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第2話
夢――ではなかった。
「おはよう、翔太」
週明けの月曜日。期間限定の恋人として一日目を迎えたのはよかったが、朝から家まで迎えに来るなんていったい誰が予想したものか。笑顔で出迎えてくれた篠原に、眠たい目を擦りながら何度も瞬きをした。
「ど、どうして!?」
「どうしてって、朝のお迎え」
――恋人としては当然だよね。
さも当然とも言える物言いに、翔太は朝から顔を真っ赤に染めた。
この春に二年生へ進級した翔太は、始業式を終えた金曜日に「一週間だけ恋人になってほしい」と篠原に言われた挙句、予行練習と称して放課後デートをして家まで送り届けてくれた。土日を挟んだうえ、一度来ただけで翔太の家の道のりを覚えてしまっている篠原に、偽りとはいえ彼氏能力が高すぎて困ってしまう。
そんなことをされてしまうと、改めて夢ではないことを実感してしまう。
ただ、嬉しいはずなのに、心中複雑になってしまう気持ちには気づかないふりをした。
「それじゃあ、行こうか」
「は、はい!」
ここでも、まさか手を繋ぐことになるとは思わなかった。金曜日の放課後デートのように、人の気配があれば離すという約束は今日に限って無効なのか、人の気配がしても篠原は手を離すことをしなかった。
心音が高鳴る。
まさか、このまま登校するつもりなのだろうか。
「あ、あのっ、芥さん!」
「ん?」
「そ、その、手」
「んー……別にいいよね? 繋いだままでも」
「えっ、えっ」
学校付近までくれば、それなりに生徒数も増え、周囲の視線が翔太と篠原を注目してくる。
それも当たり前だ。
手を繋いだまま、学校の校門をくぐろうとしているのだ。
「あ、の、そろそろ手を……」
「俺、繋いだままでいたいんだけど……ダメ?」
「うっ……」
眉を八の字にし、首を傾げて子犬のように「ダメ?」と訊かれると、嫌でも「駄目です」なんて言えやしない。
むしろ、抱きしめて、甘やかせたくなってしまう。
そんなことを思いつつも、最終的には篠原に流されているような気がする。
そんな一面を知ったところで、篠原を好きな気持ちは変わりない。
(なんだか、駄々をこねてる子供みたいで可愛い)
気づかれないように、翔太は含み笑いをする。
周囲に見られていることで恥ずかしさと緊張はあったが、隣にいる篠原がそれを解きほぐすかのように話を振って笑わせてくれる。
あっという間に校門をくぐり、昇降口までやってきた。
二年生と三年生の靴箱は中央と、入り口を背にして右手にある。お互い上履きに履き替え、それぞれ教室のある棟へと向かうべく途中まで一緒に歩いた。
教室までの分かれ道がきたとき、篠原が口を開いた。
「今日のお昼、一緒に食べよう」
「え?」
「屋上に集合! じゃあね、翔太~」
言うことだけ言い、篠原は手を振って三年の教室へと向かった。
翔太は授業中ということも忘れ、金曜日のことを思い出していた。篠原から言われた「一週間だけ」という言葉が、頭から離れないでいる。
下校途中に訊きそびれてしまったが、どうして自分なのだろうか。どうして自分を選んでくれたのだろうか。他にもいるはずなのに、翔太と同じく篠原のことを密かに好きな生徒はいそうなはずなのに――そこだけがどうしても気になってしまう。
気になってしまうのであれば、すぐにでも訊けばよかったのにと思うものの、深く訊いては駄目なような気がして軽率に口から言葉が出てこなかった。
(……でも、どうしてだろう)
教師の言葉は右から左に抜けていく状態で、全く頭に入ってこない。黒板は次から次へと書かれていくのに対し、開いてあるノートは両面とも真っ白。
放心している状態でいると、遠くのほうで声が聞こえた。
「――……柳原!」
耳元にて大声で名前を呼ばれ、大きく身体をガタッと震わせた。眉間に皺を寄せながら笑っている教師に、翔太は「考え込みすぎた」と思いながら、気まずそうに「すみません」と謝った。授業を聞いていなかった罰として、黒板に書いてある問題を解けと前に出された。
しかし、黒板の前に立ったのはいいが、きちんと授業を聞いていなかったお陰で肝心の問題はわからずじまい。一生懸命、脳をフル回転させても回答が出てこないため、お手上げ状態だ。
すると、教師からは「ボーっとするんじゃない、全く」と、笑いながら教科書で軽く頭を叩かれた。それを見ていたクラス全員が、釣られるように笑った。
