雨で変わらない。 足早に走る人、列に加わる人。 間宮は腕時計を確認し、溜息を吐いた。 「ホテル取りましょうか」 「ふふ」 「何笑ってんすか」 「超寒い」 酔っているから平気かと思っていた。 上司の頬が、気付けば白くなっていた。 雨と霧に霞む駅前を見渡す。 オフィスビルの狭間に、点々と浮かぶビジネスホテルの看板が見えた。 よもや、雨程度で部屋が埋まるとも思えないが。 念の為番号を調べて電話を掛けた。 上司の隣に腰を下ろし、外套を無理矢理羽織らせた。 「すいません…2人で…あ、はいそうですね」 萱島がくしゃみをした。 あーあ。間宮は眉を潜めた。 風邪でもひかそうものなら、一体何人に詰問されるやら。知れたものではない。 「萱島さん」 「ん?」 「立って、少し歩きますよ。熱とか無いでしょうね」 「熱?何で?すこぶる元気だよ、走る?」 「走んなくて良いんで、こけないで下さい」 幸い小雨になっていた。 足元の覚束ない相手の手を引いて立ち上がる。 何の他意もなく手を繋いでいた。 ただし捕縛目的の、甘さとは無縁の様相で。 「…冷たい」 小粒の水滴が前髪を濡らした。 萱島は俯いて不平を述べた。先よりもうんとテンションが低い彼は、暴れる事なく間宮に追従した。 肩を抱き、何の飾り気も無いビジネスホテルのエントランスへ押し込んだ。 受付の男が軽く会釈する。 こんな所に久々に脚を踏み入れた。 意図せず視線を彷徨わせる間宮の傍ら、上司は今はもう不自然な程大人しく黙っていた。 チェックインを済ませ、眠るだけの用途に造られた部屋へ入る。 扉を開け、萱島を促した段階で間宮はしまったと思った。 今更。 空きが無かったとは言え、不味い選択をしたと悔やんだ。 「間宮、もう寝る?」 蛍光灯の下、白いベッドの上に萱島が座った。 狭い一室。 並んだ2つのベッド。 目前には焦がれる相手、朝まで2人。 「…スーツは脱いで下さい、皺になる」 紛らわすかの様に、間宮は矢継ぎ早に述べて目を逸らした。 「シャワー使うならさっさとどうぞ。俺コンビニ行ってくるんで、もう先に寝といて下さい」 終電を逃したとは言え、他に幾らでも選択肢はあった筈だった。 どうして態々自分を追い込んだのか。 背後で、上司は悄然と了承をぼやいた。 静寂に衣擦れの音が響く。 するりと、上着が滑り落ちる気配がした。次いで、ベルトの留め具を。 其処で頭が真っ白になり、気付けば間宮は部屋を後にしていた。 到底一晩居れる自信が無かった。 (くそ、相変わらず脳天気なツラが腹立つわ) それでも行く宛もなく、当然1時間と経たず帰る羽目になった。 2度目のドアノブを押し開けた。 殺風景な空間で、萱島が振り返った。 「…お帰り」 出入口の手前で脚が縫い止められた。 どうして、そんな格好で立っている。 「帰って来ないかと思った」 「は…?」 「その、多分…また俺が怒らせたから」 シャツ一枚で壁に背を預ける姿に釘付けになる。 湿る髪から、額から水が伝い落ちた。 「ごめん、間宮、あの」 白熱灯の元に浮き上がる肌。 華奢な癖に、やけに官能的な線の肢体。 反して萱島の仕草は幼い。 Yシャツの裾を握り締め、彼は俯いた。 「いつも迷惑掛けてごめん」 「…何、どうしたんですか」 歩み寄り距離を詰めた。 布の切れ間から露出した脚に、間宮の視線が吸い寄せられた。 「主任」 この男は時折情緒不安定になる。 酒が入ると一層、笑ったと思えば急に神妙な顔つきをしたり。 底なしに明るい人間だが、恐らく、胸の内には闇が満ちている。 