30 / 111
episode.3-9
「廊下に出たら右手の非常階段へ。いざとなりゃ飛び降り…」
萱島の眼前、鉄の扉が衝撃に慄いた。
図らず一歩引くや、濁声が耳を劈く。
「…親父ィ!大事ないですか、失礼しますで!」
「おいはよう鍵開けろ!間に合わんぞ」
ガヤガヤ喧しい連中が、もう一枚隔てた外に来ていた。
糞ったれ。いっそ開けさせるか。
先手を取ろうと構えた矢先、視界の端を影が過ぎった。
相模。動作主を解するに一杯で止める間も無い。
見送る萱島の手前、異端者は蝶番をたたっ斬り、長い脚で敵ごとドアを踏み倒した。
「――ぐえっ」
「ほら出るぞ」
構いもせず軽やかに去って行く。
鉄戸に伸し掛かられた敵を後目に、萱島は苦笑いで追従した。
そう、もういい加減物差しをあてがうのは止めよう。
規格内では先は開けない。学習するや手摺へ飛び乗り、先行する相模の道を開いた。
「おい捕まえろ!バラしても構わん、外にやるな!」
塵だの糞だの、これでもかと汚い言葉がマンションの廊下を飛び交った。
実弾も交じるのだから鼻で笑えもしない。
障害だけを排し、一目散に非常階段を目指す。
追跡が息巻いたが、血煙に真っ当な人間は足留めを食らった。
(ここか非常口)
漸く障害物競走の終点が見えた。
防火扉を蹴飛ばし、一転視界が開ける。外壁を伝う非常階段は風が吹き荒れ、両者のジャケットやら髪やらを跳ね上げた。
「…相模先生」
「どした」
5階の踊り場は無人であったが。
地上を見やった萱島は閉口した。駐車場のオープンスペースへ、滅茶苦茶な走行で車が乗り入れて来る。
子供が碁石で遊んでいる様だ。隅から隅まで。ただ乱雑ながら、確実に盤上は埋まり始めていた。
「人だらけだな」
「そんな休日のテーマパークみたいな。仕方ない、面倒ですが左翼から迂回して…」
今日は良く遮られる。
中途で足を止め、萱島はそんな所感に眉根を寄せた。
行く先を煙草の煙が埋めていた。
まさか住人ではあるまい。だが敵にすれば余りに悠長だ。
正体を探り、萱島は慎重に階下を覗き込んだ。
「……」
何と知り合いだった。
手摺に掛け、見返す彼に動きが止まる。
其処には先般調査会社で挨拶を交わした、可愛いげのない高校生が煙を燻らせていた。
「…ふむ、ああ、戸和くん」
名前だけ先に出た。
其処からは頭が回らず、目を瞬く。
「何してんの?」
「迎えに来たんですが良かった。捜す手間が省けました」
嘘つけ明らかに待ち伏せていただろう。
問いたい件はごまんとあったが、場が逼迫していた。
また雑音が増え始め、防火扉の影から銃撃が襲う。
手前やら脇やら。縦横へ抉り抜け、一行は堪らず話もそこそこに階段を駆け出した。
「――お前の親戚か?」
先導として加わった学生に、相模が純粋な疑問を抱く。
そうだ知らないのだった。自分も良くは知らないが。
「ああ…副社長の部下です」
面倒だし、この男の存在は黙っておくか。
未成年で堂々と煙草を吸うガキだ。多少の食い違い程度、放っておいてくれるだろう。
「ところで萱島さん、車は何方に?」
「裏口の生け垣」
「分かりました。案内します」
言うや青年は手摺を蹴り、隣接していた3階建のアパートへ飛び移った。
上から行くか。流石にその地図は頭に無かったが、確かに。
この住宅地なら最短距離を切れるし良手だ。
2人は彼に続き、上空のショートカットを突っ切る。地上は大量の人間が埋めていた。
まるでエキストラを思う。映画の撮影でも始まるのだろうか。
(しかし何時の間に連絡したのやら)
景色から浮いた高校生を見やった。
社長が、それとなく根回しをしたにしても。どうして彼処までピンポイントで待っていたのか。
気味の悪い子供だった。
「…警備か」
屋根を辿り、滞り無く目的地へ近付いていた最中。先導していた彼が俄にブレーキを掛ける。
呟いた通り、確かに裏門近辺にも点在している。車の周囲にも数名。
「今更かもしれませんが、余り無用な死体を増やすのは」
「ほんと今更だよ」
「幸田は異常に執念深い、先の事を考えて穏便に」
「アイツなら死んだぞ」
遮る相模を、怪訝そうに戸和が見詰めた。
いい加減中身の違いに気付いたか。
「…兎に角さっさと帰って下さい。暫く混乱は続くでしょうが、今の均衡状態なら誰も動きが鈍い。貴方方を直ぐ始末しに来る事も無いでしょう」
無表情な青年かと思ったが。
これ以上問題は御免だとばかり、眉を顰めて一歩退く。
ともだちにシェアしよう!