13 / 111

episode.2-2

軽妙な口調に、客が待ったを掛けた。 唇を撫でていた手を左右へ広げてみせる。 「しかしいきなり額が減ったんじゃ、流石に疑るだろう」 「額は減らしませんよ、収入を増やせば宜しい」 「…副業でも手を出せと?」 「ええ」 眉唾な話に専務の目つきが悪くなる。 それにしてもこのチョコレート、余計な物を突っ込み過ぎだ。 これだから高い菓子は。 「そんな毎月都合良く儲かる話は無いだろう」 「簡単ですよ、物件買って貸し出しゃ良いんです」 「大家か?そりゃあ君…客が入れば固定にはなるが…」 「減価償却です専務」 そろそろ煙を吸っても結構だろうか。 確か喫煙者だった、ならば問題ないか。ぽかんとする男を尻目に、萱島は上着からダビドフを取り出した。 「ご存知の通り、不動産業はモノの購入費を経費に計上できる。算式は定額法やら定率法やらありますが…例えば家賃収入で50万上がったとしても、減価償却(物件購入)費が按分で月70万なら、帳面上は20万の赤字が出る訳です」 「ああ…物件は一括で購入しても、耐用年数で割って計上出来るんだったな」 「左様です。貴方様は会社員ですから、帳面に赤字が出れば所得税は安くなる」 「…成る程」 家賃収入と税金還付。悪く無いと踏んだのか、客が長考に入った。 甘い甘い。 チョコレートよりよっぽど甘い。 煙を明後日の方角に吹き付けた。 「専務ほどの方なら、銀行が無利子で購入費も賄ってくれますよ。物件も手元に残るし、何れは強力な相続税対策にもなる。良いこと尽くめですね」 さて釣り針までもう少し。 此処で僅かに引いて、懸念を投げる。 「…まあ、物件入手までが大変ですが」 それなりに信用は得ている。且つ、この話は面に出れば不味いのだ。 客が萱島に縋るのに、時間は掛からなかった。 「何から何まで悪いが、君のツテで世話して貰えないか」 「そうですね、先日なら掘り出し物があったんですが…既に買い手が付いてまして」 「買い手と交渉は出来ないか?」 気付かれない程度に片眉を上げた。 此処まで喰い付けば小技は不要だった。綻びそうな口元を懸命に押さえ、萱島は出し抜けに席を立った。 「分かりました」 態と仰々しく携帯を出す。 断って離れると、兼ねてよりキープしていた別の客へ電話を繋いだ。 『――本当ですか萱島さん!いやあ有り難い…何やら街宣車が五月蝿くて、中々買い手が付きませんで…』 そりゃ俺の部下だよ。 呑気な依頼主に毒気を抜かれ、眉間を掻いた。 カタギは騙さないと豪語しつつ、萱島の言う“真っ当なビジネス”は限りなくグレーだ。 否、暴力団に寄生してる時点で真っ白とは言い難い。どいつもこいつも。 「とは言え物を見てもらわない事には。先ず資料を送って下さい」 『ええ、ええ直ぐに…しかし、街宣車の件は』 「ウチで退かせますんで大丈夫ですよ」 『へへえ…そんな何から何まで』 頭の中がお花畑だ。流石に罪悪感が湧くも、貰える物は貰わねばなるまい。 通話を切り、もう一人の客へ勝利の笑みを向ける。 「専務、一先ず押さえましたので」 「おおそうか、すまない無理を言ったな」 「今日には資料を送って頂けるそうです。下見に行かれた方が宜しいかと思いますが」 「君の目利きだ。信用している」 其処まで誑し込んでいたか。有り難いような、居心地が悪いような。 襟足を掻き混ぜた後、萱島は最後の交渉に移った。 「ただ如何せん、先の買い手に示談金が必要だそうです。少なくとも300」 「300か…」 「貴方には世話になっている、半額は俺で負担します」 面白いように思惑通り。 専務の目が光を讃え、無言で萱島を仰ぐ。 萱島のコンサル業はこんな具合だ。 明細偽造会社の斡旋料、先方と此方からの仲介手数料、更にでっち上げた示談金。 おまけに客先の信用。 一件の取引の収穫である。 こんなに楽しい事があるかと嗤う。 何も知らぬ隣、専務はたかが金融ヤクザに丁重な握手を施し、その場でチップまで握らせた。 「今後も宜しく頼む」 先日の負債はどうにか回収した。 秘めた感謝に口端を釣り上げた。 そろそろもう一つ、雑用をこなさなければ。 面倒ながら別れを告げ、更に南へと車を走らせた。

ともだちにシェアしよう!