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episode.2-9
「…!」
タイヤが地面を抉り取る。砂を撒き散らし、速度を持て余し、派手にその場で回転する。
砂塵が覆い尽くし、やっと過剰なエネルギーを殺して沈黙した。
停車したセダンに、虚を突かれて縫い留まる。
ヘリはその隙に牙を剥くと思われた。
ところが何故か。怪物はセダンを見るや、いきなり軌道を変えて明後日へと飛び上がっていった。
3機が車を避けて消え去る。
萱島は訳も分からず後ろ姿を見送った。
――…バンッ。
ドアの音で我に返った。
セダンの助手席が開いている。伺う萱島の目前、中年の男が転がり出ては青い顔で地面に伏せる。
仕舞いにその辺りに吐き出したので、一気に緊張感が損なわれた。
酔ったのか。珍しく対応に困る萱島が声を発する前、対岸から問題のドライバーが降りてきた。
「…また余計な事を」
文句をひとつ、ブラックホーク3機を追い払った男は空を仰いだ。
眩しい程の白が踊る。
街道の真ん中で、陽光を返す白衣が靡く。
医者か。研究者か。
率直に考えて、帝命製薬の関係者か。
奴らは味方と察して避けたのか。黙る萱島に対し、彼は視線を向けて柔和に笑んだ。
「――元気?」
あたかも気安い友人だ。
フレームのない眼鏡が乗った、掴み所の無い顔をまじまじと見る。
会った覚えは無いが。
首に掛かったIDカードが揺れる。
名前を追うより早く、男はさっさと踵を返して蹲る連れと話し出した。
(…ヘリが)
粘着に街道に留まっていた一団が、また群れを成して地平線へ消えて行った。
世界を覆っていた轟音が連動して失せる。
交替して、地上へ数多の車軸が散らばる。
制圧後の光景だった。民間の治安部隊は、隠れた輩を撮み出し投降を強要していた。
緊張から解かれて思い出した。
2階に残してきた部下だ。
しかし腰を上げた所で、当人からしっかりした足取りで歩いて来たではないか。
どうやって生還したのか謎に過ぎる。言いたい事が募る萱島を他所に、千葉はいつもの面で歩み寄り、ご丁寧に得物まで返してきた。
「ご無事で何より」
「そっちがな」
部下は其処で、セダンの側で話し込む存在に気付いた。
片眉が上がる。知り合いか。
「…御坂先生」
小さな呟きを相手は拾ったらしかった。
白衣の背中が振り向き、先と同じ。毛程も嫌味のない笑みを湛えて応対する。
「どうしたのこんな所で」
「上がホテルに居たもので、迎えに」
「遥?」
男は社長を親しげに呼び付け、聞き返す。
どうやら其処と繋がっていた。コネクトの広さに感嘆しながら、両者の成り行きを見守った。
「そう、連絡ついた?」
「ええもう全然お気になさらず…あ、萱島さん」
常の砕けた調子に戻った青年が、一歩引いて相手を示した。
「帝命製薬の御坂所長です」
「ああ初めまして…って何、所長?」
聞いた正体に右手を引っ込める。
この男。無害そうな面をしておいて、諸悪の親玉じゃないか。
助けて頂いた件は感謝に尽きるが、危うく部下がおっ死ぬところだった。それで良くもまあ。
途端に柔らかい表情すら、胡散臭く映り始める。
「…萱島です、先の件はどうも」
「そんなに怒らないでよ。僕も名ばかり管理職だからさ、全部が全部勝手に出来る訳じゃないんだ」
不服を一目で汲んだ。コミュニケーション力には長けているから、象牙の塔の住人とも思い難い。
場の空気に敏く、精神科医特有のアンダーグラウンド臭もない。
穏やかながらさっぱりした気質。先の荒い運転からしても、内科というよりは外科か。
勝手に当たりを付けていたら、再び御空の騒音が戻って来た。と言っても別の主だ。