「怒ってませんよ」 直ぐ脇の壁に手を突いた。 閉じ込められた存在が、酷く小さく見えた。 「そんな格好で髪濡れたままにして、風邪引くでしょう」 「ふ…」 急に口元を緩めて上司が笑った。 唇から、「戸和みたい」と呟きが漏れた。 戸和じゃないだろう。間宮の不快指数が募る。 なりたかろうがなれないのだ、どうしたって。 長い睫毛を見詰めた。 こうして黙って大人しくしていると、本当に可愛かった。 自分の部屋に飾っておきたい位に。 「おやすみ」 「寝るんですか」 「うん」 肩を掴んだ。 水滴が滑り落ち、萱島の唇を濡らした。 捉えた瞳が細まる。 背を屈め、雫を舐めとる様に唇を塞いだ。 「へ…」 状況を掴めない上司の肩を抱いた。 下唇を舐め、柔く食み、首を傾けて隙間なく噛み付いた。 薄い背中の骨をなぞる。 背筋に指を這わせると、身体が面白い様に強張った。 「っふ、」 隙間から舌を差し入れた。 案の定冷えていた肌に反して、熱に覆われた口内を辿った。 どうして良いかも分からない総身が震えた。 指先が惑い間宮のシャツを掴む。 完全に意表を突かれたのか。 困惑に追い詰められた姿に喉を鳴らした。 舌を掬い取る。 吸い上げるや、耐え切れない様な声が漏れた。 口端を唾液が伝った。 懸命に酸素を求める唇をまた優しく愛撫し、 放してやった。至近距離で。 背後に雨音の止まない室内。 力を無くして縋り、抵抗も叶わない上司を抱き締めた。 何をされているかも図れない。可哀想だ。 間宮は呆然と呼吸を紡ぐ萱島の唇を拭った。 抱き締めていた肩から、背中から手を滑らせた。 ずっと見ていた。 下肢に手を伸ばし、白く浮いた大腿を撫でた。 「え、あ…」 目を見開いて震える。 その怯えた様子だけで堪らなかった。 「萱島さん、手邪魔ですよ」 咄嗟に彼は脚の隙間に及ぶ、間宮の腕を掴んでいた。 「脚もう少し開いて」 「な、なに…何して」 「分かってる事聞かないで下さいよ」 泣きそうだ。 泣くかもしれない。 知っていながら放ったらかしに、間宮は無理矢理合間に指を押し込んだ。 「っ、あ」 必死に押し返そうとする。 細い手首を掴んだ。非力な腕だ。 別にこのタイミングでなくとも、考えたら縛り付けて犯すなんて今まで幾らでも出来た。 幾らでも出来る様な、隙だらけの人間だった。 笑えるくらい無邪気に、人を疑わない性格が。 うざったいとも、愛しいとも、苛立たしいとも思える。 「ま、まみや」 悄然と俯く。 内側を揉んで、首筋に噛み付いた。 目眩を起こすほど甘い匂いがした。 「や…止めて」 閑静な部屋に、ようやっと聞こえる様な。消え入りそうな悲鳴が漏れた。 懇願されればされるほど、酷くしてやりたくなった。 反吐の出る性癖だと間宮は自覚してたものの。 「はっ…アンタ、勃ってんじゃないですか」 態とらしく局部を撫でた。 萱島の肩が跳ねた。 「止めてって、どの口が」 「ちが…」 「いいですよ、抜いてあげますから。じっとしてて下さいよ」 「い、いらない…間宮、お前、何か変だろ…」 喉が引き攣り、上擦った声に変わる。 下着の中に侵入し、間宮の手が直に性器を触った。 「っんぅ…」 頬に増々赤味が差した。 戦慄く手で間宮を押し退けようと、只管な抵抗が全て虚しい。 確かに手中の物は熱を持ち、首を擡げていた。 先端に向かって撫で上げる。 露の零れる箇所を弾く。 間宮の一挙一動に、泣きそうな声を上げる。 腕の中の肢体が震える。 「あ…、ぁ」 退けようとしていた指先が、徐々にシャツを握り締めた。 