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第97話
週明けの午後、白い綿シャツに紺のパンツを組み合わせ、ブルーのデイパックを背負った桂が店にやって来た。
その顔は、無理に笑っているようで、上がった口角がピクピクと引きつっている。
相変わらずファッションには無頓着で、シャツとパンツだけのシンプルすぎる格好は、28歳という年齢より若く見えていた。
「行くの?」
「うん、そろそろな・・・。」
ちょっとはにかんで下を向くが、ずれた眼鏡に指を当てると、目だけを俺に向ける。
「あ、そうだ・・・。コレ、俺からの餞別。」
そう言って、桂の胸に長方形の箱を差し出す。
「・・・なんだろう、・・・開けていい?」
「うん、ここで着けていけよ。」
桂は箱を手に取ると、包装紙を丁寧に取り外して箱の蓋を開けた。
「あ・・・・・」
少し目を丸くしながらも、口元は綻んでゆっくり取り出すと、それを持ち上げる。
「腕時計・・・・これ、欲しかったやつだ。・・・有難う。」
早速シャツの袖を捲ると、自分の腕につけ始める。
メカニカルな洗練された文字盤に、ヌードカラーのレザーがスタイリッシュな雰囲気を出していて、作業用の服装にも合いそうだった。
前に店に来たとき、桂が何度も覗き込んで見ていたので、俺は今日の日にプレゼントしようと思っていたんだ。
「いいね、やっぱり似合うよ。」と俺が言えば、「まあな、着ける人がイケメンだからな。」と桂が笑う。
「バーカ、腕に着けるのに顔は関係ないって!・・・・まあ、イケてるけどな。」
「・・・・うん、サンキュッ。」
そう言って、腕時計を指でなぞりながら微笑んだ。
その顔がとても嬉しそうで、俺も同じように嬉しくなる。
「じゃあ、行ってくるよ。落ち着いたら呼ぶから、遊びに来い。」
「うん、買い付けもあるし、桂のとこにも寄るよ。まあ、2カ月は先になるだろうけどな。」
「うん、・・・じゃあな。バイ。」
「・・・バイ。」
店の入り口に向かうと、桂は片手をあげて俺の方を振り返った。
俺も軽く手を上げると、ゆっくりドアが閉まるのを見ていた。
今まで、何度もこうやって海外へと出かけて行った桂。
いつもは2~3週間すれば戻ってきたが、今回は違う。2~3年か・・・。
いつもは見送らないのに、何故かその日はドアを開けて桂の歩く姿を追った。
背負ったブルーのデイパックが見えて、頭の部分は強い日差しにかすんで見えない。
「かつらーっ!!」
俺が叫ぶと、振り返ったようで、身体はこちらを向いたけど、やっぱり日差しで顔が見えないまま。
「元気でなーッ!!俺が行くまで遊ぶんじゃねぇぞーッ!」
通り過ぎる人たちが、俺の顔を見て笑うが、そんなのは気にならない程、俺はおもいっきり手を振った。
「分かったーッ。待ってる!」
そういうと、桂も俺に手を振り返してくれた。
光の反射で表情は見えないけど、きっと笑っていたと思う。
ブルーのデイパックが見えなくなると、俺はまた店に戻って行く。
その時はまだ実感が湧かなくて、またすぐに戻ってくるような気がしていた俺だった。
「あの、すいません・・・。コレの色違いありますか?」
カウンターの向こうで、学生風の男の子がTシャツを広げて聞いてきた。
「はい、お待ちくださいね。」
俺はカウンターから出ると、ストックの棚を覗く。ほとんどが一点モノで、色が切れたらそれでおしまい。量販店の様に同じものを入れる事はないから、たいていが「ごめんなさい。」となる。
でも、その日は同じデザインのTシャツが3枚もあって、すべて色違い。
「おッ、珍しい。3色もあるよ。・・・・どれが好みかな?」
俺が両手にTシャツを広げて見せると、その男の子はじっくり吟味するように選んだ。
「じゃあ、こっちのブルー系で。」
「オッケー、この色きっと似合うよ。・・・・キミ、可愛い顔してんね!」
言いながら、Tシャツをカウンターに持って行く。
ちょっと華奢な感じのその子は、昔の俺の様で。
高校生かな?!
桂との高校生時代が頭をよぎる。
桂と同じようなフワフワの髪をした子は、俺と目が合うとクスッと笑った。
「・・・なに?」首を傾げて聞くと、「可愛いって・・・・、ナンパですか?」
そう言われ、自分で言った言葉があまりにも可笑しくて、自分で笑ってしまった。
「はは、ホントだ。ナンパみたいだよね?!・・・違うから、違うからね!」
焦りながらも商品を袋に詰めて渡す。
「5200円になります。」
「・・・じゃあ、これで。」
革のウォレットから1万円を取り出すと、俺に手渡す。
「4800円のお釣りでーす。有難う。」
俺はレシートとお釣りを彼の手の平に置いた。
特に意味はなかったが、ニッコリと愛想笑いをすると、その子を見送る。
なんとなく、桂の去ったこの場所を誰かに埋めてもらいたくて、彼がもう少しいてくれたらよかったのに、と思った。
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