当の翔太は苦笑を漏らした。
自分の席に戻った翔太は、怒られたにも関わらず気づけばまた考え込みはじめた。
――残り六日間。
(……あ。土日はどうするんだろう。お昼に訊いてみよう)
この一週間を終えれば、約束通り恋人役は終わってしまう。
そのあと、篠原は好きな人に告白するのだろうか。
(それなら先に、告白……して、みようかな)
そうでもしないと、本当に恋人役のまま終わってしまう。
同性が好きだということはわかったが、玉砕覚悟で想いを告げてしまってもいいのではないだろうか。
そんなことを考えていると、お昼のチャイムが鳴った。
篠原の言われた通り、弁当を持って屋上へと向かえば、先に篠原の姿があった。屋上への道のりは、三年の教室がある棟のほうが近い。そう考えると、篠原が先に屋上にいてもおかしくないのだ。
「遅くなりました!」
フェンスに寄り掛かって座っている篠原に近づき、翔太は整わない息をしたまま謝った。
「そんな慌てなくて大丈夫なのに……俺のためにありがとう」
「い、いえ!」
ほんのり頬を染めながら、翔太は篠原の隣に腰を下ろした。
包みを広げ、弁当箱を取り出す。篠原を見れば、購買で購入したのであろう、パンとパックの牛乳を袋から取り出した。
それを見た翔太は篠原へ尋ねた。
「芥さんは、毎日購買ですか?」
「え? あ、うん。本当は弁当のほうがいいんだろうけど、自分で作るのも面倒でさ」
「そうなんですか……って、えっと、その、芥さんのご両親は……」
「いないんだ。……亡くなったんだ、小さい頃」
困ったように笑みを浮かべる篠原に、翔太は先程の言葉は失言だと、申し訳ない気持ちになってしまった。苦しいことを思い出させてしまってどうすると、翔太は自分自身を責めた。
「……ごめんなさい」
「翔太はなにも悪くないさ。それに、弁当を作るのが面倒なのは本当。ひとり暮らしだから余計にね」
「ひとり暮らしなら、尚更大変じゃないですか!」
まだ成長過程にいる中、ひとり暮らしとなれば学業に生活のことなど――ひとりで全てをこなさなければいけない。まだ子供である自分たちには、これからも成長していくために食事も大切なことだ。
いてもたってもいられなかった翔太は、篠原にある提案を申し出た。
「あ、あの! 芥さんのお弁当、作らせてください! ……って言っても、作るのは母なんですけど……」
もし迷惑じゃなければ、とひと言つけた。
すると篠原は、「ありがとう」と優しい笑みを浮かべて「せっかくだし、翔太の言葉に甘えようかな」と言ってくれた。
(芥さんのために、なにかできることが嬉しい……)
自然と笑みが零れる。
「ねえ、翔太」
「はい」
「お礼になにかしたいんだけど……なにがいいかな?」
「い、いえ! そんなお礼だなんて……!」
正直、お礼までしてくれるようなことをした覚えはない。
弁当のことだって、ただ少しでも生活の手助けができるのであればいいなと思い、翔太から言い出したことなのだ。
だから、見返りなんて考えてもいなかった。
「翔太のことだから、そう言うと思ったよ。それならさ、俺がしたいお礼、思い浮かんだら受け取ってほしいな」
「うう……わかりました」
そうでもしないと、篠原は気が済まないのだろう。翔太のほうから折れることで、満足した表情を浮かべる篠原を見て、心の中で「この人には勝てないな」と思った。
「食べよっか」
「はいっ」
他愛のない会話を交わしながら、二人で昼休みを過ごす。終わり際にはなってしまったが、翔太は授業中に考えていたことを篠原に訊いてみた。
「あの、この恋人期間のことなんですけど」
「なにか問題でもあった?」
「あっ、問題というか質問なんですが……週末の土日はどうするのかなって思ったんです」
「んー……あのさ、翔太さえよければなんだけど、土日も翔太の時間を俺にくれたら嬉しいな」
「は、はい! もちろんです!」
一週間だけ、と言うのが少しばかり切なく感じたが、そんな篠原から「土日も翔太の時間がほしい」と言われれば、嬉しくて二つ返事で了承していた。
ただ、本当に土日を過ごせば、この昼休みも、付き合い自体も終わってしまうんだなと考えてしまった。
もちろん、篠原との繋がりさえもなくなってしまう。
そう思うと、ツキン、と胸が痛んだ。
「それと、訊いていいのか迷ったんですが……」
「どんなこと? ごめんね、気づいてあげられなくて」