行き場を無くして縋るしか出来ない。 大きな瞳に涙が溜まった。 腰を抱き寄せ、執拗に先端を弄った。 間宮の両眼が、息の詰まるほど萱島を見詰めていた。 「いきそう?」 「…、っ」 「大丈夫ですよ、俺が見てますけど」 首を横に振る。 萱島が唇を噛み締めた。 このまま見ていたい様な。 早々とベッドに投げて犯したい様な。 零れる喘ぎを必死に堪える姿が愛しい。 無意識に唇を舐めた。 「や、やだ、は、離して…駄目、まみや」 吐息が零れる。 もう限界かなと読んだ矢先、やはり間宮の手中で達した。 痙攣して引き結んだ口が開いた。 子供が愚図るみたく、切ない声が漏れた。 飛沫が萱島のシャツを汚した。 ぶれる瞳が、焦点を無くして彷徨った。 「ぁ…、」 「あーあ、せっかくシャワー浴びたのに」 上司はその場で膝から崩れ落ちた。 また、ビジネスホテル特有の陰気な静寂が満ちた。 肩で息をして、呆然と床を見ている。 可哀想だ。本当に。 素直にそう思った。 そうして予想通りぼたぼたと涙を落とし始めた相手を、無表情に眺めていた。 「泣いてるんですか」 嗚咽はない。 ただでさえ、情緒不安定だったのに。 萱島は未だどうして良いか、きっと迷路に沈んでいる。 「…、ごめん」 たっぷり間を置いて。 絞り出す様に、掠れた声で言ったかと思えば謝罪だった。 「はい?」 「ごめんね、直ぐ出てくから」 灰色の絨毯に雫が落ちた。 相変わらず俯いたまま、萱島は目元を袖口で拭った。 「何を謝って…」 「ごめ、」 つっかえる。 今度は間宮が。訳が分からずに膝をつき、頼りない肩を掴んだ。 「お前が…俺のこと鬱陶しいの、知ってたのにまた、こうやって」 甘えたから。 途切れながら懺悔する。萱島に眉根を寄せた。 顔を覆う両腕を掴まえ、揺れる瞳を覗き込んだ。 追い詰めれば追い詰める程、逃げ場を無くして自分を責める人間なのは分かっていた。 不器用で下手くそで、相手を罵る術もなかった。 「…甘えるなとは言ってませんけど」 偶に自分自身、本気でこの性格が嫌になる。 一杯一杯の相手が可愛い。 泣く姿が可愛い。 もっと、身動き出来なくなって最終的に、みっともなく此方に縋れば良い。 「鬱陶しいのはまあ、確かに」 濡れそぼった睫毛が伏せる。 首を伸ばして其処に口付けた。 萱島がびくりとあからさまに竦んだ。 「俺がもう止めろ、飲むなって言っても聞かないし」 「…ごめん」 「ベンチで寝ようとするし、構うな放っとけって…あのまま置いて帰ろうかと思いましたよ」 何度目かも分からない。 只管に叱られた子供と同じ、上司は反省を零した。 「いっつもこんな感じですか、誰と飲みに行っても」 「いつも…って訳じゃ、ない、けど」 「グダグダになって言われるままホテルについて来て、そんな格好で…何か馬鹿らしくなってくるわ」 間宮が前髪を掻き上げた。 その仕草にさえ、怯えをみせた気がした。 薄暗い廊下で座り込んで微動だにしない。 唐突にその襟元に指を掛けた。 申し訳程度に止められた、2段目の釦を引っ張った。 「そんな簡単にヤラせるんですか、アンタって」 「え…?」 「ヤってくれって言ってる様なもんでしょ」 こんなの。 引っ掛かっていた留め具を外す。 するりと、肩の丸みをシャツが滑り落ちた。 「…ほんと腹立つわ」 何も言えない萱島の鎖骨をなぞった。 知っていた。別に、そんな意図が無い事くらい。 要はこの男は何も考えていないのだ。 それにどうしようもなく、腹が立った。 人がこんなに悩ましく思っているのに。 