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第162話

 - どんなに、どんなに、どんなに手を伸ばしたって、桂の元へ届く事はない。 言葉にも言い表せない感情を誰かに分かってもらえるはずもなく・・・。 朝の目覚めはスッキリしなかった。 桂の家で暮らしていた時は、まだアイツの息遣いが聞こえる気がして、こんなに怯える事はなかったのに。 アイツの分までしっかり生きてやるって決めたのに............ 何かを達成する度に、喪失感に苛まれるようになってしまった俺。 「ふぅ、」とため息をひとつ。 起き上がってベッドから立ち上がる。テーブル代わりの真黒なコンテナボックスに積まれた雑誌を隅に寄せると、一人掛けのソファーに腰を降ろしそこに足を投げ出した。 ずっと新店舗の開店準備で忙しくて、この部屋も掃除が行き届いていない。電子レンジの上のホコリが気になるのに、それを拭う気にもなれないでいた。 自分で言うのもなんだけど、俺は結構綺麗好きの方で、濡れた髪を乾かすのは面倒だが、部屋の片づけは面倒くさがらずにしていた。おーはらが居た頃も、料理はおーはらが作ってくれたが、掃除や庭の手入れは俺がしていたんだ。 - あ~ぁ、生きていくって・・・・面倒だな・・・・・。 そんな事を思いながら、時計を見たらもう昼だ。 今日は、雑貨店の定休日。花カフェは営業しているから、後で顔を出そうとは思う。 その前に、無造作に伸びたこの髪をなんとかしなければ.....。 最初は肩に掛かるほどの長さだったのに、束ねていたら凄く楽で、気が付けば鎖骨の辺りまで伸びた俺の髪。 天野さんが、長い方が俺らしいとかいうから、そのままになってしまった。 それでも、流石にこれだけボサボサになると、アブナイお兄さん・・・いや、オジサンに見えて。 いっそ短くしてしまおうかと思って、天野さんの美容室を訪ねる。 「この店もだいぶ年季が立ってますよねぇ。改装とかしないんですか?」 順番が来るのをソファで待つ俺は、お客さんの仕上げをする後ろ姿の天野さんに向かって聞いた。 「そうなんだよなぁ、もう10年はこのスタイルだもんな。椅子やテーブルは変えたんだけどね。」 「いやぁ・・・俺が高校生の頃から、あんまり変わってないですよ?」 『え?・・・そんなに昔からお二人は知り合いなんですか?』 俺たちの会話を耳にした新人の娘が、二人の顔を交互に見て驚いた。 「もう13年ぐらい?!・・・お互い老けたよなぁ・・・」 天野さんに俺の方をチラチラ見て言われ、ちょっとヤな感じ。 「言っておきますけど、俺は天野さんより8つ下なんで。一緒にしないで下さいよね、まだ30歳です。」 そう言ってムスッとするが、新人の娘は笑っているだけだった。 手が空いて俺のカットに入ってくれた天野さんが、鏡の中の俺に向かうと、「最近ジュンくんに会った?」と聞いてくる。 「いえ、会っていませんよ。卒業して別の店でインターンをやっているんでしょ?ママの所に居るんじゃないんですか?」 俺が知っているのは、美容学校を卒業したおーはらが、天野さんの店の支店でインターンをしているという事だけ。住まいは相変わらずはじめママのマンションだと思っていた。 「ジュンくん、はじめちゃんの所追い出されたんだよ。つい先日の事なんだけどさ。」 渋い顔をして言ったが、俺はママにも会えていないから知らなかった。 「そう、ですか・・・。でも、店は辞めてないでしょ?」 「うん、仕事は真面目だよ。腕もいいし、シャンプーの指名も多くてね。」 「・・・・なんかしたんですかね?アイツ。」 俺は、心の何処かで引っかかっていたアイツの事が気になってしまう。 気にしないつもりが、目を背ければ背ける程変な線が繋がって、まるでアンテナを張り巡らせてるような感じで。 「はじめちゃんが旅行でいない間に、部屋に’男’を連れ込んだって話だよ。はじめちゃんって、そういうのうるさいからさぁ。」 「・・・・そうなんですか?!」 途端に小声で話し始める俺と天野さんだったが、店の娘たちは俺がゲイだって知っているだろうし、天野さんの事も多分分かっているんだと思う。特に聞き耳立てる事もないが、一応客の手前は小声になってしまった。 「アイツだって若いんだし、親の居ぬ間に、ってヤツでしょ?!そんな事で追い出しちゃうんですか?」 「まあ、それだけかどうかは分からないんだけどな、ジュンくんはそう言ってオレに泣きついてきたからさ・・・。」 「・・・・って事は、おーはらは今、天野さんのトコに居るって事ですか?」 「一応な。だってどこにも行くアテが無いっていうからさ。千早くんの所はとっくの昔に出てきちゃってるだろ?今更置いてほしいなんて言えないだろうし・・・。」 髪をすくいながらハサミを入れていく天野さんは、諦めの表情で俺を見る。 - 全く.....アイツはいつまで経っても......... おーはらは、俺やはじめママや天野さんを手玉に取っているようなところがあって、ちょっとムカつく。 みんな、おーはらの事を放っておきたいのに、何処かで手助けをしてしまう。 その内のひとりが、俺でもあるんだけど...............

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