「あ、いえ……ただ、気になっていたことなので……」
「話してみてよ」
篠原に促され、翔太は話した。
「どうして芥さんは、恋人に僕を選んでくれたんですか?」
「それは……」
「芥さんなら、恋人になってくれる人はたくさんいるはずなのに、どうして僕なのかなって……」
思っていたことを吐露し、篠原にダメ元でぶつけてみた。
どんな答えが返ってくるかはわからない。それでも、どうして翔太を選んでくれたのか、それが知りたかった。
しかし、篠原は口を閉ざしたまま、しばらく沈黙した。
(どうしよう。僕が余計なことを訊いたから……)
不安が募る中、翔太も黙ってしまう。
「――……あの、さ……」
二人の間に緊張が走り、このタイミングで尋ねたことはまずかっただろうかと、謝って取り消そうとしたが、沈黙していた篠原が口を開いた。
その行動に、翔太は肩を軽く震わせた。
「その返事、最終日でもいいかな? きちんと話すから。どうして翔太を恋人に選んだのか……きちんと話すから。だから、今はなにも考えずに、俺との恋人生活を楽しんでほしいんだ」
「芥さん……。わかりました!」
「ごめんな。今、話ができなくて」
申し訳なさそうに言う篠原に、そんなことないです、と心を切なくさせながら伝えた。今は選んだ理由を話すことができないが、あとからきちんと説明すると約束してくれた篠原に、これ以上なにも訊くことはできなかった。
微妙な空気が漂う。
こんなことになってしまうのであれば訊かないほうがよかったと後悔したまま、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴るまで二人は気まずく過ごした。
お昼のあとの授業は、どうしてこんなにも頭に入らないのだろうかと思いながら、翔太はそのまま放課後を迎えた。お昼のこともあり、このあと一緒に帰るのは気まずいなと思っていた矢先、翔太の教室に篠原が迎えに来てくれた。
教室にまで来てくれた篠原は、翔太の姿を見れば嬉しそうな表情をして手を振ってきた。昼休みのことを、なにもなかったかのような篠原の態度に少なからず安堵したのち、いつまでも引きずっては駄目だなと翔太は割り切るようにした。急いで鞄の中に教科書などの荷物を入れて、教室の入り口で待っている篠原の元へ駆け寄る。
「芥さん……!」
「迎えにきたんだけど、翔太って部活入ってた? そういえば聞いてなかったなと思ってね」
「いえ、入ってませんよ」
「なら、一緒に帰ろう」
「はい!」
クラスメイトに「またあした」と言って、教室をあとにする。昇降口までの道のりを、他愛のない会話をしながら歩いていく。
校内で人気のある篠原。一緒にいることで、周囲から陰口を言われたり、わざと口笛を吹いて冷やかす人がいたりと、その瞬間だけは不安で胸が締め付けられた。
篠原と一緒に過ごすのは楽しくて嬉しいけれども、学校にいるときだけは、周囲の視線が突き刺さるのが地味に居心地悪い。
そんなことを感じながら、昇降口へと辿り着いた。
予行練習と称した放課後デートをしたときと同じで、篠原に家まで送ってもらった翔太。「またあした」と約束をすれば、篠原は翔太に向けて微笑み、そのまま翔太の頭を撫でてきた。
撫でる手が気持ちいいなと感じながらも、恥ずかしくなってきて視線を彷徨わせていると、一瞬にして頬に柔らかいものが当たった。
「……っ!」
「はは。可愛い、翔太」
「っ、……っ!?」
篠原の名前すら呼べず、開いた口が塞がらない。
頬にキスをされたのは、これがはじめてではない。二度目だ。
翔太は触れられた頬に手を当てた。
「また、明日も迎えに来るから」
それだけ言って、篠原は翔太に背中を向けて歩いていった。
告白されたときと同じで、背中が見えなくなるまで翔太は見送り、見えなくなってもしばらくはその場から動くことができなかった。
(……反則だよ)
二度もやられてしまった篠原の行動に、心臓が破裂するくらい胸が高鳴っている。
まだ二日――正確には今日からカウントして一日目。
すでに心臓は壊れかけ寸前だ。一緒にいることで、ますます高鳴る鼓動。篠原の言動に翻弄されていく。
翔太は、胸の辺りの制服をぎゅっと握った。
その晩、高鳴る鼓動は落ち着いてくれず、翔太は眠れない夜を過ごすことになってしまった。
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