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第6話

「僕の殺し方は知っているかい?」  古代種は銀弾だけでは死なない、――死ねない。  銀弾を打つかあるいは銀のナイフで貫き、仮死状態にしてから地面に杭で打ち付けて、日にさらす。灰が一片も残らなくなるまで焼き尽くし……、そこまでして、ようやく殺すことができる。  男はエドゥアルトが説明を終える前に、彼の肉体を刺し貫いた。吸血鬼を亡ぼす銀の刃ではなく彼の持つ肉の剣で。 「く…っ」  それは久方ぶりに感じる生身の熱と痛みだった。  みりみりと切り裂かれ、狭い場所を容赦なく押し入ってくる。  ゆっくり中の感触を味わうように、あるいは焦らすようにじりじりと侵入される。  痛みよりも、熱の方がエドゥアルトにはきつかった。 「なぜ…俺を捨てた、……エディ」  一旦腰を止め、男は低く声を絞り出す。  苦しそうに、かつて教えたエドゥアルトの愛称を呼ぶ。  気遣っているのか、あるいは長くいたぶるつもりなのか、エドゥアルトにはわからなかった。今、あえてその名を呼ぶ意味も。  ただ、早く終わって欲しいと、それだけを願った。  腹の中に熱が留まれば留まるほど、――なにかが狂いそうな気がした。   「……捨てたんじゃない。返したんだ。あるべき場所へ」  陽の当たる世界へ。  ひだまりの色が輝く場所へ。 「俺の名前も忘れたのか」  忘れるはずもない。  名付けたのは他ならぬ自分だ。 「シエル」  それは、空を表す言葉。  空色の瞳の子供。  いずれは陽光が煌めく空の下へ還る子供。  与えた名はエドゥアルトの願いでもあった。  夜の王が育てた子供が、太陽の下でも生きていけるように。  空の名を持つ養い子は一瞬だけ泣きそうに顔を歪め、力まかせに十字架の鎖を引き千切るとエドゥアルトの頬に食らいついた。  信仰の証が地に叩きつけられ、床の上を転がった。  シエルは育ての親である吸血鬼を組み敷き、月光にきらめくその長い金糸をかき混ぜ、腰を揺らす。  肉同士がぶつかりこすれ合う淫靡な音色が朽ちた教会の壁や高い天井に反響し、背徳の香りを漂わせる。  きしきしとベンチが甲高い軋みをあげる音を聞きながら、エドゥアルトはあえかな呼気を薄い唇から漏らした。  熱に、内臓も肌も瞳も脳髄も……なにもかもが犯される。  性の営みは、そのまま生の営みに等しい。  水底に沈んでいた生存本能を揺さぶり起こし、無理矢理に水面上まで引きずり上げる暴虐な力に翻弄される。  エドゥアルトの翡翠色の瞳が、深紅の輝きを放ち始める。  ――ひどく喉が渇いた。  ひりつく喉を潤す糧が欲しい。  欲しくて欲しくてたまらない。   唇をめくりあげるように牙が伸びる。  餓えは絶望的なまでに激しく、熱はエドゥアルトの理性を奪った。 「飲めよ」  それを待っていたかのように、シエルが男らしく筋張った首筋を傾けて彼の口元へ近づける。  まるで神へ捧げる供物のように。 「あんたが俺を生かそうとしたように、俺もあんたを生かしたいんだよ」  こくりと喉を鳴らし、エドゥアルトは若々しく生気に満ちた肌から無理矢理視線を剥がした。 「……僕はもう十分生きたよ」 「足りない。――だから、俺の血を飲め」 「僕は美食家だから美女の血しか飲みたくない」 「黙れ。贅沢言うな。銀弾ぶちこむぞ」 「……そんな口汚い脅しを吐く子に育てた覚えはないんだけどね…」  もう思春期という年でもないだろうに、困った子だと溜息をつく。  「エディ…」と己を呼ぶ声に懇願の色が混じる。  ……泣く子には敵わない。子供の頃も何かあると泣きべそをかいて縋りついてきた。  お化けが怖いと言って吸血鬼の(しとね)に潜り込んでくるのだから愚かしい。しかし、その愚かしさすら愛おしかった。 「僕を探すためにヴァンパイアハンターになったのかい?」 「……あんたがそれを望まないのはわかっていた。だけど、俺は諦めきれなかった」  どこで間違ってしまったのか、エドゥアルトにはわからなかった。  あるいは始めから間違っていたのかもしれない。 「子育ては育児書通りにはいかないね」  吸血鬼に人間の真似事などどだい無理な話だったのだ。 『エディー!』  夜の庭で駆け回っていた子供が、自分を呼ぶ。 「愚かなる人の子よ。我は夜を統べし原初の王、エドゥアルト。そなたに我の糧となる栄誉を与える」  エドゥアルトは厳かに宣告すると、養い子の首にその牙を突き立てた。  血の香りが辺りに満ち、望んで供物となった男は幸福そうに空色の目を閉じた。  そうして、夜の王は唯一無二の養い子を――その命果つるまで愛で、慈しんだ。 END

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