見上げた快晴からは、案の定真っ黒の機体が尻尾を振って寄ってきた。
(…ハイエナ)
一体毎度毎度、何処から腐臭を嗅ぎ付けるのか。
付近に着地した機体から、今日もゴーグルを装着した女性が降りてきた。
サーヴァントは顔を晒さない。それが殊更きな臭い、萱島は駆け寄る遺体回収業者から距離を開けた。
「請求書は何方に?」
単刀直入用件を寄越す。
萱島と千葉は一時顔を突き合わせた後、向かいの男を指差した。
「貰うよ」
苦笑して取った御坂が、ペンを走らせる。
そう言えば管理職とは言え、あの巨大施設の長。融通の利く金は多分にあるのかもしれない。
さて、萱島の宜しくない病気が首を擡げた。
「…御坂先生、序でと言っちゃなんですが。俺の車が恐らく向こうでお釈迦になっているかと」
「それは不味いね」
「スーツは汚れるし、何なら巻き込まれたアホの友軍に払う金も増額だ」
「はいはい…それで?」
御坂は笑っていた。随分可笑しそうだ、この医者。
上の人間に有りがちだが、遠慮の無さがツボに入ったのか。
「後は…そうですね、悲惨な光景に心が荒んだので慰謝料を」
遂に笑声を漏らした。
それで一頻りウケてから、相手はあっさり折れて了承した。
毎回思うが、よう分からん人である。
千葉が傍観する手前、所長は神崎に預ける旨を伝えると、事もあろうか。
萱島の頭に手をやり、子供にやる様に掻き回した。
「じゃあねまたね、千葉くんも」
「…はい」
千葉は傍らで固定された金融ヤクザを見やった。
生まれてこの方頭を撫でられた経験など無い、ロナー(一匹狼)を貫く男はショックで止まっていた。
「ご両親思い出しました?」
「…俺はアスファルトの割れ目から生まれたから」
「ああそう」
千葉の内ポケットが震えた。摘まみ出すと、液晶には神崎の名前があった。
一先ず無事に安堵して、中身の用件を展開する。
“武器商人でも無いのに、商談に武器を持ってきた馬鹿が居た”
(…商談?)
ホテル内部は何があったのか。
仮に襲撃犯が取引を持ちかけたのなら、その売り物は確実に。
御坂はまた運転席を陣取り、作業の渦中へと車を走らせた。
隣の男はやっと落ち着いたのか、ハンカチで口を拭っている。
空が青い。
防弾に締め切られた車内は無音だ。
ハンドルを握る傍ら、白衣に手を入れた仕草を相手は目敏く捉えた。
「…P2に連絡しても無駄だ」
ポケットを探る手が止まる。
フロントを射抜いたまま、御坂は一切の表情を仕舞い込んだ。
「彼処にマトモな医者は居ない、搬送した所で内蔵を抜かれて逝くのがオチだ」
「今日は良く喋りますね」
「御坂、もう無茶苦茶な運転は止めろ。貴様の命は国よりも重いんだ」
せっかく舗装したにも関わらず。
また穴を開けて、余計な仕事を増やして。
何かを生み出すよりも、壊す方が多い。
「…例えば今貴方を殺した所で」
ひゅっと太い喉が鳴る。三白眼が話に縫い止められていた。
「私を罰する事も出来ない。貴方は助手席に乗った以上、全てを委ねた訳だ」
「何がしたい」
「大鷹大臣の近況を、話して貰いましょうか。包み隠さず」
「幾ら聞いても変わらない」
シートから背を起こした男が床を睨む。
窓ガラスには、少しの滞在で砂埃が纏わり付いていた。
「計画は止まらない。死を恐れない兵士、それだけが先を創るのだ」
それ以降口を自ら縛り付けた。
視線を交わさぬ両者、時間が流れたかも疑わしい。
御坂は見切りを付けてアクセルを踏んだ。進む先には、彼を敬礼で待ち受ける共謀者らが立っていた。
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