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第3話

 一週間だけ恋人になってほしい、と言われて今日で二日目。  告白されたのは先週の金曜日。  予行練習と称した放課後デート。  そして、本格的に期間限定の恋人として初日を迎えた昨日。  金曜日と月曜日に渡り、帰りぎわに頬へキスをされ、すでに翔太の心臓は爆発寸前だった。  このままだと心臓は壊れてしまう。心臓がいくつあっても足りず、一週間分の心臓はいったいどうすればいいのだろうかと困惑させた。  期間限定の恋人になって火曜、二日目の朝。  今日も篠原は、朝から家まで迎えに来てくれた。 「おはようございます。芥さん!」 「おはよう、翔太」  朝の挨拶をして、もはや恒例となっている手を繋いでの登校。  手から心音が伝わってしまうのではないだろうかというくらいには、翔太の心臓はどきどきしていた。  汗ばみそうな手を気にしつつ、篠原が喋る声に耳を傾ける。 「まだ訊いたことなかったけど、翔太の好きな人はノーマル?」 「え?」 「朝からこんな話をするのもどうかと思ったんだけど、なんとなく気になってさ」  篠原は子犬のような困った笑みで翔太を見てくる。  そんな表情をされてしまえば、篠原を好きである翔太はそんな表情でも心がときめいてしまった。 (芥さんのどんな表情でも弱い僕って……)  照れくさくなりながらも、翔太は篠原が質問してきた内容にどぎまぎしながら答えた。 「どうでしょう……普通に女子が好きなんじゃないかなって思います。男子校とはいえ、同性を好きになってくれる人だったら、それはそれで運命だとは思うんですけど……」  思わず嘘をついてしまった。  翔太の好きな人は、一週間だけ恋人としてつきあっている篠原なのだ。どう考えても、翔太と同じで同性が好きなはずなのに、あたかも知らないふりをして答えてしまう。  できれば、このまま想いを伝えたい衝動に駆られた。  だが、期間限定として約束している今、想いを伝えるのは反則のような気がしてならない。告白するのであれば、それは最終日に当たって砕けるしかないと思っている。 「翔太の好きな人は、ゲイであってほしい?」 「ゲイ……でもいいですけど、僕は僕を好きになってくれる人であれば充分です。ノーマルであろうと、ゲイであろうと」 「……そっか」 「芥さんはどうですか? 芥さんの好きな人、僕と同学年なんですよね?」 「そうだね。……俺も、翔太と同じ、かな。ノーマルであろうと、ゲイであろうと、俺ひとりをきちんと見てくれる人が嬉しい」  想い人を浮かべているのか、篠原の声はとても優しい。 「好きな人だからこそ、見てほしい気持ちは大いにある。好きになってほしいなって常に思ってるよ」 「……そう、ですね」 「だけど、俺は自分の幸せよりも、相手の幸せを願ってしまう」 「え?」 「同性の俺に告白されて一緒にいるより、その人が好きだなと思える人と一緒になってほしいなって考えちゃうな」  ――自分が好きだと思っている人には、幸せになってほしいからね。  翔太は、どう言葉をかければいいのかわからなかった。 「でも、本当は心のどこかで、自分を好きになってほしいって思いますよね?」 「はは……翔太には敵わないや」  困った笑みを作る篠原に、翔太は尋ねた。 「もしかして、僕につきあってほしいと言ってきたのは、好きな人と両想いになったとき失敗しないように……ですか?」  どうして翔太を選んだのか、きちんとした理由は最終日に教えてあげると約束された。だが、好きな人にいいところを見せたくて、失敗したくなくて、翔太を練習代わりにして「恋人になってほしい」と言ってきたのであれば、酷なことだなと胸が痛んだ。  そんな翔太の質問に、篠原は目を見開いた。  その反応に、図星なんだなと思い、慌てて言葉を口にした。 