22 / 111

episode.3-1 「Slasher」

端数を切って1年前、萱島は死にかけた。 内臓からそっくり穴が開いて、これはもう駄目だと思った。 海溝の底の様な闇で、只管無に揺蕩い。ところが突然、とんでもない力に引き上げられた。 何故か生きていた。 バケツを引っくり返した様な出血にも関わらず。 数ヶ月もすれば、五体満足で、障りもなく両足で立っていた。 ただ病室を出て気が付いた。 何か底から溢れる、尋常でない程の乾き。 煙草であったり、食事であったり。手当たり次第に嗜好品へ手を伸ばしても、尚満たされない。 『――…貴方がスナッフビデオを撮り始めたきっかけは?』 その当時、初めて撮影に望んだ萱島に、興味本位からインタビューを迫った聞屋が居た。 (音声記録は未だ残っているだろうが、幸いこのやり取りは数行裏コラムに取り上げられた程度で終いだった) 『普通じゃやっていけなくなったからですよ』 『それは儲けの手法として?』 『まあ、どちらも』 人を殺って殺られかける。 その限界に病み付きになっていた。 生死の境目だけが、牙を剥く欲望を満たした。 一種の精神病だとは分かっていた。 大手術で性格が変わる例は聞くが、此処まであからさまな異常を患うなんて。 『正直、元の自分はもう居ませんよ』 それでも愉しくて仕方が無い。 今日も今日とてカメラの回らぬ箇所で、他人の顔面に穴を開ける。 吹っ切れてから妙に身体が軽かった。 反射神経も筋力すらも、負傷前とは比較にならないほど芳しい。 (神が啓示でもくれたのだろう) バチ当たりな考えを抱いた。そう言えば、牧に見せられた時価1千万の映像を思い出した。 スラッシャー。彼の映像が出回ったのも殆ど同時期だ。 あの男もまた、社会から逸脱した病質者なのだろうか。 「な、なんで…」 よく見れば得物は甘ったれた顔をしていた。隣の死体を目に、反撃するでもなく壁にいざっていく。 「殺す事…ないだろう…何も…」 汗だらけの顔面を押さえて。何も見たくないという体で、蹲って小刻みに震えるだけ。 萱島は大袈裟に舌を打った。 こういう手合が一番嫌いだ。何で等と。 理由なんてある筈もない、お前が死ぬ事にも、生きる事にも。 「――止めろ」 射抜く寸前で、真っ当な静止が入った。 心底うざったげに銃と面を上げた。 「もう十分だ」 今日は仕事の相方である、教育係の男が立ちはだかっていた。そちらこそ常識ぶった色を止めろ、相容れなさに萱島はイライラする。 「副社長、退いて頂けます?何が十分かは存じませんが」 「ひっ、ッひ」 伏せった男が息なのか悲鳴なのか、聞くに堪えない音を漏らした。 「正義の味方なら零区の外でどうぞ」 「違う。外でも通用する術を身に付けたい、そう言ったろ」 「…はい?ええ、まあ…」 想定外の返しに、理解がすっ転ぶ。 何を申してるんだ?この男。宙ぶらりんに銃を下げ、眉唾を付けまくる。 「そうやって殺しが癖になったら、一旗揚げた所で勝手に自滅する。誰が助けてくれるんだよ」 「つまり本郷先生…ご命令でなく、お説教ですか」 「そうだよお前の為に言ってる」 悪寒。ウイルスに侵された如く、萱島の全身が粟立った。 真人間どころの騒ぎでなかった。 先日あの天上人みたいな所長に、頭を撫でられた一件を思い出す。 ああ嫌だまったく。最近出会う人間ときたらまったく。 「…承知しましたから帰りましょう、寒気がして来た」 「風邪か?」 「そうです、貴方様の識者ぶりに吐き気がして」 「何だよもう心配してやんねえぞ」 結構だ。萱島は脅していた獲物を放ったらかし、さっさと先頭をきって歩き出した。 天然記念物も良いとこだ。この様な手合、客先でも見た覚えがないのだから。 「お言葉ですが、俺よりもご自分の心配をなさったらどうです」 「ん?」 「まさかとは思いますが、銃も携帯してないのでは」 間際になっても無防備で、上着に仕舞い込んでいる訳でもなく。今この場だって、手ぶらは愚かに尽きる。 中立国とは言え恨みは買うのだ。 新興勢力が湧いた今、激化する展開だって有り得た。

ともだちにシェアしよう!