「濡れてる」 髪から落ちた水滴が、胸元まで届いていた。 辛うじて隠れていた突起を露出させ、間宮は噛み付いた。 「ひ、ぅ…あ」 急な刺激に萱島がしがみつく。 甘いな。口に含み、転がして味わった。 唇も、身体の何処もかしこも甘かった。 「や、やめ」 「冗談でしょ」 一蹴してまた甘噛した。 間宮の肩に縋り、くぐもった嬌声が耳元に聞こえた。 執拗に箇所を舐めとる。 ぷくりと、確かに反応して存在を主張する。 シャツの隙間から手を滑らせ、反対側も指で弄ってやった。 「あ、ぁっ…」 「何でまた勃ってるんですか」 蜜塗れの下肢を触る。 乳頭から舌を離し、項垂れる萱島を責めた。 「聞いてるんですけど」 両手を捕まえて顔を覗き込んだ。 髪に隠れ、泣き腫らした目が漸く間宮を見た。 「嫌だ嫌だ煩い割に、とんだ変態だな」 こんな物はただの八つ当たりだ。 ただし、十割自分に非があるかと問われれば間宮は頷けなかった。 嫌われたくないと言う。 構ってくれと、まるで好意を抱く相手にするみたく。 そんな態度を、誰にでもする。 この上司にだって非はあった。 「何とか言えよ」 引き結ばれた口に、無理矢理食指を差し込んだ。 嫌がる萱島が手首を掴んだ。 先から止まらない、涙が間宮の手に伝った。 「俺に嫌われたくないんでしょ」 捉え続ける瞳が歪んだ。 そう言えば綺麗な色だった。 色素の薄い飴色に、間宮は賞賛を抱いた。 「っ…、みや」 「どっち」 「…な、いよ」 「じゃあ乗って」 「え?」 意図が掴めない、萱島が相手を映す。 ファスナーを下ろし前を寛げる男を見る瞳は、驚く程に無垢だった。 「何純情ぶってんですか、どうせ何回もしてるでしょ」 腰を引き寄せられ、やっと要求された事を理解した。 萱島が困惑を露わにした。 「な…何で」 「慣らす位してあげますから」 柔らかい尻肉を割る。 悲鳴を上げかけ、舌を噛む。 自分が零した蜜を、塗り込む様に指が這った。 嫌だ。全身が戦慄く。 恐怖に強張る相手に構わず、ぬるりと指先が後孔に侵入した。 「い、ぅ…っ」 「力抜いて」 諭された。 優しいのか、酷いのか。 もうどうなっているかも、萱島には訳が分からなかった。 体内で蠢く指先が引っ掻く。 緩急を付けて、とても厭らしい動きで。 突然されて、それでも明らかにそう言った声を漏らす萱島を見て、間宮は上司の経験を確信した。 なのに身体と異なって。 健気に耐える表情が、声が、まるで処女だった。 「…こっち来て下さい」 憐れに悶える姿を勝手に引き寄せた。 ゆっくりと、殊更に慎重に腰を落とさせた。 先端が埋まる、濡れた局部が実に卑猥な音を立てた。 「や、…っや、めてよ…まみや」 「止めるんですか?」 「や、だ…だって…っぁ」 は、と呼気が漏れる。 我慢の糸が切れた。 痩身を抱き寄せて突き上げた。 「あ、ぁ…う」 かたかたと萱島が震えた。 口から泣き声なのか嬌声なのか、判別の付かない音が溢れ落ちた。 だらしなく隙間の空いた端から、唾液が零れた。 無理矢理だろうが何だろうが。 好きな相手と繋がった。 今確かに、己の欲が彼を犯して、中を貫いていた。 その事実だけで果ても無く興奮した。 増して、終に嗚咽を漏らして泣きじゃくる萱島が。 不憫で、居た堪れなくて、この上なく愛しかった。 「泣かないで下さいよ」 濡れた唇を塞いだ。 頬を捕まえ、しゃくり上げるその姿を脳裏に焼いた。 「身体は善がってるのに」 「う…、っぁ」 「単なる処理じゃないですか」 心にも無い台詞を吐く、口元が嗤う。 腰を揺らすと水音が響いた。 