「そ、そうですよね! 好きな人とデートするなんて、最初が肝心ですもんね!」 「あ、いや、それは……」 「芥さん、そんな困った顔をしないでください。僕、芥さんのためなら、たくさん協力しますから」  大好きな篠原だからこそ、協力してあげたい。  本当は好きになってほしい、両想いになりたいという欲はあるもの、篠原の恋を応援してしまう自分自身がなんとも切ない。 「あっ、芥さん! 早く行かないと遅刻になります!」  ゆっくり歩きながら話をしすぎたと思いながら、翔太は篠原を急かした。手を繋いでいない反対の手首につけている腕時計を確認すれば、「やばい」と篠原は言って翔太の手を引っ張って走り出した。  走っている間、心の中は篠原のことでいっぱいだった。  学校にはどうにかギリギリセーフで登校できた。  授業を受け、休み時間になれば翔太は教室の中から廊下を見つめていた。  棟は違うが、学校の構造がカタカナの「コ」の字型になっているため、反対の棟の様子が見えるのだ。見えるといっても、それなりに距離はあるが、翔太の視力は2・0ある。  その棟には、三年生しかいない棟。その廊下を眺めていると、次の授業は移動教室なのか、移動している生徒の中に篠原の存在に気づいた。ミルクティ色の髪をしているので、翔太の目にはすぐ見つけることができた。自分の存在に気づいてくれるだろうかと思ったが、隣にいるクラスメイトと喋っているようで気づいてくれなかった。 「気づくわけないよね」  こちらに気づいてくれない寂しさで落胆していると、突然、篠原がこちらを向いた。あまりにも突然のことすぎて、心臓がどっ、どっ、と高鳴ったが、どことなく篠原と視線が合わないことに更なる不安を感じた。 (もしかして――)  こちらを見ているはずなのに視線が合わない。  そうとなれば、翔太ではなく、翔太と同じクラスあるいは違うクラスに篠原の想い人がいるのかもしれない。  それなら、視線が合わないことに合点がいく。 (悲しいな……)  わかっていたことだ。  最初から篠原の中に、翔太はいない。  翔太はもともと篠原のことが好きで、当の本人は翔太ではない誰かを好きでいる。  改めて思うと、とても複雑だ。  なんだか次の授業を受ける気にもなれず、翔太は授業開始時刻のチャイムが鳴るギリギリのところで教室を出た。  向かう場所は、最初に篠原とはじめてお昼を一緒に過ごした屋上。出入口のドアがある反対裏へ移動して、コンクリートの床に寝転がった。  そのまま静かに目を閉じる。  考えることは、篠原のことだ。  二日目にして、練習台としてつきあっている篠原に、少なからずショックを受けた翔太。翔太のことを想い人と重ねて行動していたのであれば、尚更ショックだ。  仕方がないことはわかっている。  それをわかっていたうえで、篠原の告白を引き受けたのは翔太自身だ。 「……かい、さん……」  小さく、風に乗せて篠原の名前を口にする。  名前を呼べば、少しだけ安心してしまう自分が嫌になる。  好きになってほしい、とは思っていない。  それは、篠原にも好きな人がいるのだから無理はできない。  それなら、今は隣にいるだけでも充分に嬉しい。  胸中複雑な気持ちでいっぱいだが、それでも期間限定で傍にいられるのであれば縋りたい。遠くから見つめているだけでよかったのに、傍にいればいる分、一緒に過ごせば過ごす分、「好き」という気持ちが溢れていくばかり。 (――……いつの間に、こんなにも好きになっていたのかな)  小さく息をはく。  翔太はそのまま昼を過ごし、午後の授業もさぼった。さぼることなんて自分でも驚くほどはじめてで、なんと放課後まで屋上で過ごしたのだ。  正確には、寝てしまったのもある。  目が覚めたとき、はじめて昼の約束を破ってしまったことに慌てた。