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episode.2-1 「零区の番人」

この世界の現状。 栄華のターミナル・シティーから数キロ、高速を下って湾岸部に出ると、殊更海に突き出た埋立地がある。 名を零区と言う。 元々すべて帝明製薬の研究施設だったが、凡そ1年半前、大部分を居住区に再建設して開放。 新築マンションの立ち並ぶ孤島が完成した。 経営難から不動産や賃貸に手を出したのか。さまざま噂はあるが、このベッドタウンへ真っ先に入札したのは暴力団だった。 なんせ元々がまるっと私有地だ。 警察も居ない、法律も利かない。 あるのは縮小した不穏な研究所と、便の悪さのみ。 金とコネに物を言わせて…否、そもそも何故か先に彼らへコトが回されたらしく、しかも賃貸料は格安。 我先にと事務所を移転し、後はチャカを振ろうがハッパを吸おうがお咎めも無い。 此処にアウトローのエデンが誕生した。 然れど勿論、面倒もあった。 (――相変わらず物々しい玄関だこと) 本土から長い橋を跨ぎ、萱島は今日も零区へ車を走らせていた。 やがてフェンスと関門の敷かれた出入り口がお目見えした。 特に規制がある訳でも無いが、この門は万人が「入国ゲート」と呼んでいる。 中に入るのはヤクザが、関係者か、ソシオパスの類いのどれかだ。 「買いもんだけがなあ…本当、逐一車なんて一体何処の田舎でしょう」 最近独り言が増えてきた。 人は溝だの、沼の底だの、萱島の眼の色を散々に例えるが。 致し方無い。こんな所に住んでいれば、純色なんて忘れてしまうのである。 「…乾電池一つ隣町かよ」 楽園には無い、チェーン店の袋を睨む。 先につらつら述べた事情のお陰で、零区に汗水垂らして頑張る真っ当な労働者は居ない。 大方同業のフロント企業だ。 首位の指定暴力団、その次点、またその傘下が雪崩れ込み。埋立地は東西に割れ、互いを食わんと睨み合っている。 自分の店ですべて賄えれば良いが。 他所で買えば競争相手に金が入り、果ては敵に塩を送る阿呆になる。 「まったく、唆されてホイホイ来るからだ…看板はロクな金にならねえし」 陰気な暴力主義ばかりだし、でかい手術はするし。 おまけに本業の邪魔ときた。 萱島にとっては腹立たしく、流刑先の墓場だった。 「おっ」 信号を越えた辺りで携帯が鳴った。 喧しいヴァイブレーションを摘み上げる。ディスプレイで催促する名前に、萱島の機嫌は急上昇した。 (…おはよう鴨ちゃん) 唇を舐め取り、爽やかな第一声を捻り出す。 「どうも専務。貴方の萱島です」 「ああ…萱島君、いきなりで悪いが時間取れるか」 「勿論です、何処でも参りますよ」 美味しい美味しい外の食材がやって来た。 通話を終えた携帯に合掌し、口笛を吹いてアクセルを踏み込んだ。 萱島の仕事は主に3つ。 闇金営業、スナッフビデオ、最後にコンサルタント…と嘯いた不動産の転売である。 コンサルタントは臨時収入のおまけだ。 ただし額はでかい。乗っかるだけで双方から取れる点も太い。 客はカタギだった。苦労して手を繋いだ、娑婆の優良顧客だ。 「済まなかったね、急な相談があるんだ」 ホテルのロビーでは、綺麗に折り目の入ったスーツが出迎えた。合わせて背筋を伸ばした萱島が笑みを携える。 「とんでもない。俺を頼って下さって有難う御座います」 「…君くらいにしか言えんよこんな話は」 「何があったんです」 守秘義務の敷かれたゲストルームに通され、相手を待って腰掛けた。 後ろめたい話は大好物だった。 「愛人が出来た」 「ほう」 「金を回したいが、家内にバレると不味い」 そりゃそうだ。机上の菓子を勝手に頂戴しつつ、真顔で相槌を打った。 「通帳は家内が持ってる、悟られず金を抜く方法を聞きたい」 「ああ…裏金の捻出方法ですね」 「得意だろう」 声を潜める顧客に菓子を放った。 上ろうが下ろうが、何処に行こうが男は男だ。 「そうですね、取り敢えず奥様に別の通帳を渡すか、給与の振込先を変えましょう」 「それでどうする」 「元金はご自身で管理して、抜いた額を奥様用の口座に振り込んで下さい。明細はその手の専門に委託なされば良い。紹介しますよ」 「ふむ…」

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