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episode.3-10
「ちゃんと真っ直ぐ戻るんですよ」
「お母さんみたいだな」
「…良いから早く」
痺れを切らした戸和がSIGを構える。
行けと言う事か。上司より先に帰るなとのお達しでもあるのか、此処の会社は。
「いやお前はどうすんだ、1人じゃ帰れないだろ」
「俺はそうですね…学校がありますので。此処で失礼します」
「は?」
素で聞き返した。
放課後に出勤していた旨は存じているが。何故この場で、その単語が出て来る。
しかし食い下がる相手が面倒になったらしい。
青年は次には予告も無く足払いを掛け、上司を屋根からピラニアの水槽へ落っことしていた。
「あっ」
「あ」
まあ死にはしないだろうが。萱島(手配犯)が落ちてきた事で、下は露骨に喧しくなり血みどろと化す。
「ほら副社長も、さっさと行って下さい」
「…お前」
野蛮な惨状を見下ろしていた相模が顔を上げた。
涼し気な学生を射抜き、半ば確信して問うた。
「俺の事を知ってるな」
「…」
内容に困惑しないのは、肯定したも同然だった。
弱肉強食の戦場を眺めつつ、青年は次の煙草へ火を点ける。
体内を猛毒のニコチンが渦巻く。
奇妙に静かな屋根の上、澄んだ目が煙の行方を追った。
「…貴方たちは特別な存在だ」
それは誰にとって。
ほんの些少、本心を落とした様に。やっと相模に聞こえる程度の声で戸和は続けた。
「スラッシャー…そう呼ばれていましたね。貴方の存在は希望であり、また誰かにとっての絶望でもある。貴方がこの世に誕生した事で、パンドーラーは匣を開いた」
抽象的過ぎて理解できない。ただ何故か、聞き返す事すら。
「最後に残ったのは希望ですが、希望がある故に人は諦めきれず繰り返す。この先も…いえ、今のは気になさらないで下さい。どうやら喋り過ぎました」
突然流れを止め、学生服を靡かせる青年は真顔で向き直った。
――また何処かで。
別れを告げ、直後SIGの弾丸が相模の脚元を撃ち抜く。
反射的に避けるべく背後に飛んだ体は、屋根の上から姿を消し喧騒へと呑まれていった。
『――…ちら、…チーム・イー…』
耳元で無線のノイズが唸った。
混戦を打開し、車へと2つの影が走る。その行く末を見護りながら、戸和は未だその場で煙を燻らせていた。
『監査官…答願います――、こちらチーム・イージー』
「聞こえてる、どうした」
フィルターを噛みインカムへ応答した。
車のエンジンが轟き、障害を跳ね飛ばして裏門を突っ切って行った。
『今そちらに向かいます』
「ああ」
『…――許可は下りていませんが、本当に撃つのですか』
「早くしろ」
ザッと大きな雑音後、通信が途絶えた。
自分の立場が崩れようが知った事では無かった。首を切られようが四肢を取られようが。
自分は勝手にあの男に仕え、側に立つ。
指導者を失った暴力主義者らは、逃げ出した2人を追って車に向かう。徒広い一面の駐車場。
駆け込む彼らは、ふと見上げた頭上に何かを察して佇んだ。
「な、何だあれ…」
呆然と支えを失くし、脚元から崩れ落ちた。
誰も彼も。認めた端から蒼白になって、どうにか我に帰るや否や。
必死の形相で来た道を引き返し、駐車場から命からがら散り始める。
やがて降って湧いた様に現れた軍用機の群れは、容赦なく車上へと火を噴いた。
「あ、ああああ…!」
エンジンを貫き、次々と車体が炎上する。
突然の無差別攻撃を受け、地上の様相は混沌を極めた。
「ま、待て!早く消化しろ、誘爆するぞ!」
「馬鹿野郎一端逃げろ、アイツらまた…!」
火の粉も掛からぬ屋根の上。
怯え逃げ惑う民衆を見る。愉しくもない、哀しくもない一幕。
さて情弱ども。
青年は目を眇める。
お前たちの先を急いだ軽率な判断で、零区はこの有様だ。
先日の内戦は大きな亀裂を生み、罅を増やし、確実に崩壊へと導く。
(計画は遅かれ早かれ頓挫する)
その時がこの街の。
そして、自分達の。
戸和は風に煽られ、火の消えた煙草を弾いた。
駐車場の上空を通り過ぎ、破壊者がゆっくりと高度を下げていた。
『――…お迎えに上がりました』
轟音を上げるブラックホークが青空を埋める。
SIGの薬莢を捨て、口を開けた黒い悪魔の元へ。
背後を振り返る事もなく、青年は自身の目的へと歩き出した。
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