だが、冷静になって考えると、特に口約束をしていなかったが、昨日弁当を作ってくると言ったのだ。なので、少なからずお昼は一緒にするだろうと考えるのが妥当だろう。  しかし、翔太は放課後までずっと屋上で過ごしてしまった。 「ど、どうしよう……」  もしかしたら、お昼に教室まで訪ねに来てくれたかもしれない。  ここまで探しに来てくれたのかもしれない。 「……」  もう放課後となってしまっては、さすがの篠原も諦めて帰ったかもしれない。それとも、教室に置いてある荷物や、下駄箱に靴が残っているのを確認して昇降口で待っていてくれているかもしれないが、もう帰ってしまっただろうか。  どちらにせよ、篠原に会って謝らなくてはいけない。  そう思うと、翔太は慌てて屋上をあとにした。  まずは自分の教室まで走り、荷物を持って昇降口へと駆け足で向かう。  案の定、篠原の姿はなかった。  三年生の下駄箱まで行き、篠原の名前を見つけて扉を開けたが、そこには上履きしかなかった。  やはり、先に帰ってしまったのだろう。まだその辺にいないか、翔太は校内を探してみた。心の中では、約束を守れない翔太のことに呆れて先に帰ってしまったのではないだろうかと思うばかり。  それに、校内を探そうにも範囲が広すぎる。  とりあえず、いそうだなという場所を探そうと中庭に差し掛かったとき、耳に馴染のある声が聞こえてきた。近づくにつれて、次第にはっきりと聞こえてくる声。誰かと電話でもしているのだろうかと思い、静かに中庭へ踏み込んだ矢先――。 「……あっ」  あまり見たくなかった光景。  篠原と、ネクタイの色からして翔太と同学年の生徒がベンチに腰かけて談笑していた。  ちく、ちく、と心に痛みが突き刺さる。 (……痛い、なぁ)  思うことはたくさんある。  なにを話しているのだろうか、なんでそんなに距離が近いのだろうか、どうしてそんなに楽しそうな表情をしているのか――思うこと、訊きたいことがたくさんある。  そして、どことなく二人の雰囲気もいい感じに見える。 (もしかして……)  まさかとは思いたくない。  まだ一週間も経っていない。経ってもいないのに、仮に篠原が告白をしてうまくいけば、もう翔太は必要ないのだ。この期間限定の理由を最終日に教えてくれるはずだったのに、それすら聞くこともできず終わってしまうのか。  とても楽しく、嬉しそうにしている篠原の顔を見れば、紛れもなく目の前にいる人が篠原の想い人なのかもしれないと胸がざわつく。 (痛いな。……痛いよ、芥さん)  胸元の前でぎゅっと拳を作る。 「芥さん……」  無意識に篠原の名前を呼ぶ。  呼んでも、翔太の声は篠原の耳には届かない。  痛む胸を押さえて、翔太は踵を返す。篠原に声をかけることもなく、翔太はそのまま家に帰宅した。帰宅途中も、帰宅してからも、篠原のことを考えると胸が苦しくて、心が押し潰されるようでとても痛かった。  放課後の、篠原の光景が頭から離れない。  気づけば、翔太の頬は涙で濡れていた。 「ふっ……うっ……」  思えば思うほど、胸が苦しい。  一週間だけ恋人になってほしい、と言われて二日目。  二日目にして、最悪な日になってしまった。  もしかしたら、明日の朝は篠原の姿を見ることはないかもしれない。家へ迎えにきて、「おはよう、翔太」と言ってくれないかもしれない。手も繋げない。  それとも、迎えには来てくれるかもしれないが、昼休み、放課後に「もう必要ないから」と、別れを突きつけられるかもしれない。  色々と後ろ向きなことを考えてしまう。  このまま明日を迎えなければいいのに――嘘でも、告白された日に戻りたい。  この日、翔太は夕飯も食べず、カーテンを閉める気力すらなく、月の光が差し込む暗い部屋の中で静かに涙を流した。

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