容赦なく突く度に、抜ける様に高い声が零れた。 幼子みたいな泣き方をする癖に。 犯された下肢は、蹂躙する熱に感じていた。 疼く。気持ちが良いように、もっと欲しい様に。 我儘な男に開発されていたのだから。 「っあ、…あ、ぁ」 も、止めて。 真逆の願いを込めて間宮に抱き付いた。 また頭が可笑しくなる。 限界が近付く。 紅潮した頬を、何度も涙が塗り重ねる。 間宮が怯える身体を抱えた。 そうして息つく間もなく、簡素なホテルの絨毯の上へ押し倒した。 「まみや、っめて…あ」 冷たい床に髪が散らばる。 投げ出された身体に覆い被さる。 知らない部下が其処に居た。 圧倒的な力で、押さえ込まれる。 獰猛な瞳が退かせない腕が、恐い。 そう、恐かった。 一度だってそんな感情を、部下に抱いた事は無かったのに。 「あ、っあぁ…ん、…ぅ」 呼吸を奪うかの如く口を塞がれた。 毛足の短い絨毯に肩が沈む。 遠くからほんの僅か、雨の音が鼓膜に届く。 背後の冷たい感触と、伸し掛かる熱い身体。 思考が吹き飛ぶ程の快楽と恐怖。 これ以上ない混沌の中、淫らな音を上げて。 夜は更け、 そして明けた。 いつ終わりを迎えたのかも、眠りについたのかも分からぬまま。 気付けばカーテンを引いた視界は眩しかった。 目が覚めて、少し咳が出た。 喉の乾燥に眉を潜めて身を起こした。 ベッドに寝かされていた。 誰も居ない室内を見渡し、萱島は痛む身体を抱えた。 サイドテーブルに視線を移して動きを止めた。 書き置きと、宿泊代が鍵に挟まれていた。 『――向こう一週間の天気です、終末まで傘が手放せません。今朝は一時的に晴れ間が見えますが…』 間宮は鞄を手に早朝の駅前を歩いていた。 昨夜とがらりと毛色を変え、到底同じ場所とは思えなかった。 青果屋のラジオが天気予報とノイズを垂れ流す。 雲間から覗いた陽の、恐ろしいまでの眩しさに立ち止まった。 『洗濯物は室内に干しましょう、北部は大雪にも警戒が必要です。日本海側はやや平年よりも…』 バスの停留所が見えた。 何故昨日、此処に留まったのか。 脳裏に焼き付いた光景が蘇った。 薄暗いホテルの一室で、泣き縋る上司の。 あられもない痴態と、嬌声と。 寒風が目の前を過ぎる。 昨日と同じシャツの裾が靡いた。 『今夜からまた雨脚が強まる見込みです。明日は1日を通して雨でしょう。沿岸部では高波にも警戒が必要です』 間宮は再び駅に向かい歩き始めた。 ラジオが背後に遠退き、やがて車の音に掻き消えた。 (あの人、確か今日は休みだったか) 一寸も振り返らず。 徐々にホテルはビルに埋もれる。 恐らく今日会ったとして。 萱島は何事も無く、肩を叩いて挨拶をする。 気まずそうな空気こそ、隠し切れないとは言え。 彼は何ら間宮を責めない。 昨夜の一件に何ら言及しない。 捨て置いて、過去とする。 良くも悪くも。 (噛み痕でも付けてやれば良かった) どうしたら手に入るのだろうと考える傍ら、 我武者羅に全てを投げて飛び込むには、間宮の性格は複雑に過ぎた。 駅が近付く。 電車が走る音に面を上げた。 車両がちらちらと陽を遮る。 完全に過ぎ去った後、矢張り目を潰すような光に顔を背けた。 いっそ溝に捨てられるプライドならば。 こんな吐き気を催す様な、悲惨な朝焼けを見る事もなかった。 自嘲が込み上げて地面を向いた。 指先には未だ、彼の感触が残っている心地がした。 2015/09/04

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