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episode.4-1 「Sir, Yes sir!」

「――How do you do, Mr.?」 既に国境を超えた筈が。 不得手ながら運転手が寄越した言葉に、金髪の男は歩みを止めた。 「えーと…Did I make myself understood?Strange?」 「大丈夫、日本人だ」 振り返る相貌に、運転手は口を広げる。本当だ。眼の色から何から、アジア系そのものだった。 どうして態々不慣れな英語を掛けてしまったのか。此処が港であり、彼が金髪である事以外にも何か。 タクシーの窓を全開にし、中年の運転手は身を乗り出す。 そしてああと原因に合点した。担いだボストンに縫われた、見覚えのある略字の所為だ。 「それ格好いいねえ、“Marine”?」 銃で撃つ所作をすれば、なかなか愛嬌のある口端が上がる。 「なあ、良ければ乗せてって欲しいんだ」 「勿論だよお客様、何方まで?」 「この住所に行ってくれ」 彼は黒のミリタリーコートから国際郵便物を出した。 日本人だが、矢張り海外からの渡航客らしい。 「ええと…ああ、成る程。都内の“Zeroku”…」 零区。 字面を追っていた運転手は、小柄な相手をじっと見た。 その筋の人間には見えない。売人にも、メンテナンス業者とも思い難い。ただ確かに、妙な胆力は見え隠れしている。 「…兄ちゃん、彼処に何の用?悪いけど手前までしか送れないよ」 真っ当な答えを返すと、彼はほんの少し首を傾けた。どういう事だ、という体だ。 考えを巡らせてみれば、零区が成立して2年も経たない。今日まで海外に飛んでいたとしたら、知らないのも無理は無かった。 「零区はヤクザの巣窟だよ。警察や行政もないし、一般人はとても恐ろしくて歩けねえや」 「そりゃ酷いな」 「ああ良く考えな、何しろ」 「分かった手前で良い。出してくれ」 真顔で迷いなく言い切る。理由は分からないが、運転手はそれ以上文句を挟む気にならなかった。 了承して後部席のドアを開ける。ところが其処で、また別の客がタクシーへと詰め寄った。 「…済みません、その急いでまして…もし良ければ乗せて貰えませんか。運賃は出しますので」 「俺は構わないが」 「本当に有難う御座います、良かった」 仕立ての良いスーツだ。儲かっているだろう、今度は実業家風の男が後部席へ乗り込む。 「お客様は何方まで?」 「同じです、零区まで」 今日は稀有な日だった。運転手は常のお喋りも引っ込め、真っ直ぐに正面を向いた。 明日の生活を考え、いつもより安全運転で。ゆっくりと滑り出したタクシーは、観光日和で晴朗な港を後にした。 同日。零区ホテル内ロビー。 貸し切りで不要な人間は出され、孝心会本家、直参の持ち家が犇めいていた。 簡単な壇上へ、一際年を食った男が上る。脇では警護に呼ばれた萱島が黙りこくっていた。 「――本日はお集まり頂き有り難う。本来月定例会で大事は話さんが、この状況だ。孝心会本家としての方針を、この場を借りて宣言したい」 枠場の組長殺害事件以後。 萱島はうっかり火種をつくった件で銃殺刑を覚悟していたが、予想外の展開が起きた。 分裂を恐れて煮え切らなかった執行部が、明確に“裏切り者制裁”を打ち出したのだ。 枠場は組解体令。 関与組織も粛清。 そして今後薬の取引をする人間は、容赦なく断罪するという。 (…じじいが重い腰を上げたきっかけは2つ) 1つはRICが噛んでいた件。 もう1つは何故かあの後…帝命製薬が来襲し、駐車場の車を残らず焼き尽くした件。 一時的ではあるが、銀行と地主が加勢した。 気の大きくなった孝心会は、勇んで強行に乗り出したという訳だ。 「そもそも…我々孝心会のルーツは幕末に遡り、当時の善之介親分が如何に剛気であったか。シャブなんぞ疚しい悪品に目もくれず、持つは己の腕2本…まさに“任侠”を体現する男がこの国をつくり、今日の芳声を…」 話が長い。 眠気に侵され、フラストレーションが爆発しかけた。 これだから年寄りは。年寄り。否。 萱島はふと思い当たり首を伸ばす。 そう言えば最上位である年寄りが見当たらない。 (最近何かと表に出て来るのは執行部ばかり) 唇を舐め逡巡する。来賓の方々に探りを入れようかと、周囲に目を走らせた。 最中でも配っておけば良かった。 因みに餡こが入ってる方だ。連中は甘い物にヘラヘラする。 (大体無賃で呼び出しやがって、違法経営で監査請求すんぞ) 等とぼやきながら人の財布を抜くのだから、全くの無賃では無かった。真のクソ野郎は萱島だった。 「…い、おい…萱島!」 しまったバレたか。バレない様抜いた筈が。 側面から呼び付ける男に、萱島は焦りを仕舞い込んで振り返る。 手招く相手は大城だった。初回もそうだったが、何か自分の教育でも任されているのか。 致し方なく列を抜けるや、デカい相手に腕を引っ張られる。どうも内緒話の類いらしかった。

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