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episode.3-8
生き残りは居ないか。
今の数十秒足らずで、すべて頸動脈を切ったのか。
天井から未だ雨漏りみたいに雫が滴る中、隅々まで目を走らせる。
(…ところで彼処の監視カメラ)
どうでも良い事も考えていた。
否、良くはなかったが。仮にも商売敵の映像を売りに出そうなどと、低俗には違いない。
兎にも角にも口を開く。
が、彼は突然距離を詰め、此方に斬り掛かって来るではないか。
(げっ)
萱島が青褪めた。
矢張りこの野郎、ラリっているのか。
敵味方区別つかんなら、厄介な展開になった。
背後へ身を翻し銃を構える。
「正気に戻れ副社長…!」
空中から利き手を射抜いたつもりだった。
だがこのサイコパス、容易く長刀の側面で弾いてみせた。
目が点になる。どんな反射神経だ。
彼の標準装備らしき薄笑いに萱島ですら屏息する。
完全に理性を保ち、その上で殺戮を犯す。
史上に名を刻んだシリアルキラー達に通ずる目をしている。
(オックスフォード・アパートメント213号室…)
2丁目を抜き、ラックの上へ飛び乗った。
ええい。このまま戦り合うのは本意でない。シリーズ作品のネタが尽き、余所の怪物と夢の共演なんて御免である。
距離を測る萱島に相手は目を眇めた。矢張り理性は機能している様だ。
一か八か、ラックの上から対話を試みた。
「…本郷先生、一つお聞きしたいのですが。貴方はその、所謂快楽殺人者の類で?」
そう、と言われたら終いの質問だった。
然れど悠長に構えた男は、合点が言った風に刃先を引っ込めた。
「――ああ、お前アイツの連れか。こんな場末までご苦労だな」
「アイツ…?」
不可思議な返答に目を瞬く。
「本郷に用事なら当人に言ってくれ」
「はあ、その…じゃあどちら様で」
「俺は相模だ。悪いが筺体は共有でもCPUは別れてる、言伝はやめろ」
簡素な説明ながら、混乱が収束に傾いた。
要はこの男。解離性同一性障害か。
萱島の面が曇った。ほうれ見ろ、あんな溜め込み型だから。やっぱり弊害が出るじゃないか。
それとも何か、幼少期に悲惨な虐待でも経験したのか。
ただ曰く“相模”とやら、(殺戮行為を除けば)其処までぶっ飛んだ人格とも言い難い。
少なくとも会話が出来る。
「序に質問の答えだが、快楽殺人者なんざハッピーな渾名を付けるなよ」
長刀の血を振り払う。が、脂が巻いてそろそろ潮時だろう。
「俺はな、単なる博愛主義なんだ」
「…はい?」
「他人が愛おしくて、慈しんで。セックスだの生温いオーガズムじゃ済まねえから、勢いでつい殺しちまうんだよ」
変態だ。初めは己が言うのは憚られたが、変態の次元だ。
非常に迷惑な方向に愛情を拗らせ、アガペー等と嘯きつつ…それじゃあエゴイズムの極みじゃないか。
そんな特殊な性癖でさも真っ当な面をするな。
「…迷惑な神が居たもんだ」
「神なあ…どうせ報われないならその称号でも良いか」
明後日を見ている間であっても。萱島に対し、一切殺気を緩めない。
幾ら離れようが、吐きそうな緊張を要された。
「愛の形が違うだけで、こんなにも迫害されるとは」
「二元論でも読んでオナってろ」
「哲学?大好きだ。かの高名なウィトゲンシュタインによれば人は死を経験しないらしい…まあ雑談はさて置き、名前を聞こうか」
萱島は未だラックの上で間合いを確保しつつ、名刺を投げた。
受け取った相模が肩書きから読んだ。
「ああ黒川の。神崎が呼び込んだか、敵が多いな気を付けろ」
「敵?」
忠告を受け耳を澄ませる。
確かに言われてみれば、鉄筋伝いに階下から複数の足音が上って来た。
この一帯は枠場が買い上げた敵の巣だ。不審が見つかれば、次から次へ蟻が群がる。
下手に足止めを食らえばその傘下、更にその傘下へと波及し、さしもの2人でも窮地になった。
「…裏手に車が停めてある。降りましょう」
「理解した、心は痛いが助けてやろう」
(十二分の間を置いて)萱島は相模に続き、ラックから飛び降りた。
ドアの外では駆け上り、迫る足音が途切れない。
耳に拾っただけで10…否、既に20。
タペストリーで日本刀を拭い、相模はドアの蝶番を見詰めてた。応戦即ち、墓穴だ。
此処は残念ながらすべてをかわし、一足飛びに車へ走る必要があった。
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